48.宴の準備
そして次の日。
「平原の蛮族の記録ですか。確かに残っておりますよ」
セリウスとルカーシュに尋ねられたジェンキンスは「お待ちを」と一言告げて姿を消す。
そして書庫から執務室へ戻ってきた彼は、古びた本を何冊か机の上にどさりと並べた。
「かなり古い記録ではありますが、旦那様のお祖父様、アリウス様の代までは親交がありました。その頃は蛮族と呼ばず平原の民と呼んでいたようです」
ジェンキンスがめくった本は表紙が擦り切れていたものの、中のインクはしっかりと残されていた。
そこに記された内容は、平原の民と行った食糧や毛皮等の物々交換の記録と、また彼らの生活様式についての丁寧な描写。
屋敷の歴史を知る彼が言う通り、かつては辺境領と平原の民は互いに良い関係を築けていたらしい。
「興味深いな...。父は蛮族に対する憎しみは頻繁に口にしていたが、こう言ったことは教えもしなかった。領地の歴史を知る上で必要な知識の筈だが」
セリウスが顎に手を当てて本を覗き込むと、ジェンキンスは頷く。
「クラウス様が継がれてすぐに関係が悪化し、戦が長く続きました。大きな裏切りと見た当時の旦那様は、これらの親交があった事実をご子息に見せたくなかったのでしょう」
ジェンキンスの言葉に、セリウスは複雑そうに黙り込む。ルカーシュはそんな彼らの表情を少し気まずそうに見つつも、ぱらぱら、といくつかページをめくった。
そして平原の民の絵が記されたところで、彼はめくる手を止める。
「...ありました!これが平原の民の民族衣装...。こちらの服とは全く作りが違いますが、美しいものですね」
本に描かれたそれぞれの衣服は、布を胸の前で合わせ、太い帯が腰に結ばれているものだった。
男女共に襟周りや袖口などに狐や狼の毛皮がふんだんに使用され、布には細かな刺繍が施されている。
ボリュームのある毛皮の被り物に、大振りな銀の装身具。耳や胸元を飾るそれらに赤や緑の瑪瑙をあしらった装いは、彼らの髪と目の色を表すようで華やかだ。
「セリウス、この衣装を奥方様に作りましょう」
ルカーシュはページへ指を差しながらセリウスを振り返った。
「本来は鮮やかな色で染め上げるようですが、せっかくやり直すなら花嫁らしく純白はどうでしょう。間違いなくお似合いになると思いますが」
セリウスはルカーシュの言葉を受けて、衣装を纏った妻を想像してみる。
異国情緒に溢れた刺繍、ふわふわとした白い毛皮と銀の装飾。それらを身に纏った彼女は雪豹のように勇ましく、優雅で美しいに違いない。
気付けば彼は「確かに」なんて無意識に頷いていた。
それを聞いたジェンキンスは、悪戯っぽく片目を瞑る。
「では早速手配をいたしましょう。毛皮職人にお針子に銀細工師。同時に間に合わせる為には急がなければ」
「ええ。そして今度こそ“愛しい妻の晴れ姿”をちゃんと焼き付けなければね、セリウス?」
続けてルカーシュににっこりと微笑まれ、セリウスは黙り込んだまま、かあ、と顔を赤くする。
そして一つ咳払いをすると「...頼む」と彼らに頷いた。
————
「ルカーシュの為に宴を開く?」
ステラが庭のティーテーブルで紅茶を傾けると、向かい合ったイリーゼが笑顔で頷く。
「はい!私たちはこのままお世話になることが決まりましたけど、ルカーシュさんはあと一週間ほどで領に帰ってしまうでしょう?」
イリーゼは庭から離れた訓練場に視線を送って、今日も熱心に槍を振るう兄を見つめる。
正式に騎士として雇われたイズラールと軍医見習いとなったイリーゼ。二人はそれぞれ兵舎寮と使用人寮の一室を与えられ、屋敷に勤めることとなった。
だがルカーシュはそもそも、騎士として叩き直されるために辺境に預けられたのだ。
軍師の才を実戦で磨き、図鑑と地図の完成も間近に迎え、月の終わりには自領へと帰る事が決まっている。
「せっかくだからお祝いも兼ねて見送りたいねって兄さんと話していたんですよ。それを相談したら、旦那様が“構わない”とおっしゃって」
「ふうん?あのセリウスが?」
いったい、いつの間にそんな話を進めていたんだか。もしかして昨日の未練がどうたらと言っていたのは、ルカーシュについての事だったのだろうか?
