第十七話 エレンとロベルトとイヤリング
秋も終わりに近付き冬の足音が聞こえてきそうなある日のこと。エレンは金獅子亭の女性たちの着せ替え人形になっていた。実に半年ぶりのことだった。
ことの起こりは二日前に遡る。
金獅子亭の昼の営業も終わりエレンも休憩に入ろうかという時、一通の手紙と共に、大きいがそれほど重くはない包みがエレン宛に届いたのだ。いったいこれはなんなのだろうかと疑問に思いながら、エレンは一旦荷物を持って部屋へと戻った。そして大きい荷物をベッドの上に置いてから届いた手紙を見ると、なんと差出人は己の兄とその婚約者。それを確認したエレンが慌てて封を切れば、そこには短い手紙と美しい箔押しのなされた厚手の紙が入っていた。その美しい厚手の紙は、エレンの一つ上の兄であるシャルマー家当主ラッシュ・シャルマーと、その婚約者であるサラ・べルーニ・ゲイルの一ヶ月後に行われる結婚式の招待状だった。
まさか自分宛に結婚式の招待状が届くなどとは夢にも思っていなかったエレンは戸惑った。送られてきた荷物が美しい薄い青色のドレスであったことにも驚きに拍車を掛けていた。それは平民となりドレスを持っていないだろう――実際に持っていない。半年前のドレスはエマからの借り物だ――妹のためにと兄が仕立てたのだと短い手紙にしたためてあった。
送られてきた手紙とドレスに混乱したエレンは、金獅子亭の母、エマに迷うことなく相談した。しかしそれがいけなかった。エレンを着飾ることに楽しみを覚えてしまったエマをはじめとした金獅子亭の女性店員たちに、ここぞとばかりに揉みくちゃにされてしまう羽目になったのだから。
かつて貴族令嬢であった頃は毎日のように着ていたドレスであるが、平民となった今では馴染みがない。だというのに、いつの間に採寸をされていたのか――おそらく半年前に王城でドレスを着たときだろうが――エレンの体型にぴったりと合った露出の少ないそのドレスは、彼女の健康的なスタイルの良さをより際立たせていた。
「うーん、あとは何かアクセサリーが欲しいね。何がいいと思う?」
「ブレスレット、ネックレス、イヤリング……どれも素敵になると思いますけど、しいて言えばイヤリングですかね!」
「やっぱりそう思う? よーし、こうしちゃいられない! みんな手持ちの良さげなイヤリングをかき集めておいで!」
「はーい!」
エマの号令であちこちに散っていく女性同僚たち。エマはというと、エレンが逃げないように見張りをしていた。そうこうしているうちに小ぶりで可愛らしいものから、大ぶりで派手なものまで色とりどりのイヤリングがエレンの元に集まった。そして一つずつ付けては外し、着せ替え人形にされているエレン抜きで、ああでもないこうでもないと言い合っていた。
「やっぱり大きいのよりは小さい方がいいわね」
「揺れるものの方がこのドレスには合うわね」
「分かるわぁ。でも……やっぱりだめ! ドレスに対して私たちの持ってるイヤリングが安っぽすぎるわ! 浮いちゃう!」
「イメージはだいぶ掴めてきたのにもったいないわぁ」
「どうせならドレスと一緒にアクセサリーの一つでも送ってくれたら良かったのに!」
エマとエレンの同僚四人がきゃいきゃいといろいろ言い合う様子を見て、エレンは遠い目をしてこう思った。
女三人寄れば姦しいとは言うが、それ以上集まってしまったらより元気になって手がつけられない、と。
そんな着せ替え人形騒動から一週間が経ったが、エマたちはまだアクセサリーのことを諦めていないらしく、仕事終わりに女性だけ集まっては話し合いをしているというのはフリンからの情報だった。エレンは自分のためにそこまでしてくれなくてもいいとエマたちに伝えてはいるのだが、エマたちはエマたちでエレンを着飾るのが楽しいらしく、気にするなと良い笑顔で言われてしまった。だからエレンもそれ以上強く言うことができず、ただただ苦笑いを浮かべることしかできなかった。
「妙に疲れた顔をしているが……どうしたんだ?」
金獅子亭昼の営業の閉店間際。昼食を食べに来店していたロベルトにエレンはそう指摘されて、ここ数日の精神的疲れが顔に出ていたことに気が付いた。エレンは気合を入れ直すとぱっと明るい笑顔を浮かべた。
「そう大したことじゃないんです」
「それにしては俺が見てきたこの二年間の中で一番疲れた顔をしていたが……」
「え、私そんなに疲れた顔してました!?」
まさかそこまで疲労していたとは思っていなかったエレンは驚き声を上げる。その驚きのせいで、ロベルトがエレンのことを二年間も見ていたという事実を見事に聞き流してしまった。
「何か悩みでもあるのか?」
「うー……悩みってほどのことでもないんですけど」
ロベルトに尋ねられたエレンは、他に客がいないのをいいことにエマたちに着せ替え人形にされた時のことを語った。
「来月兄の結婚式があるんです」
