第陸話 【1】 稲荷神『椿』
天津甕星からだいぶ離れたレイちゃんは、その場で浮遊しながら僕を見てきます。
「気持ちは分かります。ですが、これしかないのです」
「うん、そうだね。分かっているよ……こうしている間にも、人間界は選定者達で……」
「えぇ、それと実は『神の選定陣』は、私のこの霊狐の体にあるのです」
「へっ?」
更にビックリな事を言われちゃいましたよ。例の『神の選定陣』が、レイちゃんの体に?!
「つまり、私と融合すればその時点で……」
「『神の選定陣』が発動する……のですね」
「本来なら。ですが今、京都に張り巡らされている選定陣が起動し、別の選定が行われています。これを止めないと『神の選定陣』は起動出来ません」
「上書きは出来ないんですか?」
「無理です」
つまりどっちにしても、天津甕星は倒さないと駄目なんですね。
あいつを倒せば、今行われている選定は止められる。だけど今の僕では、相手にダメージを与えられない。
「椿、大丈夫です。私は、あなたの心にずっといる事になるだけです。お別れする訳ではないのですよ」
「……意識は?」
「それは……」
「それじゃあ意味がないですよね」
お話出来なければ、触れ合う事が出来なければ、お別れするのと一緒です。
分かっている、分かっているんです。こうしないといけないって事は……それでもやっぱり、他に方法がないかって、そう考えちゃうんですよ!
「椿、ありがとう。その優しさ、それは大事にしておいて下さい。だけど今は、その優しさを胸の内に押さえ込んで下さい」
「くっ……でも!」
「全く……これじゃあいったい、どちらが飼い主なんでしょうね?」
するとレイちゃんは、その体を僕に巻き付け、顔をこちらに近付けてきます。そしてそのまま、僕の目から流れてきた涙を舐めてきました。
「んっ……」
「椿。ようやく、ご両親を助けられたのでしょう? 白狐と黒狐も、体を取り戻したでしょう? 全て台無しにする気ですか?」
「だから、分かっています。分かっている。でも……レイちゃんとの思い出も、僕にとっては大事なんです! レイちゃんとも、ずっと一緒に生きていたいんです!」
するとレイちゃんが、更にとんでもない事を言ってきました。
「椿。このタイミングで、また卑怯と言われるかも知れませんが、私のこの体の霊狐は、霊力を取り込んだり、妖気を渡したりと出来ますが、実はその性質上、寿命が約1年半と短いのです。本来の霊狐でも、2年程度でしょう」
「へっ?」
「だからペットとしても、微妙だったのかも知れませんね。長生きする妖怪達にとっては、この霊狐の寿命は短すぎます」
そんな……本当に、卑怯ですよ。それでも神様かって、そう言いたくなっちゃいます。
「なんとかこの1年でと思っていました。間に合って良かったと言いますか……そして、寿命の短い霊狐の体にしか出来なかったのも、私の力が弱っていたからです」
「それなら、融合したとしても……」
「言ったでしょう。ただの融合ではない。あなたの存在を昇華させるんです。私の力と魂は、そのきっかけに過ぎないです」
すると今度は、レイちゃんの体が光り輝いていきます。
そんな、もう寿命なの?! あっ、違う。レイちゃんが……天照大神様が、僕と融合を始めたんだ。
「待って! まだ……!」
「時間がありません……そろそろ天津甕星が動き出します」
すると、さっきの社の上空から、何かが割れたような激しい音が響いてました。
あの結界が、もう壊されたのですか?!
