第60話 音の消える三走
南関東大会、男子4×400mリレー決勝。
全国へ行けるのは六校。
七位でも速い。
八位でも弱くない。
それでも落ちる。
それが南関だった。
潮見のオーダーは、真壁、井坂、蓮、瀬川。
倉橋は観客席のいちばん前で、手すりに両手を置いていた。
その後ろに神崎と相沢がいる。
真壁が一走で立った時、蓮はその背中に県大会より大きいものを見た。
二百で届かなかった男の背中だ。
届かなかったからこそ、最初の四百で崩れない。
「Set.」
音が弾ける。
真壁は前半で飛ばしすぎない。
だが抑えすぎもしない。
向こう正面で一人に出られ、コーナーで二人目にじわりと離される。
それでも直線で腕を止めず、七位で持ってきた。
悪くない。
まだ全国ラインは見える位置だ。
井坂が受ける。
二走は苦しい。
前が見えるのに、追いすぎると脚が死ぬ。
井坂は向こう正面で一度、外から来た学校に抵抗した。
そこで半歩ぶん、余計に力を使う。
第三コーナーでそのぶん脚色が鈍り、順位は八位へ落ちた。
前との差も広がる。
観客席で倉橋が息を呑む。
井坂は悪くない。
悪くないのに、南関はそれで沈む。
蓮が受けた瞬間、風の音が消えた。
無音。
県の決勝より深い。
真壁の粘り、井坂の無理、倉橋の視線、スタンドの熱、その全部が一度に身体へ流れ込んでくる。
バックストレートで、前との差が急に近くなる。
他校の応援席からざわめきが起きた。
「何だ、今の……」
「潮見の三走、来るぞ!」
蓮は外へ出す。
一人、飲み込む。
七位。
第三コーナー。
まだ前がいる。
抵抗の薄い場所だけを踏むたび、スパイクの接地音まで軽くなる。
相沢が立ち上がって叫ぶ。
「行け、朝倉!」
第四コーナーで、もう一人が射程に入る。
蓮が外から並ぶ。
観客席の空気が一段上がった。
「追いついた!」
「まだ行くのかよ!」
直線の入りで半歩だけ前へ出る。
六位。
全国ライン。
さらに前の五位にも迫る勢いだった。
真壁が手を叩く。
井坂が声を張り上げる。
倉橋は声にならず、ただ目を見開いていた。
神崎だけが、一度も目を逸らさない。
「瀬川さん!」
無音の底から戻ってきた声で、蓮はバトンを出す。
渡す。
手を握らない。
開く。
呼吸を入れる。
瀬川は受けた瞬間、その深さに身体を持っていかれそうになった。
完全なシンクロじゃない。
でも、蓮を通ってきた流れが深い。
一歩目から、いつもより前へ滑る。
最初の百で五位に迫る。
だが南関のアンカーは甘くない。
向こう正面で少しずつ離され、今度は後ろの七位が詰めてくる。
瀬川はそこで一度だけ肩の力を抜いた。
追うでもなく、逃げるでもなく、自分のリズムへ戻す。
焦れば沈む。
最後に必要なのは、守る脚だ。
第四コーナー。
七位の足音が近い。
直線。
真壁、井坂、倉橋、観客席、全部の声が一つの塊になって押してくる。
「残せ、瀬川!」
相沢の声が突き抜けた。
瀬川は最後の十メートルで一度だけ顔を上げる。
抜かせない。
今はそれだけでいい。
ゴール。
表示板に出た順位は、六位だった。
全国出場。
井坂がその場でしゃがみ込む。
真壁は大きく息を吐いたあと、ようやく笑った。
蓮は数歩よろめき、耳の奥で遅れてくる音を拾いながら、それでも立ったまま前を見た。
瀬川はゴール後も膝をつかず、胸に手を当てて呼吸を整えていた。
ぎりぎりで、でも確かに。
潮見は四人で全国へ届いた。