ステラは持ち上げていたカップを置くと、「ま、いいんじゃないか」とイリーゼに微笑んだ。
あいつが同意するなんて珍しいこともあるものだが、子供の頼みには案外弱いのかもしれない。
イリーゼはなにやらほっとした様子で胸を押さえると、身を乗り出して言葉を続ける。
「それで、暖かくなってきたのでお庭で賑やかにするのもありかなって思うんです。せっかくなら騎士のみなさんも呼んで!」
「へえ、そりゃ名案だ。ルカーシュも喜ぶだろ」
なかなか楽しそうな事を思いつくもんだ、などとステラはくすりと笑って機嫌を良くする。
イリーゼはその様子を見てさらに話を盛り上げた。
「なのでお酒やご馳走なんか用意して、お花で飾って華やかにするのはどうでしょう?」
「いいねえ、酒とご馳走か!花は置いといて、飯は宴に付き物だよなあ!」
「そうでしょう、そうでしょう!」
すっかり乗り気になったステラの笑顔に、盛り立てたイリーゼはよし!と拳を握る。
(兄さん、ちゃんと機会は整えたわよ!)
そう。イリーゼはイズラールから頼まれて、ステラを宴に焚き付ける役を買って出たのだ。
“辺境伯夫妻の結婚式をやり直す”なんてロマンチックな提案に、乙女心がくすぐられないわけがない。
(それに、私たちに未来を与えてくださった奥方様にご恩返しができるいい機会だわ!絶対に成功させなくちゃ!)
なんてイリーゼは意気込んでいるが、ステラといえば頬杖をつき「久々のご馳走か...」と呟いて、ぺろりと舌なめずりをする。
黒パン、酢漬け、豆のスープと赤身のロースト。
素朴な辺境の食事は嫌いじゃないが、やはりご馳走と聞けば楽しみになるものである。
テーブルの上にずらりと並ぶ、ワインにエールに山盛りのチーズ。薔薇色の燻製魚と、黒く輝く塩漬け魚卵、それらを乗せる狐色のブリニも崩れるほどに重ねたい。
バターとクリームをたっぷり乗せて焼いた芋、塊のライディルの肩肉をほろほろに煮込んだやつと、真っ赤なざくろに色とりどりのベリーたち。
それからやっぱり、なんといっても!
「せっかくの宴なら、羊の丸焼きは欠かせないよなあ!」
前世において、何よりの贅沢だった羊の丸焼き。
なのに今世に生まれ変わってから、まだ一度も口にできていない。そして宴と聞かされる今日まで、すっかり忘れ去ってしまっていた。
どうしてだろう。前世で一番と言っていいほど好んでいた筈なのに。
ああ、思い出したら急に食べたくなってきたな...!
熱気の中で弾ける炭火、落ちてジュウと音を立てる脂、こんがりと焼けた香ばしい皮に、野生的な肉とスパイスの香り...!
うん、この機会だ。絶対に食べたい。
どうしても食べたい!
あの肉汁滴る骨付き肉に思い切りかぶりつきたい!
何を隠そう、あたしは羊については捌くのも焼くのも一族で最高の腕と自負していたのだ。“羊を制するものが全てを制す”なんて格言があったほどだ。今世でも上手く焼けるに違いない!
「よし、セリウスに羊を用意させよう!まるまると太った脂の乗ったやつだ!騎士達も食うなら6頭はいるかな...!」
ステラはそう言うと、きゅっとイリーゼに向き直る。
「いいかイリーゼ。丸焼きの極意はな、しっかり血抜きをすることだ。あとは塩をまんべんなく刷り込んで、仕上げの馬芹は絶対に欠かせない!だが任せておけ!最高の羊をお前に振舞ってやるからな!」
その目は爛々と輝いて、笑った口元からはきらりと牙を覗かせる。
気がつけば目の前の奥方様は謎のやる気に満ち溢れ、ロマンチックを期待していた姿はさっぱりどこにも見当たらない。
「ええと、奥方様はさっきから何の話をされていらっしゃるんですか...?」
ぽかんと口を開けたイリーゼに、ステラは「羊だ羊!」と豪快に笑うのだった。
どんより落ち込んでいたセリウスの為に動き始めた面々と、羊に並々ならぬやる気を出すステラ。
ルカーシュの別れも近く、次回は賑やかになりそうです。