その後、こっちに近付いて来る天津甕星を見つた僕は、御剱を強く握り締めます。
だけどそれよりも早くに、レイちゃんが腕にも巻き付いてきました。これじゃあ御剱を振れないってば。
「椿、動かない下さい。大丈夫、あなたなら勝てます」
「待って、レイちゃん。僕はまだ……」
だけどレイちゃんは、止めようとする僕を余所に、体の輝きを更に強めていきます。しかも、何か温かいものまで、僕の中に流れ込んできます。
「融合昇華。妖狐椿、稲荷神と成れ」
「ちょっ、レイちゃーー!」
レイちゃんが目を閉じてそう呟くと、その体が全て弾けて、光の粒子みたいになると、そのまま僕の中に入ってきました。
僕の意思は無視ですか……だけど、僕も止めようとしても、強くは止められなかった。
それは目の前から迫る、邪悪な力を溢れ出させている、天津甕星を見たからです。あんなの、本当の僕の力を使っても勝てない。
完璧な天照大神の力がないと、絶対に勝てない。
だから、この事実を受け入れるしかなかったんです。分かっちゃったんですよ。
レイちゃんと融合し始めてから、相手の力量がハッキリと分かったんです。あの状態の僕では、何をどうやっても勝てなかった。
受け入れるしか、なかったんです……。
『さぁ、椿。稲荷神としての、最初の仕事をこなすんです』
「最初で最後かも……ね」
『それは、あなた次第……です』
僕の頭に聞こえてくる、消えいりそうな程にか弱くなった、レイちゃんの声。その声を聞いて、もうレイちゃんはいなくなってしまうんだって、強く実感しました。
それと同時に、僕の中の神妖の妖気が、更に膨れあがっていきます。今まで誰も辿り着いた事のない、手に入れた事のないこの力。僕に扱えるかなんて考えるよりも、動くんです。
「白金の天神槍!」
「ぬぉっ?!」
避けられちゃいましたか、僕の槍みたいな形にした尻尾。だけど、受け止めようとはしなかった。
それはつまり、受け止めたら駄目だと、咄嗟に感じたからでしょうね。だから、当たれば貫けられる。これなら勝てる!
『さぁ。行きなさい、椿。過去を振り返らず、前へ、未来へ、確実に突き進みなさい。あなたならきっとーー』
「レイちゃん、ありがとう」
そんな僕の感謝の言葉に、レイちゃんは返事をしませんでした。もう意識が、精神が消えたんですね。
「ちっ……貴様も、余と同じ事を……!!」
「同じ? 違うよ。お前の融合とは違う。僕は、新たな存在に昇華したんです」
僕の髪は、足までの長さの白金の長髪に変わり、体中から柔らかな光が溢れ出て、着ている巫女服も、巫女服らしい所は残しておきながら、丈や袖口が伸びて、神様が着るような服というか、神に捧げるような服に、神御衣のようになっています。
もちろん、尻尾は無数に出ていて、そのどれもが淡く光り輝いています。耳もちょっと伸びてるかな?
僕の今の姿は、誰が見ても稲荷神だって、そう呼ぶでしょうね。
だけど僕は、この名が欲しくてなったんじゃない。こいつを倒す為に、こうなったのです。そしてこれはレイちゃんの、天照大神様の頼みでもあるんです。
「昇華? ふん。少しばかり力が増しただけで、調子にーーぬぐっ!」
「天神封縛。どうしたんですか? 僕を倒さないと、お前の選定は中止になるよ」
「たかがしめ縄で縛り付けただけで……ぬぐぅぅぉぉおお!」
「たかが、しめ縄? こういうのって、神の力が混ざっている時があるからね。そう簡単には解けないよ!」
「ぐがっ?!」
そして僕は、しめ縄で縛り付けた天津甕星を、無数にある尻尾の内の1本ではたき落とします。本当に、ハエをはたき落としたようにね。
それだけで天津甕星は、地面にうつ伏せのまま落ちて行き、そのまま地面にめり込みました。
ちょっと、ここまでとは思わなかったです。だけど、これなら勝てーー
「わっ?!」
「くくくく……なるほどな。これは、余もーー手を抜けんな!」
ーーると、簡単に思っちゃったら駄目です。こいつも曲がりなりにも、天照大神と対をなす存在。星の神だったんです。力は、ほぼ互角。
そして僕は、見えない力で思い切り引っ張られ、天津甕星の元まで引き寄せられています。
つまり僕は、ようやく相手と同じ土俵に立てただけに過ぎないんです。油断なんかしていると……。
「星神拳爆!!」
「あがっ……!!」
こんな風に、相手の拳で思い切り殴られて、同時に爆発なんかして、余計なダメージを受けてしまいます。
注意をしていれば、こんな攻撃は避けられたはずなんです。僕の駄目な所ですね。
力を手に入れたり、僕自身が強くなったりすると、ついつい調子に乗っちゃうんです。ダメだダメだ。こいつ相手に、そんな事をしていたらダメです。
「くっ!」
そして僕は、仰け反ってしまった体を、そのまま更に仰け反らせ、バク転しながら相手との距離を取り、ある程度離れた所で着地して、そのままゆっくりと立ち上がります。
う~ん。この服、裾を巻き込みそうになっちゃうよ……もう少し、丈の短い物が良かったですね。と言っても、不思議と邪魔にならないように靡くんですよ。
さて。ここからが、本当の勝負の始まりですね。