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「判りました」
二つ返事で頷いた菊理媛は直ぐ様動いた。
痛い程にイザナミの哀しみが理解出来たから。
毎日幾数年と嘆き悲しむ声を聞いて居た。
イザナミの嘆きは、女性には強く共鳴出来た。
まるで自分がイザナミになった様な錯覚を起こす程に……。
三途の川に辿り着き、迷わず水に足を踏み入れる。
足に馴染む水。
温かで冷たい、ふと思ったのは母胎には水がある。
いずれは自分も胎内で種を育てるのだろうか?
イザナミみたいに愛しいと想える誰かに出逢えるだろうか?
水中に潜り、その心地好さに笑みが零れる。
自分は水に近い存在。
目的のヒルコの存在を体全体で感じる。
まとわる水が、その存在を教えてくれた。
水底の更に土の中、ヒルコは眠って居た。
その姿は緑色の硬い石の様な塊。
手足もなければ顔もない。
意思が有るのかも判らない、それでも生きた肉塊では在った。
ヒルコをそっと抱き上げると、来た道を帰る。
イザナミは考えた。
自分は此処から出られない。
朽ちた躰は魂とは別の力を持つ様になって居た。
...
それは魂を放さず、だからイザナギが迎えに来た時もすぐに頷く事は出来なかった。
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躰は邪魔だ。
黄泉の国に堕ちてから、それでもこの躰から産まれ出る魔物達。
イザナギの元へ戻りたいと頼みに行った時、黄泉の国の王は頭を下げなかった。それどころか執拗にイザナミを手放さなかった。
結果、黄泉の国の王の策略でイザナギにイザナミの腐乱した死者である姿を見せた。
手に持った銅鏡にイザナミの姿を映し見せたのだ。
王のした事、その事にイザナミが気付いたからと言って、知って逃げ出したのはイザナギ自身。
だから余計哀しみにくれた。
イザナギに否定された。
追い掛けて、追い掛けて。
そして決別。
知らぬ内に死に別れた。
死したのちに黄泉の国にイザナギは堕ちず、
その魂はおそらくは今尚地上にあり、自らの血肉と共に居るのだろう。
千五百人の徒人と共に。
その最初の千五百人の徒人はどうなって居るのか?
一度知れば、知りたい事が増える。
どうすれば良いのか考え始めると、頭が冴えて来た。
何をすれば良い?
菊理媛に頼んだ“ヒルコ”は不完全な姿で産まれた子ども。不憫で、せめて母胎に居た時と変わらぬ様に水底に沈めた。
思い出したのは何故か?
あの子は優しい。
あの子は強い。
今一度、完全な形で産み直してやれば、
...
私の力になる。
だが、どうやって?
閉ざされた岩戸を見つめる。
「イザナミ様。
連れてまいりました」
強い、強い。
水の香りが鼻に付く。
それと共に感じた優しい波動。
菊理媛?
その時思い立った考えに、鳥肌が立った。
「ヒルコは?」
「こちらに連れて参りました」
「菊理媛。お願いがあります」
その声は神の強さを乗せて居た。
「何でしょう?」
「その躰を私に貸してくれないか?」
突然の事に菊理媛は口を閉ざす。
大岩の向こうに居る女神は言霊を込めた神声で、いわゆる命令を下した。
「……判りました」
先程夢に見た事を胸にしまう。
いつかは誰かと……。
その代わりに出た言葉は柔軟な受け入れる言葉。
「どうすれば良いのですか?」
胸に抱くヒルコが小さく蠢いた。
大岩の冷たい壁に身を寄せたイザナミの躰が悲鳴を上げる。
「くっ……。抵抗するか?」
自らの“躰”が“魂”を捕える為に肢体を伸ばし躰を強く包み抱く。
長い髪が躰を纏う。
躰は拒絶する。
黄泉の国の王が大きな地響きを立てて近付いて来て居るのを感じていた。
躰はそう仕組まれて居た。逃げ様とすれば黄泉の国の王に感知される様になっていた。
「私の……魂を、その身に受け入れるのじゃ!」
囚われる前に、
この冷たい土の下に在る根の国、黄泉から逃げ出す。
今が最後の機会。
イザナミと菊理媛。
大岩を挟んだ状態で二人は心通わせた。
イザナミの切なる哀しみと気持ちを長年の内に自分の事の様に理解して居た。
それに拍車を掛ける様に、胸に抱く胎児にも似たヒルコの胎動を感じた菊理媛は、ヒルコに母性を感じ、その母に再び会わせてやりたいと心底から思った。
大岩を介し二人の手の平が重なり合い、岩が振動する。
イザナミは熱くなった躰を意識する。
それは、躰に在る我が子雷の魔物達が轟の悲鳴を上げながら、母を留める為に手足を伸ばし、その躰を地に縫い付けた。
それにも負けず、イザナミは上半身を岩に押し付けて菊理媛との繋がりを保とうとした。
「……菊理……媛っ!」
岩戸が振動を始め、地響きが起こる。
「イザナミ様!」
互いに名を呼び合う事こそが吸引の力。
イザナミの指先から糸状の光りが溢れだし、岩のほんの少しの隙間からも光りが外を求めて走り出た。
「「イィザァァナミィ―――」」
背後から叫ぶ声はのぶとく近付くごとに足音も激しい。
それは黄泉の国の王。
イザナミを見た瞬間から彼女を愛し、執着を持った。
イザナギとは別の男。




