第57話 走力で残る
南関東大会一日目。
朝から風が強かった。
ホームストレートだけが少し向かい、バックストレートは逆に押してくる。
男子四百の予選は、午前の前半だった。
県では、多少抑えても残れた。
でも南関は違う。
抑えすぎたら沈むし、出すぎても後半で死ぬ。
蓮は招集所でその線を何度も頭の中で引き直していた。
スタート位置につく。
隣には他県の上位通過者。
強そう、ではなく、実際に強い者しかいない並びだった。
「On your marks.」
腰を下ろす。
風の音が遠くなる。
「Set.」
張った空気の中で、蓮は前半のリズムだけを身体に置いた。
パァン、と乾いた音が弾ける。
前半百で、一人が思い切りよく出た。
つられて上げたくなる。
だが蓮は二百までは我慢する。
向こう正面で姿勢だけを少し前へ傾け、第三コーナーから脚を運び始めた。
県までと違うのは、相手が簡単には落ちないことだ。
それでも最後の直線で並びかけ、組二着でまとめる。
ゴール後、真壁が短く言う。
「今のはいい」
瀬川はもう少し具体的だ。
「前半で崩さなかったのが良かったです」
井坂が聞く。
「個人は、やっぱりリズムを乱したら終わりってことですか」
瀬川はうなずく。
「そうです。朝倉くんが深く入れるのは、みんなの流れが一本に繋がったときだけです。個人はそこまで深く行けないし、行こうとすると組み立てを壊します」
蓮は黙って水を飲んだ。
その言い方がいちばん正確だった。
個人でも入口の気配はある。
だが、リレーの時のように深淵まで沈めるわけじゃない。
みんなの流れがないぶん、薄い。
だからこそ、無理に触りにいく方が危ない。
午後の準決勝はもっと重かった。
今度は黒瀬と同じ組だった。
スタート前、黒瀬が言う。
「県より詰めてこいよ」
「そのつもり」
「じゃなきゃ面白くねえ」
今度は予選より明らかに速い入りだった。
蓮も引かない。
百五十、二百、二百五十。
前半から脚を使う。
それでも、まだ“向こう”には行かない。
第三コーナーで二人が横並びになる。
スタンドが少しだけざわつく。
ここでもっと行ける、と身体の奥が囁く。
でも蓮は切った。
まだ違う。
ここで使う場所じゃない。
最後は黒瀬に半歩届かず二着。
それでも着順で決勝進出が決まる。
戻ってきた蓮に、瀬川がタオルを渡す。
「今、入らなかったですね」
「入ったら、決勝で終わる気がしました」
「はい。正解です」
この日の最後に行われた4×400mリレー予選で、潮見は無理をしなかった。
真壁がまとめ、井坂が落としすぎず、蓮が最低限だけ上げ、瀬川が着を守る。
派手さはない。
でも、決勝へ残るには十分な走りだった。
他校の選手たちが、潮見の組タイムを見て少し首をかしげる。
噂ほどじゃない。
そう思った者もいたはずだ。
真壁はそれを見て、小さく笑った。
「ちょうどいいな」
「何がですか」
「なめられてた方が、最後は面白い」
蓮は決勝進出の掲示を見上げたまま、黙っていた。
走力で残った。
ここまでは予定通りだ。
問題は、ここから先だった。




