50.平和と秘匿
ルカーシュが辺境から去りひと月。
魔物の討伐が進んだ平原には、平和とのどかさがやってきた。
魔力澱みは大きく数を減らし、奥地まで踏み入れない限りは魔物と遭遇する事もない。代わりに本来生息していた兎やライディルが数を増やし、谷まで追いやられていた野生の馬たちも徐々に戻りつつある。
ルカーシュが帰ったあの日。
引き取りに来たファビアンは“軍師の才の発露と彼の作成した地図と図鑑”の話を聞くなり目を輝かせた。
「へえ、いいじゃない!軍師に地図に魔物図鑑?戦で大活躍の才能の大盤振る舞いじゃないか!いや〜やっぱりセリウスの元に預けてよかったなあ!僕は間違いなくいい結果になるってわかってたんだよねえ〜!“我が親友とその奥方様の手にかかればどんな問題も一発解決!”なんてね⭐︎そうでしょセリウス?あっ、ファルメス卿には僕が説明するから、裏付けの為に君の一筆を貰っていこうかな〜!」
という彼の良く回る口添えと、セリウスのしたためた手紙によって鬼のファルメス卿は見事懐柔され、図鑑に大きく興味を示したヴィオレッタ女史の出資を受けて、校正を加えたそれらは大々的に出版されたのであった。
そしてその“魔物大全”は悩める領主や王都の学者達に高く評価され、瞬く間に本屋は初版の在庫を切らした。
それらはすぐに重版となり、
“どうか我が領の魔物も図鑑に”
“ぜひ学会で発表を!現地で目にした魔物の情報をより詳しくお聞かせ願いたい”
と現在、彼は引っ張りだこなのだとか。
そして一月が経った今。
そういった事の経緯が記された一通の手紙がルカーシュから届けられたのである。
“あなた方へのご恩はとても返しきれそうもありません。ですが、有事の際はいつ何時であっても駆けつけましょう”
流麗な字で感謝を綴られた手紙には、一枚の絵葉書が同封されていた。
「こっ、これは...」
セリウスとステラは思わず言葉を詰まらせる。
そこに描かれていたのは、白いアリーシカを纏ったステラと向かい合うセリウス。
絵の中の二人は穏やかに手を取り合って見つめ合う。ぐるりと花のレリーフに縁取られた様は、まるで恋愛譚の表紙さながらのロマンチックな仕上がりだった。
「良いではありませんか。玄関にでも飾られては?」
「いや...それは...」
「......」
あまりに耽美すぎる絵姿に、当人達は目を逸らして赤面してしまう。
だがジェンキンスは微笑みを浮かべて返事を待たず、速やかに額縁へそれを納めた。
————
数日後。
「なー、その作業いつ終わるんだよ」
「まだかかる」
「まだっていつだっつってんの」
「しばらくだ」
執務室で何やらまとめられた書類に向かうセリウスへ、頬杖をついたステラがじとっと睨む。
セリウスはおもむろに立ち上がると本棚に向かい、顎に手を当てて背表紙を撫でていく。
“平原の民との和平交流折衝録”
“平原遊牧民の実態調査報告纏め”
“ヴェルドマン家系譜及び辺境における統治記録”
これらは“祖父の代までは親交があった”というジェンキンスの言葉を受けて、書庫から探し出させた書物。
その内容から実際に親交があったことは確かのようだが、未だ戦の原因となった事象は発見できていない。
“血を以て根絶やしにせん”
幼き頃に繰り返し聞いた父の言葉。
事実、平原から姿を消された民族。
だがなぜ平原の民と我が領は、滅ぼし合う程までの戦となったのか。ジェンキンスや当時の騎士達に尋ねたところで、“突然あちらから攻め込まれた”以上の理由は得られなかった。
昨夜ステラにも聞いてみたものの、彼女は
“この領土が欲しくなったから攻めた。戦争なんてそんなもんだ”
とさらりと笑って返すばかり。
そして深く掘り下げようとするこちらの唇を塞ぐなり、“もういいだろ、お喋りは”なんて色っぽく囁かれたせいで、結局なあなあになってしまったのだ。
ステラという女はこちらが迫れば赤くなるくせに、都合の悪い事を隠す時や、子供扱いする時ばかり余裕ぶった積極性を見せてくる。
初めはそれが彼女の気の強さや、蛮族らしい“奪う”気性なのだと思っていた。
だが彼女と生活を共にするうちに、蛮族が野蛮だという価値観は誤解であった事が良くわかった。
彼女は素朴な生活を好み、他所からも人を受け入れ、少女や弱者にまで手を差し伸べる。
そして何より自由な平原の暮らしを愛する彼女が、石畳みで舗装された町を欲しがるようには思えない。
こちらに戦をしかけるとすれば、何らかの差し迫った理由があったのではないか。
「なー、もういいだろ。遊びに行こう。狩りはどうだ?弓を見せてやる」
だが全てを知るはずのステラは“それ”を調べようとする自分に対して、こうしてちょっかいをかけては引き剥がそうとするのだった。
彼女は以前から、平原の民の暮らしや食べ物や狩りの話なんかは自発的にするくせに、前世の自分の話となると武勇伝以外はしたがらない。
その頃に何を考えていたのか、どうして女であるのに長となったのか、なぜそれほどに父と斬り結んだかの理由については“お前が気にすることじゃないよ、坊や”と笑うばかりで全く教えてくれもしない。
そうなるとますます調べずにはいられるものか。
「わかったから待て。この調べ物が終わってから...」
背を向けて言いかけたところで、パン!と尻を引っ叩かれる。
「何をする」
苛立って横目で背後を睨めば、ステラは悪びれない顔でもう一発パン!とセリウスの尻を軽く叩いた。
「何ってそこにあるから」
「ほう」
人が真剣に向き合おうとしているというのに、なんなのだこの妻は。思わず本を置いたセリウスは振り返ると、腰に手を当てて彼女にゆっくり迫った。
「つまりそこにあれば良いわけだな。同じことをしてやろう、さあそこに直れ」
「いやだ!お前がいつまでも遊ばないのが悪いんだろう!」
「だから遊んでやると言っている。俺よりも倍は叩き甲斐がありそうだからな」
「どういう意味だコラ!!」
じりじりと迫るセリウス、廊下に飛び出して距離を取るステラ。
「ちょっと叩きたくなっただけだろーが!」
「奇遇だな。俺も今そう思っている」
「はしたないぞ辺境伯!」
「二度も叩いた夫人が言うことか」
不敵な笑みを浮かべて歩み寄る彼と逃げながら怒鳴り返す彼女に、執務室へ茶を運んでいたジェンキンスはくすりと口元を押さえる。
あれほど触れ合いから逃げていた奥方様も、今やご自分から旦那様に触れに行くようになったもので。
その触れ方は不器用で、軽く叩いたり、後ろから頬をつついてみたり、肩をぶつけたり、はたまた二の腕をつねってみたり。甘えたいのに甘えられない———まるで好きな子をからかう男児か、懐き始めた野良猫のよう。
つまりは、奥方様の恋心の高まりは見るに明らかなのである。
「やれやれ、本日も仲がよろしいことで」
唯一この場でそれを知っているジェンキンスは、ついつい頬が上がってしまうのだった。




