44.気付き
「なんて見事なの...!これは魔犬に、草原鳥、あと魔毒蛇に鎧百足ね!」
ステラがルカーシュの手帳をめくり、描き記された魔物の名を呼び上げていく。
彼女の隣に掛けたセリウスは例の如く、ルカーシュとステラの複雑な関係に眉を顰めていた。
いったいこの妻は、いつまでこいつを無茶な嘘で騙せると思っているのだろうか。
セリウスは、はあ、と重いため息をつく。
だが妻の手でめくられる絵をちらりと見るなり、彼の金の目は思わず見開かれた。
その理由は見るに明らか。
鋭い爪から羽の一枚一枚まで詳細に描かれた魔物たちは、まるで絵の中に閉じ込めたように精巧だったのだ。
「実際に戦う姿を見て描いたものですので、それなりに上手く写せたのではないかと思います」
ルカーシュはそう答えるが、これは“それなり”なんて言葉で表すにはとても足りない。
威嚇する姿勢から爪を振るう動きまで、時間をぴたりと止めたよう。
日々、目の前で魔物と相対しているステラとセリウスにとっては、それがどれほど本物に相違ないかなど、言うまでもない出来栄えだった。
ルカーシュは驚きに言葉を失う二人に気づくと、少しむず痒そうに身じろぎをする。
そして彼は二人の様子を伺いつつ、おずおずと口を開いた。
「...絵のついでと言ってはなんですが、面白いことが判明しました。例えばこの魔犬は噛み付く前の動作で前足で砂を蹴る癖があったり、草原鳥は意識的に尾を守る動きをします」
ルカーシュが絵の魔物を差しながら語る内容は、まさに魔物の動きと一致している。
ステラとセリウスは目を見合わせると、彼の話をじっと聞き入った。
「魔毒蛇は一度頭を下げてすぐには攻撃せず、エラを膨らませ気化毒を吐きます。この鎧百足は危険を感じると背を丸めて...ってああ、いやすみません。余計なことを」
「いや待てやめるな」
「ええそうよ続けて」
夢中になって話していたというのに、ルカーシュは二人の真剣な視線を見るなり中断してしまう。セリウスとステラは慌てて声を上げた。
だがルカーシュはいたたまれない表情で視線を泳がせる。
「ええ、いや...セリウスはそんなこと知っているでしょうし今更かと...。それに奥方様にこんなお話を聞かせるわけにも」
「いいえ、わたくしとっても魔物の生態に興味がありますのよ!」
「既に知っている内容でも構わん。必要な情報に変わりない」
この有益な情報をみすみす無駄にしてなるものか。
二人は焦って前のめりになる。
ステラは彼に手帳をぐっと押し付け、セリウスは彼の肩をがしりと掴んだ。
「ルカーシュさん、貴方の気付きは素晴らしいわ!ほかにも気づいたことがあれば、この絵にすべて記してくれませんこと?」
「す、すべてですか?」
「そうだ。貴様の観察眼を活かせ」
想像以上の二人の勢いに、ルカーシュは面食らって紅の目をぱちくりさせる。まさかこの夫婦が、自分の雑談にここまで興味を持つなんて。
子供の頃から、動物を観察するのが好きだった。
だが戦一辺倒の父親に
「ねえ、とうさま。豚は濡れた地面に体を擦り付けるのです。おそらく虫がつくのを防ぎ、体温調節をしているのでは...」
なんて話をしようものなら
「何をくだらんことを。そんなことより騎士道を学べ」
と叱られるのがせいぜいだった。
だが唖然とする自分に奥方様はしっかりと頷き、「その力は誇るべきよ」なんて微笑んで見せるではないか。更には隣のあの厳しいセリウスまでもが腕を組んで「違いない」と頷く。
二人はルカーシュへと向き合うと、それぞれに強く言い聞かせた。
「詳細な絵に寄せられた魔物の情報は、間違いなく今後、討伐の役に立ちますわ!」
「皆に広く周知できれば騎士達の被害も軽減できる」
「つまりルカーシュさん。あなたならまだこの地に存在しない、“完璧な魔物図鑑”が作れますのよ!」
辺境伯夫妻の目は本気そのもの。
とても自分をからかっているようには見えなかった。
“完璧な魔物図鑑”
その言葉が、じわ、と心の内を湧き立たせる。
図鑑は好きだ。病弱だった幼少期の自分は、動物なんて屋敷の家畜しか知らなかったから。
だから読むたびにわくわくして、こんな動物が本当にいるのか、こんな変わった生態や行動をするなんて、と知らない生き物の数々に目を輝かせたものである。
だから、動物も好きになった。
動物が好きだから、彼らの暮らす風景も好きになった。そしてそれを気づかせてくれたきっかけこそが、書庫に眠っていた分厚い図鑑だった。
それを“作る”...?
自分が見たままに、この手で...?
驚きのままに二人を見やれば、彼らはまたこちらに頷いてみせた。
何もできないと思っていた自分が、辺境の地図制作どころか、まさか魔物図鑑の作成なんて事を任されるなんて。
これはただの趣味ではない。
辺境伯夫妻に“望まれて描く”のだ...!