「シャルマー公爵のか。それはおめでとう」
「ありがとうございます!」
ロベルトが柔らかい微笑みを浮かべてラッシュを祝福してくれたのが嬉しくて、エレンはここ一番の笑顔でお礼を言った。ロベルトはそんなエレンの笑顔を見て頬を赤くしていたのだが、褐色の肌では頬の赤みがあまり目立たなかった。そのためエレンは気付かずに話を続けた。
「それで、兄からドレスが送られてきたんです、持っていないだろうからって。それはいいんですけど……エマさんたちが妙に張り切っちゃってて、先日そのドレスを着せられたんです。すごく楽しそうにしてました……あ、その時イヤリングが欲しいって話になったんですけど、結局いいのが見付からなくて。このままだとエマさんたち、お金を集めてイヤリングを買いに行きそうな勢いなんです」
「……それは、大変だな」
ロベルトはエレンの話を聞いてなぜか目を泳がせながらそう言った。そして何かを決心したかのように大きく頷くと、財布から二千ノーカムを取り出しテーブルの上に置く。エレンはそれが食事の代金だということに思い至るまで少々の時間を要した。
「あ、お釣り……」
「後ででいい、すぐに戻ってくる」
エレンがお釣りを準備する前にロベルトは金獅子亭を出て行った。そしてほんの二分後、ロベルトは言葉の通り本当にすぐ戻って来た。なぜか緊張した面持ちの彼の手には小さな布の袋が握られていた。
「エレン、これを」
ロベルトはそう言って布の袋をエレンに差し出した。
「え?」
差し出された布の袋を見て疑問の声を上げるエレン。ロベルトはそんなエレンを見て細く息を吐いてからこう言った。
「……いつも付加魔法を掛けてもらったりして世話になってるからな。日頃の礼だ、受け取ってくれ」
「え、日頃のお礼って……きちんと付加魔法の分の料金はもらってますから、わざわざこんなことされなくても……」
「前も言ったが、お前の技術で五万ノーカムは安すぎる。本当は料金を上乗せして渡したいところだが、お前は頑として受け取らないからな。だから、現金じゃなくて別のものを渡そうと思って前から用意してたんだ」
そう言ったロベルトは困ったように眉尻を下げ、何かを諦めたかのような苦笑を浮かべていた。エレンはロベルトがどうしてそんな表情を浮かべるのか分からなかった。
「今の話を聞いてこれのことを思い出した。俺が持っていても仕方のないものだから、どうか受け取ってくれないか?」
エレンは本当に受け取ってもいいものか迷っていたのだが、受け取るまでてこでも動きそうにないロベルトを見てようやく決心がついた。おずおずと両手を揃えて差し出すと、ロベルトはその手に布の袋をそっと置く。その時ちゃり、と小さな音が鳴ったのがエレンの耳に届いた。
ずいぶんと軽い布の袋。中身はいったいなんだろうかと思ったエレンはロベルトに尋ねた。
「これはいったいなんですか?」
「……イヤリングだ」
ぽつりと恥ずかしそうに告げたロベルトの顔は、今度はエレンでも分かるほどに真っ赤に染まっていた。
ロベルトがこの布の袋……イヤリングをエレンに贈った理由は、日頃のお礼というものだ。しかしそんな理由にしてはどうにもおかしいロベルトの態度に、エレンの胸は無意識のうちに高鳴った。
「ありがとう、ございます」
なぜだか恥ずかしくなってエレンの顔も赤く染まっていく。それから二人は互いから視線を外してまごまごしていた。どれほどの時間そうしていただろうか。
「ロベルトさん、申し訳ないけど昼の営業の終了時間なんで、そろそろ……」
「あ、ああ。すまない」
エマがテーブルを片付けるために奥から現れて昼の営業終了をロベルトに告げる。ロベルトは弾かれたように顔を上げるとエマに謝罪の言葉を述べた。エレンも慌ててお釣りを準備するとロベルトに手渡す。その時わずかに触れたロベルトの指先がいつもより熱い気がして、エレンの胸はますます高鳴った。
「では、また」
「ありがとうございましたー」
「ありがとうございました!」
ロベルトが退店する。その後ろ姿にエマはいつもの調子で、エレンはいつもよりも大きな声で挨拶をするのだった。
最後の客であるロベルトが帰ったことによってホールがしん、と静まり返る。エレンがほう、と息を吐いたのと同時、なぜかにこやかな笑みを浮かべたエマがエレンの肩をがっしりと掴んだ。
「いやぁ、いいねぇ、若いって。初々しいわぁ」
エマのその言葉の意味を初めは理解できなかったエレン。しかしエマが何を言っているのか気が付くと、エレンの顔はみるみるうちに赤く染まっていった。
「いや、これはっ、日頃のお礼って、決してそういうのでは……!」
「下手な言い訳に聞こえたけどね、私には。まぁ、はっきり言ってないのは事実だけど」
慌てるエレンを見てエマはくすくすと笑っていた。そして己の見解を述べると、さて! と声を上げた。
