46.ほどける絡まり
「胸壁への急激な圧迫による肺挫傷ですね。範囲も小さく、毛細血管の損傷による一時的な出血で呼吸音がぜろぜろしているだけです。痛み止めと経過観察で治癒を待ちましょう」
ゼーマンが何やら魔石の嵌め込まれた器具をステラの胸元へ当てて、耳から外す。イリーゼから肩の傷へ消毒を受けながらそれをじっと見つめていたセリウスは、はあ、と安堵のため息をついた。
「だーから言ったろ、大事無いって。セリウスもルカーシュも無駄に深刻な顔しやがって」
ステラがうーんと伸びをしてベッドへ仰向けに倒れ込む。
「あれほど血を吐かれて動じずにいられるか」
「そうですよ、私はこのままもしかしたらと思って...」
セリウスが眉をぐっとしかめて嗜め、張り詰めていたルカーシュがはああ...と脱力する。
「すまんな、ルカーシュも騙して悪かった。流石に夫人と知れては都合が悪くてさ」
から、と笑ったステラは悪びれない。
彼女にとっては女だと明かした上で、妹だと咄嗟に誤魔化した事がバレてしまったに過ぎないのだ。
それまでの嘘のおかげで、ルカーシュが存在しない“カーラ”に本気で想いを募らせてしまったなどと知る由もない。
「いえ...。それより、まさか私以外の全員が奥方様だと知っていたなんて...」
ルカーシュはそう言いながら、へなへなと涙目で項垂れてしまう。
まったく、自分の鈍感さときたら...。
ここで手当てを受けている騎士達もイズラールも、イリーゼまでもが知っていたというのに。
声が似ているのも姉妹だからと疑いもせず、危うく既婚者に本気の告白をぶつけてしまうところだった...。
完全に伝え切る前で良かったと言うべきか、タイミングが良いのやら悪いのやら。
「旦那様も奥様も騎士達の振る舞いで全く気付かねえんですから。俺ぁ今日まで複雑でしたよ」
ゼーマンが無精髭を撫でながら苦笑すると、セリウスとステラが気まずそうに同時に「う...」と唸った。
そんな姿にイリーゼがくすりと口元に手を当てる。
「まあ、いいじゃないですか。これで動きやすくなったことですし」
「そうですよ!俺たちも言い間違わずに済むってもんです」
「敬語とタメ口を交互に使い分ける気苦労をご存知で?」
「旦那様の前で間違えようもんなら首が飛ぶと必死でしたよ」
イリーゼと負傷した騎士達に揃って笑われて、セリウスは「ならば早く言わないか...」と目元を押さえ、ステラは「わあったわあった、悪かったって」とむず痒そうに目を逸らす。
そして顔を赤くしていたステラは、はっと何かに気がついたようにがばっと起き上がった。
「ていうかそれならこんな鎧もう脱いでいいよな!?そもそもこんな重てえ装備がなけりゃ、今回だって避けられたんだよ!」
ステラがそう言うなり、セリウスがぐっと眉根に皺を寄せた。
「いや、駄目だ。安全が保障されんだろう」
「うるせえこんなもん付けてっから余計に危ねえんだ!中でぶち当たった時、痛過ぎて息が止まったぞ!」
「だが鎧があるから今まで無事でいられたのだろう」
「これはただの重りだ馬鹿野郎!」
「馬鹿とはなんだ素直に言うことを...!」
「いえ、奥方様のおっしゃることは正しい」
セリウスが焦って声を上げかけたところに、ゼーマンが遮るように野太い声を被せる。普段は主人へ異論一つ述べないはずの彼の主張に、セリウスは思わず口をつぐんだ。
「奥方様は確かに筋肉質であられるものの、この重装は“鍛えた”男性向けのもの。男女で筋肉の基礎量は異なります。これは奥方様には負荷が高すぎる」
ゼーマンは脱ぎ落とされた鎧の手甲を拾い上げ、重さを確かめてセリウスへと手渡す。
「機動力重視の奥方様の動きを妨げ、咄嗟の受け身を取ることも困難。また今回のように打撃を受けると、体に合わない鎧の中で激しくぶつかり打撲となります」
手渡された手甲は厚い鋼で出来ており、それ一つだけでもずしりと重い。ゼーマンは黙り込むセリウスに呆れた口調で腰に手を当てた。
「旦那様は過保護過ぎるんですよ。奥方様が大事なのはわかりますが、こいつは暴れ者で戦狂いの赤狼ですぜ。ちょっとやそっとじゃくたばりませんよ」
「ぐっ...」
セリウスが返す言葉を失い、ステラが「そうだそうだ!」と野次を入れる。
“暴れ者で戦狂い”とまで評されているのはいいのだろうか、と眺めるルカーシュは思うものの、セリウスはぐぬぬ、と唇を噛んだ。
「だが、せめて胸鎧と首当てを...」
「それが過保護だっつってんだろうが!革鎧でいい!」
「それで死んだらどうするつもりだ。君にはすでに実績があることを忘れたか」
「死を実績って言うな!」
言っている意味がわからない部分はあるものの、食い下がるセリウスの過保護ぶりたるや笑えてしまう。
だが、ステラに庇われたあの時。
襲いかかるグリフィンの爪に立ち塞がった彼の表情は、いつになく本気の焦りを纏っていた。
セリウスは肩に深く傷を受けながらも、あの巨大なグリフィンから決して引かずに剣を構え続けた。そして面頬から血を流す彼女を見るなり、一瞬の迷いもなく彼女の兜を取り去って自分へと預けたのだ。
姿を知られる事や他の全てを置いても、彼女を失いたくないとばかりに。
それもあの“赤狼”が妻だったのなら頷ける。
自分でさえたった数日共にしただけで、顔すら知らなかったというのに惹かれてしまったのだから。
己を飾らず、人を見極め、背中を押して歩ませる。
強引なのに優しくて、まるで炎の様に暖かな女性。
...まったく、やられた。
すっかり魅力的な彼女に撃ち抜かれ、あっという間に初恋は儚く散った。
その上、恋を与えた本人は全く気付かず笑っている。
自信を失った自分を奮い立たせ、誇りに火をつけたこともまるで知らずに。
だからこそ憎めず、どこか不思議と清々しい。
「セリウスの気持ち、わかりますよ。私は」
くすりと笑って言えば、セリウスははっとした顔を向けた後に「...そうだろう」と苦々しげに答えを返す。
きっと彼は知っていたのだろう。自分が彼女に惹かれてしまっていることを、“過保護な夫”が気付かないわけがない。
「加勢するなルカーシュ!いいか?あたしはもう絶対にこんな鎧着ないからな!絶対だ!なあゼーマン、もっと言ってやれ!」
「だそうですぜ、旦那様。そろそろ決めないと奥方の肺が悪化しますが」
ステラが未だぜろぜろと濁った息を荒げて鎧を放り投げ、ゼーマンが腰に手を当てたまま彼を見下ろす。
イリーゼと手当てを受ける騎士達は「あーあー」と苦笑し、もはやセリウスの負け筋は確定だった。
「くっ...。この命知らずの、世話が焼ける妻め...」
ふーーーーっ...と息を吐いて観念したセリウスへ、ルカーシュは痛みとも共感ともつかない笑みを浮かべる。
「...でも、そんな彼女が好きなんでしょう?」
ルカーシュが切なげに紅い瞳を細めれば、セリウスはもう一度ため息を吐いて「言わせるな...」と目を覆った。




