第27話 前日
南関東大会前日。
会場近くの宿へ向かうバスの窓から、知らない街並みが流れていく。
西野はずっとしおりを見直していた。
真壁は座席を倒して目を閉じている。
瀬川はエントリー順と招集時間を確認し、神崎は何もせず外を見ていた。
蓮は右手を膝の上で開いたり閉じたりしていた。
「落ち着かねえな」
前の席から真壁の声が飛ぶ。
「……見えてるんですね」
「分かるよ、それくらい」
真壁は振り返らないまま言った。
「でも今さらだろ。ここまで来たんだから」
「はい」
「だったら、もう腹くくれ」
それは真壁なりの励ましだった。
宿へ着き、荷物を置いたあと、希望者だけで短い調整に出た。
夕方の競技場は、本番前の静けさを持っていた。
誰も全力では走らない。
でも誰も気を抜いていない。
潮見の四人も、軽い流しと受け渡し確認だけを行う。
一本目。
悪くない。
二本目。
さらに悪くない。
三本目。
真壁が持ってきて、瀬川が整え、蓮が受ける。
その瞬間、いつもより考えなかった。
起こそうとしない。
見せようとしない。
ただ、切らないことだけを考える。
受けた足が、少しだけ軽い。
だが、そこで蓮はあえて確かめなかった。
今のは何だったのか。
それを見に行こうとすると、たぶん消える。
神崎へ渡す。
音は普通だった。
特別な遅れはない。
けれど、流れは切れていない。
「今の、いい」
珍しく遥がはっきり言った。
神崎もうなずく。
「悪くない」
瀬川が蓮を見る。
「朝倉くん、今の、見に行かなかったですね」
蓮は少しだけ驚く。
「……分かりますか」
「分かります」
瀬川はいつもの調子で言う。
「たぶん、それでいいです」
そのとき、隣のレーンの向こうに東陵のジャージが見えた。
事前練習を終えたらしい一団が、荷物をまとめている。
その中から、黒瀬がこちらを見た。
蓮も視線を返す。
黒瀬は近づいては来なかった。
ただ、少し離れたまま言う。
「明日」
蓮は小さくうなずく。
「うん」
「県の一本じゃ終わらせるな」
それは挑発ではなかった。
期待にも近い、でも厳しい声だった。
「そっちも」
蓮が返す。
黒瀬はほんの少しだけ口元を動かし、そのまま東陵の列へ戻っていった。
夜、宿の部屋で、真壁が天井を見ながら言う。
「東陵、やっぱ感じ悪くないな」
「はい」
瀬川が布団の上で答える。
「ただ、かなり強いです」
「それは最初から分かってる」
真壁は寝返りを打つ。
「だから、余計腹立つんだよ」
隣のベッドでは、蓮が目を閉じていた。
眠れないわけではない。
でも、すぐに眠る気にもなれなかった。
県で、自分たちは“見つかった”。
南関では、たぶんまだそれだけでは足りない。
それでも、ここまで来た。
右手を開く。
何もない。
何もないからこそ、明日はそこへ入れられるものがあるかもしれない。
窓の外では、遠くを走る車の音がかすかに聞こえていた。
南関東大会前夜。
まだシンクロは完成していない。
けれど四人は、もう県のときよりずっと同じ方を見ていた。
その先に、東陵がいる。
そのさらに先に、まだ届いていない場所がある。
そして明日、その距離が初めて、はっきりした形になる。