戦場で役に立てる。
ならばきっとそれは、あの“カーラ”の役にも立てると言うこと。
ルカーシュは自分の頬が勝手に上がっていくのを感じながら、「...はい!」と精一杯の誠意を込めて頷き返した。
————
広い平原における中程。
林の奥にごぼごぼと鈍い音を立てて湧く魔力澱み。
澱みからは耐えず異形の魔物が産まれ、低い唸り声を上げるもの、地を這いずるもの、ギャアと醜い鳴き声を発するものが空を舞う。
そこに足を踏み入れたのは辺境伯とその騎士達。
彼らの足音を捉えるなり、待ち受ける魔物の群れが一斉にこちらへ殺意を向けた。
「来るぞ、怯むなよ」
「誰が怯むか!腕の見せ所だぞ野朗ども!」
静かに告げたセリウスが飛びかかる魔犬を振り下ろす大剣で斬り伏せ、笑い声を上げた赤狼がひゅん!ともたげた蛇の頭を素早く切り落とす。
「総員かかれ——ッ!」
「一匹たりとも取り逃すな!」
加えて騎士達とイズラールも群れの攻撃を見極めて次々にそれらを屠り、埋め尽くすように蠢いていた魔物達は瞬く間に殲滅された。
「殲滅完了だな。悪くない動きだった」
全てを倒し切った事を確認したセリウスの言葉で、彼らは剣を腰に収める。
すると地面に溜まっていた魔力淀みはジュワ、と音を立てて萎み、ぶくぶくと泡立ちながら溶けるように消えていった。
「よし!これで三つ目だ!どんどん討伐効率が上がってるぞ!」
赤狼は嬉しそうにグッと手を握ると、遠く木陰に隠れるルカーシュを振り返る。
「それもこれもお前のおかげだ!このペースなら平原の奪還も近いな!」
魔物図鑑を書かせ始めてわずか数日。騎士達への魔物の行動パターンの共有、正確な地図による迅速な行軍は明らかに全体の討伐能率を上げている。
後方で描きかけの図鑑と地図を抱えたルカーシュは、駆け寄ってきた赤狼に嬉しそうに頬を染めた。
「お役に立てたならよかったです。しかしまさか、魔物討伐だけで魔力淀みを消す事が出来るなんて...」
魔物は魔力澱みの具現化した物とはいえ、澱みそのものを消すには枯渇するまで多量の魔物を狩り尽くす必要がある。
それは多くの領主達にとって効率の悪い戦いと見做されているのが現実だ。祈るだけで澱みを消す聖女が現れるまでは、王立魔法宮へ魔術師の派遣を要請し、高額な封印術を施すのが一般的な対処だった。
だがセリウス率いる辺境騎士達の討伐の迅速さは、早々に諦めた王都の騎士達とは全く比較にならない。最果ての土地で魔術に頼らず国境を守り続けた精鋭達は、ルカーシュの情報を瞬時に理解し、恐るべき戦闘能力の高さを見せつけたのだった。
「役立つどころじゃない。これで我らの目標もさらに早く達成されるだろう!見ろ、あいつもあの仏頂面で喜んでる」
赤狼が顎で促したのは、離れた前方に立つ辺境伯。魔物の血に濡れた剣を拭き取るセリウスは、何やら騎士達に指示を出しているらしい。
遠く離れた彼の表情はこちらから見れば全く普段と変わらない。だが彼女にはあれが機嫌良く見えているようだ。
それはつまり、僅かな彼の仕草や機敏にすら気づけてしまう関係性の深さだろうか。
そして鎧越しに見つめる彼女の、どこか熱のこもった視線はどう見ても———
「カーラさんは...、セリウスがお好きなのですか」
心の中に渦巻いていた恐れが大きく膨らみ、聞きたくないのに聞かずにいられなかった。
そうではないと彼女の口で言って欲しかった。
「はあ!?違う!そ、そんなわけないだろ!」
だが求めたはずの返事は、明らかに彼への想いを裏付けするものでしかなかった。
「いきなり何言い出すかと思えば!あんな奴男だなんて思うもんか!ただの戦友だ、戦友!」
重い鎧をガチャガチャと軋ませて手を振る彼女の否定は、悲しいほどに図星を訴え、“ただの戦友”だなどと説得力に欠けすぎている。
ルカーシュは彼女の反応から目を逸らせないまま、薄い唇をキリ、と噛む。
...苦しい。胸が酷く痛む。
聞かなければ良かった。
胸の奥を鋭い刃で突き刺されたような気分だ。
自分で彼女を問うておきながら、なぜこんなにも自分は傷ついているのだろう。
彼女を好きになってしまったから?
けれど自分は、そんな彼女の役に立ちたかっただけのはずだ。
剣を握れぬ己でも、戦う彼女を支えたかった。
彼女の笑顔が見たかった。
恋した人の本当の笑顔が欲しかった。
ただそれだけのはず。
自分などに想いが向けられるなんて、そんな贅沢は望まなかったはずなのに。
...なのに、彼女の視線の先にいたのは“妻帯者の男”だったなんて。
しかもその妻とは、彼女の実姉であるステラなのだ。彼女はそれを知っていて、なおもセリウスへ恋情を向けているというのか。
姉の夫へ、あんな風に笑いかけて。
彼の肩を引き寄せたり、仲睦まじげに触れ合って、熱のこもった目で見つめて...!
「そ、そんなの、良くないと思います...!!」
震えた唇が、勝手に彼女へ言葉を紡ぐ。
「ルカーシュ?」
カーラがきょとんとしてこちらを見つめる。
その無邪気な反応が、より胸を締め付けた。
「彼は既婚者、姉君の夫ではありませんか。貴女はそんな汚れた感情を持つ人ではないはずです」
いいや違う。これはただの嫉妬だ。
向けるべきでない醜い感情だ。
“美しい心を持つ彼女”への己の理想の押し付けだ。
「どうしても、彼でなくてはいけないのですか」
こんな事を言って、何になるというのだろう。
既に想う相手がいる彼女に、なぜ自分はこんな事を言おうとしているのだろう。
なのに、どうしてもこの感情が止められない。
「彼ではない、他の男では...!」
気付けば喉の奥から押し込めてきたものが飛び出して、彼女の手を握りしめていた。
「目の前にいる私では、貴女の目には映りませんか...!?」