「仕事はまだ終わってないよ! エレン、その大事なものを先に部屋に持っていきなさい。その後はホールを片付けてから一旦休憩だよ」
「は、はい」
「そして……今日の営業が終了したら、分かってるね?」
「へ? あ、は、はい……」
本日の営業終了後、再び着せ替え人形にされる運命を察したエレンは、遠い目をして乾いた笑いを浮かべるので精一杯だった。
***
「くっ……! 勢いで渡してしまったが、いくらなんでもあの理由はないだろう……!」
拠点に戻ったロベルトは後悔で頭を抱えていた。
せっかく告白と共に渡そうと思っていたイヤリングを、エレンの話を聞いていてもたってもいられず転移魔法まで使って拠点に取りに戻った。そして日頃のお礼だという理由で誤魔化して渡してしまったことに、ロベルトは自分で自分を殴りたい衝動に駆られていた。
「ああでも、赤い顔をしたエレンも可愛らしい……じゃない!」
「ただいまー……って、ロベルトどうした!?」
ソファにごろりと横になって身悶えていた時、相棒のカイが帰宅した。それにさえ気付かないほどに今のロベルトは錯乱していた。そんな錯乱しているロベルトを初めて見たカイが慌てて彼に近寄った。
「なんか変なものでも食べたか!?」
「子供じゃあるまいし、そんなヘマはしない!」
「じゃあいったいどうしたんだよ?」
いつもの調子で声を掛けてくれたカイのおかげか、ロベルトも少しずつ平時の冷静さを取り戻してきた。ロベルトはゆっくりと体を起こすと、再び頭を抱えた。それを見てこれはよほどのことがあったらしいとカイは判断し、ロベルトの次の言葉を待った。
ロベルトが頭を抱えてからしばらく、沈黙が辺りを支配する。どのくらいの時間が経っただろうか、その沈黙の支配はロベルトが長い溜息を吐いたことによって終わりを告げた。そしてロベルトは今日あったことをぽつぽつとカイに話して聞かせた。
「……エレンに、イヤリングを、渡した」
「おおっ、そうか! それで、返事は!?」
「……告白は、していない」
「はぁ!?」
カイは思わず声を上げていた。ロベルトの口から期待した返事が返ってこなかったどころか、そもそもその返事を聞くための告白すらされていなかったからだ。
「お前、なんのためにイヤリング買ったんだよ!」
「俺とてこんな形で渡してしまうとは思ってなかったわっ!」
「ああもう、お前という奴は、なんで、こうも……!」
今度はカイが頭を抱えてしまった。そして長い長い溜息を吐くと、仕方ない、と口を開いた。
「こりゃあ、エレンの方がガーネットの意味に気付いてくれることに期待するしかないか」
カイのその言葉を聞いてロベルトが眉根を寄せてこう言った。
「ガーネットの意味とはなんだ?」
「へ? まさかお前、よく知らないでガーネットを選んでたのか? いや、それよりもウィルフレッドさんが気を利かせてくれたという方が正しいか……?」
カイは一人で考えて一人で納得していた。ロベルトはそんなカイを見て若干の苛立ちを覚えていた。
「おい、一人で納得するな」
「ああ、ごめんごめん」
ロベルトの苛立ちを感じ取ったのか、カイは素直に謝罪する。そして今し方己が考えていたことをロベルトに伝えた。
「ロベルト、宝石言葉って知ってるか?」
「ああ、宝石一つ一つに意味が込められているのだろう? それは知っているが……」
「じゃあ、ガーネットの宝石言葉って知ってるか?」
「いや……そこまでは知らないな」
ロベルトのその返事を聞いたカイの表情はなぜかにやついていた。そんなにやにやした表情のままカイはわざとらしく咳払いをすると、得意げにこう言った。
「しょうがないなぁ、じゃあ俺が教えてやろう!」
「なんか腹が立つな」
「まあまあ、そう言うなって! でだ、ガーネットの宝石言葉もいろいろあるんだがな……生命力とか活力とか。これはエレンにぴったりだと思うんだ。だけどな、ガーネットの宝石言葉でもっと有名なのは別にあるんだ。それはだな……」
ロベルト以外誰も聞いていないというのに、カイはわざとらしく彼の耳元で小さく囁く。それを聞いてロベルトがカッと目を見開いた。
「……っ!? そ、それは本当なのか!?」
「本当だよ。嘘ついたってしょうがないだろ?」
「そうか……そんな意味が……」
ロベルトはカイからガーネットの意味を聞いて、どこか安心したというような笑みを浮かべる。それを見てカイも小さく笑った。
「こういうのには女の人の方が詳しかったりするから、きっと気付いてくれるさ」
「だといいがな……」
「まぁ、エレンが気付かなくても周りが気付くでしょ、たぶん」
いつも通りの調子のカイの言葉に、ロベルトの心は少しだけ軽くなった。もしもエレンがガーネットの意味に気付いてくれたその時は……いや、たとえ気付いてくれなかったとしても。
ロベルトは今度こそきちんと告白しようと決意したのだった。
書けば書くほどロベルトが残念な人になっていく。




