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ホルモンバランス10080  作者: 瀬野とうこ
第四章 : フォルクローレは空を飛ぶ
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第九話

 いよいよこの日がやってきた。

 学園祭の本番だ。

 昨日まで学内の空気が浮き足立っていると感じていたが、この日は朝から、まさに祭りにふさわしい熱気に満ちている。


 午前中は、菜々と学校中を見て回った。

 菜々が一緒に行動しようと誘ってくれたのは、素直に嬉しかった。

 並んで歩いていても、少しだけ以前とは感覚が異なる。

 毎日が変化のくり返しだと、あらためて思う。

「ミオには負けたくないの。はい、これ」

 途中、幾何学模様のリボンを渡されて、郁は手持ちのリボンが二つに増えた。

「このリボンって、どう活用するの?」

 頭に結んだりはしないのかと訊ねたら、髪の毛を本物のリボンで結んでいる人なんて見たことがないと、笑われてしまった。

 人や場所に合わせて鞄に結ぶほうがよほど手間だと思うのだが、そういう問題でもないのだろうか。

 とりあえず、紛失にだけは気をつけないといけない。


 午後からは体育館において、クラスや部活ごとの発表がある。

 郁のクラスもいよいよ本番を迎えるというわけだ。

 演劇や漫才、討論会など、プログラムが進むうちに緊張感も増してくる。

 横目で見ると、沙也はもうがちがちになっていた。

 声をかけたかったが、席が遠い。

 隣に座っている叶がなにやら話しかけている様子なので、おそらく多少は気が紛れているだろうが、表情は硬いままだ。

(それだけ本気で臨んでいるということだよね)

 素晴らしいステージになるよう、自分にも発破をかけた。


 ところが、いざ控え室に移動する段になると、美桜が腕を組んできたので緊張感も吹っ飛んだ。

「ねえねえ、委員長さんってば、それからどうなのよ?」

「小島さん。どうって何が」

 わざとらしく美桜が声をひそめる。

「清く正しい男女交際をしてるの? どんな付き合い方をするのか、興味あるのよねー」

「……進展なんて何もしていないよ。少し待ってみるように言ったのって、小島さんだったよね」

「えっ。冗談でしょ、それっていつの話よ」

 露骨に不満そうな声を漏らす美桜がおかしい。

「そんなに前のことでもないよ、覚えてないかな」

「そうじゃなくて。情けないわね、何をちんたらやってんのよ!」

 どうやら以前交わした会話を忘れてしまったわけではないようだ。

 美桜の言うところの『少し』は、とっくに過ぎていたのかもしれない。

 要領の良い美桜のようなタイプからすると、郁は信じられないほど手際が悪く見えるのだろうか。


「そうは言っても、あまり近づきすぎるのも好まれないようだから」

「それで? 大人しく引き下がってるとでも言うの。がっかりさせないでよ」

「ええと……、それって今ここでするような話なのかな」

「待ち時間なんて他にすることないじゃないの。ほら、話して。私の好奇心を満足させてよ」

 そう言われても、話して聞かせるだけの実があるような話題も思いつかない。

「うーんと、一度は引き下がるべきなのかとも思ったんだけど、自分の気持ちは変えようがないと思い直したところなんだよね」

 美桜がふんと鼻を鳴らす。

「そんなの当然じゃないのよ」


「とはいえ、無理強いができるようなことでもないし、少し時間をおいてみようかと……」

「ばっかねー!」

 美桜の罵倒は心地よい。

(人柄なのかな。不思議だね)

「そんなの、押し倒しちゃえばいいのよ!」

(またそんな)

「いやでも、相手の気持ちを大事にしたい……よね?」


「自分が手に入れることのほうが大事でしょ! 言ったわよね、タイミングと思いやりが必要だって」

「うん、聞いた」

「思いやりはもう示したでしょ。タイミングはね、強引に自分から引き寄せるものなのよ。だからさあ、ほら!」

 手のひらで背中を叩かれた。

 激励のつもりなのだろう、痛くはないが、うなずくわけにもいかない。

「やっちゃえ、やっちゃえ!」

 はやしたてる美桜に、困った人だねと口を開こうとしたところで、ステージの順番が回ってきてしまう。


「次、出るよー!」

 叶がダンス班のメンバーを見回す。

 本当に、こんな話をしている場合ではなかったのだ。

 舞台袖から見つめるステージは、ライトの照らす別世界のようだ。

 頭を切り替えて、唇を引き結ぶ。

 しなだれかかっていた美桜が離れて、見ると彼女もすっかり本番前にふさわしい引き締まった面持ちをしていた。

「楽しみね」

「本当にね。いいステージになるよう、精一杯やろう」






 幕が上がる。

 心がしんと静まり、集中力が増すのがわかる。

 不思議な心地だ。

 スタート直前のこの瞬間、たしかな連帯感に包まれていると感じる。

 大太鼓の合図に、背中を押された。

 フォルクローレの乾いた音が、建物の中いっぱいに広がっていく。

 周囲をとりまく太鼓のリズムに包まれて、腕も足もやけに自由に動くのが、とても不思議で心地がよかった。


(ああ、この声――)

