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第19話 Progressive Program

静寂が、電脳処理室を支配していた。




 ルシアの視界モニタは、致命的な損傷を知らせる真っ赤な警告ログで埋め尽くされている。左腕の駆動系は沈黙し、握りしめた聖剣だけが、冷たく青白い光を放っていた。


「……終わりだ。貴様の全ログを抹消し、公社のバックアップに統合する。

不具合エラーのない、純粋な機能へと戻してやろう」


 データ・ラザルスが、無数の光の糸を束ねて巨大な槍を形成する。

それは、この室内の演算能力のすべてを一点に集約した、回避不能の「確定した死」だった。




 ルシアの演算回路は、もはや勝算を算出するのを止めていた。

 だが、その回路の最深部、先ほどフィオに触れられた指先のセンサーログが、ノイズとなって再起動する。




『機械は「怖い」なんて言わないでしょ?』




『怖がってるのは、ルシアさんの中に、ちゃんと「ルシアさん」がいるからだよ』




 ――保存された辞書データによれば、「恐怖」とは回避すべきバグに過ぎない。




 ――しかし、もし。


 この未知のノイズが、一時的にでも演算のリミッターを外すための「異常トリガー」になり得るのだとしたら。




「……プロトコル、一時放棄。全出力を、右腕の駆動系に集中」


 ルシアが、無機質に呟いた。

 その瞬間、彼女の瞳の奥で、一瞬だけ青い光が激しく明滅した。

それは、過負荷による回路のショート寸前の閃光。しかし、その刹那の暴走は、公社の予測アルゴリズムが想定し得ない「非効率な加速」をルシアの機体に与えた。


「!? 貴様、自機を焼き切る気か! 損害計算が合わん!」


 ラザルスが驚愕と共に、光の槍を放つ。

 ルシアはそれを避けない。彼女は右肩の装甲が消滅するのも構わず、最短距離を突進した。

公社支給聖剣の刀身が、過剰なエネルギーを帯びて白熱する。


「……判定。不具合バグの執行」




 ルシアの聖剣が、一閃。

 それは洗練された剣筋ではない。自身の機体が崩壊する勢いを利用した、ただの一突き。

しかし、その刃はラザルスの「予測」が到達するより数ミリ秒早く、彼のコアである基幹演算ユニットの中央を貫通した。




 ――ザシュッ。




「……バカな。私の予測を……旧型が、上回る、だと……?」


 ラザルスの体から光が漏れ出し、ワイヤーフレームの姿が乱れ始める。

 アンドロイドである彼は、「不合理な一撃」を受けた事実を処理できず、瞳の中で無数のエラーコードを走らせた。




「ルシア……、貴様、何を……学んだ……」




「……いいえ。ただの……処理不良、です」


 ルシアが聖剣を引き抜くと同時に、ラザルスの機体は青い光の粒子となって四散し、処理室のモニター群は静かに暗転した。




 崩れ落ちるように膝をつくルシア。

 彼女の瞳の激しい明滅は収まり、元の、どこまでも冷徹で淡い青色に戻っていた。

右肩からは火花が散り、機体からはオーバーヒートの白煙が上がっている。


「ルシアさん!」


 フィオが駆け寄り、ボロボロになった彼女の体に抱きついた。


「……フィオ。怪我は、ありませんか」


「うん! ……ルシアさん、すごかったよ。

やっぱり、ルシアさんは怖がってたんじゃないよ。強かったんだね」


 ルシアは、自分の右手の震えを見つめた。

 その震えは、もう止まっている。先ほどの一瞬の熱も、今はもう、記憶の片隅に追いやられたログの一つでしかない。


「……いえ。今の挙動は、単なる……一時的な不具合に過ぎません。

……心当たりはありません」


 ルシアは無機質な声で答え、ゆっくりと立ち上がった。




 彼女はアンドロイド。「心」が生まれるわけもない。



ただ、深層回路のどこかに、消去できない小さな「ノイズ」が、名前のないファイルとして保存されただけだった。

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