 かすれた声でメロディを口ずさむ奈月の姿が見えた気がした。

 音が身体中に染みわたるようで、顔が自然とほころんだ。

 クラスメイトの衣装がひらひらと視界をよぎる。

 別々の動きをしていても、同じリズムにのっているのが伝わってくる。

 自分もその中のひとつで、太鼓を叩いている人たちだけではなく、音響や照明を担当している生徒たちとも、客席に座っている人たちまでも、広くつながりこの場を共有しているのを感じていた。


(なんだかこれって、飛んでいるみたい)

 高揚感に押し上げられるのだろうか。

 集中しているのに、どこか現実離れしているような光景の中、浮遊感にとらわれる。

 もしかするとこの一時、あれほど焦がれた風の一部に近づいているのかもしれなかった。

(とてもいい気分)

 リズムをしっかりと踏みしめて、足が床を叩く。

 雲もないような色あせた、広大な午後の空を思わせる音色が響きわたった。


 終盤は、動きを合わせての群舞がある。

 一層周囲の動きに気を配りながら、音をどんどん吸い込んでいく。

 草が揺れる。

 岩山の上を鷹が飛んでいく。

(違う、鷹じゃない)

 飛ぶのはもちろん、コンドルだった。






 最後のお辞儀にふりそそぐ拍手の音まで、肌に溶け込むようだった。

 間違いなしの大成功だ。

 ステージの上のクラスメイトの顔ばかりでなく、客席にならぶ笑顔までよく見える。

(よかった)

 人を笑顔にするだけの力はあったのだろう。

 充足感にはちきれそうだ。


「郁!」

 顔を真っ赤にさせた沙也が抱きついてきた。

「ありがとう」

 こんなに感情をあらわにする彼女を見るのは初めてだ。

 思い出が喜びに彩られるのは、本当に素敵なことだと思う。

 たちこめる熱気にめまいがしそうだ。

 沙也を抱き返すうちに、自分の息がはずんでいることに気づく。

「みんな、とっても素晴らしかった!」

 皆の中には沙也も含まれているのだと伝えたかったが、言葉にするだけのゆとりがない。

 どれほど夢中で踊っていたのか、郁は呼吸を整えるだけで精一杯だ。

 代わりに、背中を支える腕に力をこめる。


 飲み物を飲んでひといきついたところで、あらためて沙也に伝えた。

「おめでとう。皆の努力の成果だね。とてもいい学園祭になったよ」

「いやね、郁。学園祭はまだ明日もあるのに」

「沙也にはお礼を言わなきゃね。あの音楽だからこその出来映えだよ」

 顔をゆがめる沙也は、抱きしめたいほどにいじらしかった。


「郁」

 声がして、振り向いた。

 耳をくすぐる落ち着いた声。

「奈月くん。太鼓、とても良かったよ」

 踊りやすくて、リズムに後押しされるようだったと伝えると、彼は目元をやわらげた。

「ありがとう、まとまりのあるいいステージだったね」

「録画したデータ、もちろんクラスのみんなには後で送るから」

 そう言い捨てて、なぜか沙也が立ち去ってしまう。

「今、いい?」

 うながされて、奈月と体育館の外に出た。


「あ、見て、いわし雲」

 空を指さす。綿をちぎって並べたような、特徴的な雲が伸びている。

「秋だね」

「うん、今日は晴れてよかったよ」

 平静を装いながらも、ステージにあがる前よりよほど緊張していた。

 何か話があるとして、何を切り出すつもりなのか見当がつかない。

(この間のような重い雰囲気ではないけれど)

 警戒しながらも、誘ってくれたことに心が浮き立つ。


 次の出し物が始まったのだろう。

 体育館から音楽が漏れ聞こえてくる。

 校舎との境まで来たところで、奈月が足を止めて振り向いた。

 言うべき言葉も見つからなくて、郁はただ、柔らかな光を宿す瞳をじっと見つめた。

「まだ、言ってなかったと思って」

 まばたきのみで、続きをうながす。

 奈月の眼差しは、とても静かだ。


「郁が好きだよ」

 たぶんしばらく、呼吸が止まった。

「ごめんね、避けてて。腹を据えるのに時間がかかったんだ」

(……これってもしかして)

 どういう展開をみせるのかわからずにいた発言が、肯定的な方面へと流れる気配をみせはじめた。

「郁は気づいてなかったろうけど、もうずいぶん前から好きだった。けれどそんな気持ちを受け入れるのに、今までかかった。煮え切らない態度をみせて、迷惑をかけたね」


 郁はぽかんと口を開けて、ひたすら奈月を見上げていた。

 彼の放つ言葉の意味がじわじわと理解されていくにつれて、途方もなく顔に熱が集まるのを、どこか遠くで感じていた。

「え、と、それって……、あの、私?」

 困ったように微笑む彼から目が離せない。


「さっきのステージは楽しかった?」

 急に話を変えられてとまどう。

「あっ、うん、そうだね。私は完璧だったと思う」

「嬉しそうに笑っていたね」

「そうかな、うん」

「正直なところ、前向きな笑顔に少し見とれた」

(えっ、え、何事?)

 逸れたと思った話は、元の軌道に乗ったままだったのだろうか。


「でね、見ているうちに思ったんだ。もっとずっと一緒にいたいって」

 喉が鳴った。

「――ありがとう。私、私もだよ」

 奈月ともっと一緒にいたい。

 たくさん話して、わかり合いたい。

 夏に出会ってから、ずっとそんなことばかり考えていた。


「あ!」

 郁の口から驚きの声があがる。

「どうしたの?」

「もしかして、これって告白なの!?」

 まさかと思って問い詰めると、なぜか奈月は笑い出した。

「そうだね、これは告白です。あいかわらず、おかしなところで少し鈍いね」

 郁の目がこれ以上ないほど丸くなる。

 夢かと思って頬をつねる人の気持ちがわかった気がする。

(うわ、うわあ……!)


「距離を置きたいと言ったのを覚えているよね」

「うん」

「あれは、それだけ僕が臆病だったということ。怖じ気づいたんだ」

「……怖じ気づく?」

「そう。でも出来なかった。自分の鎧を守るより、郁と一緒にいたいと思った」

 奈月が郁に手を差し出す。

 まっすぐに伸びたきれいな指が、郁へと伸びる。


「振り回してしまったよね、ごめん。改めてお願いがあるんだけど」

 ここに至って、ようやく胸が高鳴りだした。

 うるさいほどに、興奮と喜びのリズムが身体を押す。

「郁が好きなんだ。僕と付き合ってくれないかな、――君と歩む許可がほしい」

 言葉よりも先に、手が動いた。

 差しのべられた手を両手で包む。


「私も奈月くんがとても好き。大切な人だもの。……こうして触ったら、離したくなくなるくらい好きだよ」

「気が合うね、僕もだ」

「……本当?」

「もちろん」


「お願いがあるの」

「何?」

 熱にうかされたような、のぼせあがった声が出た。

「もう一度、好きって言って」

「好きだよ」

「私のほうが好きだよ!」

 再び奈月が笑いをこぼす。

「そんな怖い顔して言わなくても」

(えっ)

 少しショックだ。怖い顔などしていない。


「けどまあ、OKってことだよね。よかった」

「もちろん。私ずっと、奈月くんと一緒にいたいって言ってた……よね?」

 握りしめていないほうの手が伸びてきて、郁の頬を支えた。

 影がさして、額に軽くくちづけがおちる。

(なんだろう、むずむずする)

 握る手に力をこめた。

 そこから少しでも、真心が伝わればいいと願う。


「話したいことがあるんだ」

 まだ、さらに。何があるというのだろう。

「うん」

 頭の中はいっぱいだったが、彼の語る言葉ならいくらでも聞いていたいと思った。

「話して。私も、これからたくさん話がしたいの」

 奈月の向ける眼差しが柔らかくなった。

「僕がいかに臆病かという話だよ」

(わあ、意外)


「それは興味深い話になりそう。腰を落ち着けて話さない?」

「そうだね。向こうのベンチに移動しようか」

 奈月が花壇の脇を示す。

「賛成」

 手を引かれて歩く。

 手をつないだままで歩けることが嬉しかった。

 肩をならべて歩けることが、やわらかな口調で名前を呼ばれることが、嬉しかった。

 名を呼ぶと、眼差しが向けられることが嬉しい。

 好きな人に好きだと言ってもらえることが、自分を強くするのだと初めて実感する。


「奈月くんに会えてよかったとよく思うの。いつかお礼を言わせてね」

 この数ヶ月、彼との出会いを機に、ずいぶんと郁は変わった。

 この手をとったことで、これからも変化は訪れるのだろう。

 それでいいのだと、認められる。

「ありがとうって? また怖い顔で言うの?」

 打ち解けた笑顔を向けられることが、勇気を与えてくれる。

「うん。怖い顔ででも。何回でも言うよ」


 つないだ手を、離さずにいよう。

 大切なものさえ見失わなければ、きっとおそらく、どうにかなるのだ――。




END

完結しました。

最後までお付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。

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