6.地味令嬢、王子を助ける
「今日のお茶会でも、北の城門の幽霊の話がでたわ」
夕食時、お母様が優雅に鶏肉のソテーを切りながら言った。
若い頃はその愛らしさから「エスプランドル王国の妖精」と呼ばれていたお母様は、夜会に行く回数は減ったものの、今でも、社交界の中心的存在で毎日のようにお茶会へ招待されている。
お母様は、学校以外は外へ出ず、ほとんどの時間を屋敷で本を読んで過ごしている私にとって、この国の最新情報を教えてくれる存在でもある。
近頃、エスプランドル王国の貴族社会は、北の城門付近に出る幽霊の話で持ち切りだそうだ。
私達の住む王都は城壁に囲まれており、東西南北で4つの門がある。
中心部から遠い為、北の城門を通る人は少ない。その為、北の城門近くは、ひと気がない地域として知られている。
その北の城門近くに、週に2度ほど、白いワンピースを着た女の幽霊が出るというのだ。
その女の幽霊については、こんな昔話があるそうだ。
『昔々、ある女が北の城門近くで盗賊に殺された。その女は、城門の警備を担当する騎士の恋人だった。
その女は、週に2回、城門の夜間警備を担当する恋人の騎士へ城門近くの菓子店で買ったアップルパイを差し入れとして、届けていた。
その女が殺された日は、2人の結婚式の3日前だった。
結婚式直前に死んだ女の霊は成仏できず、幽霊となっても、婚約者の騎士の元へアップルパイを届ける為、菓子店を訪れるという』
実際に北の城門近くには菓子店があり、毎晩、幽霊の為にアップルパイを外に置いておくのだという。
私は、幽霊の類の話が大嫌いだ。
その話を聞いて、北の城門には絶対に行くまいと心に決めていた。
そもそも、外に出ることは、ほとんど無いのだけれど‥‥‥。
「今日のお茶会の主催者、デガン公爵夫人にお土産をいただいたの。なんと、その幽霊が行くという菓子店のアップルパイよ。今日のデザートに切るように料理長へ言っておいたの。楽しみだわ」
お母様は、そう言って、美しい顔に笑顔を浮かべた。
食事を終えたアランは、お母様の横でアップルパイが運ばれてくるのを待ち遠しそうにしている。
「それは楽しみですね。しかし、ひと気のない北の城門近く、しかも幽霊が来る菓子店だなんて、よく潰れませんね‥‥‥」
「その菓子店は、最近とても人気らしいのよ。なんでも、幽霊を見に行って、その菓子店へ立ち寄るのが、最近の流行りらしいわ」
「そういえば、今日、団長が北の城門の警備を強化する計画を話していたよ」
そのまま絵のモデルになりそうな姿でワインを飲んでいたお父様は、ワイングラスを片手にそう言った。
ユース様の一件以来、新しい騎士候補は見つかっていないものの、お父様の待遇は変わらず、騎士の業務からは外されたままだ。
「団長は、その幽霊を調査すると言っていたな。毎晩、幽霊目当てに多くの人が城門付近に来るらしいから、警備を増員するかの判断の為に調査をするそうだよ」
「幽霊の調査ですか‥‥‥」
本物の幽霊に遭遇でもしたら、私は気を失ってしまうかもしれない。
私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。
すると、お父様がもっと背筋が寒くなるようなことを言った。
「そうだルーラ、その幽霊を密かに騎士団より先に調査しよう。騎士団では、幽霊なんて偽物で、誰かのいたずらだという意見もある。ルーラは頭がいいから、現場を見れば、偽物かどうか分かるのでは?そうだ、一緒に北の城門へ行こう。ルーラが頭を使って、私が動く、これでどうだろう?」
「お父様…‥‥?」
「いや、大丈夫だよ。幽霊が偽物で逃げようとしても、走って追いつく自信はある。最近、鍛錬を積んでいるからね。かなり動けるようになっているよ。幽霊が偽物だとしたら‥‥‥、騎士団より先に捕まえれば、団長に手柄が認められて、没落を完全に免れることができるかもしれないぞ」
お父様は、自分の計画に満足したようで、うっとりとした顔でワインを口に含んだ。
「お父様、そんな‥‥‥。私、幽霊なんて、無理ですよ」
もし、幽霊が本物なら‥‥‥、私はそう考えると、血の気が引くのを感じた。
幽霊も怖いが、何より失敗でもしたら、逆に罰を受けて没落が決定するかもしれない。
丁度、私の前にアップルパイが出されたが、そう思うとそれを口にすることができなかった。
「そんなこと言わないでお父様に協力してちょうだい。まだ、魅了魔法も使えないのでしょう。ルーラ、あなたにディライト家がかかっているのよ。お願いよ」
お母様は、美しい青い目を悲しげに翳らせた。
「‥‥‥はい。できるだけやってみます。…‥‥あぁ、しまった。また答えてしまった」
どうやら、私は、いつまでたっても、お母様の演技は見破れないようだった。
「ふぅ‥‥‥」
昼休み、隠れ家にやって来るなり、エドワード王子はため息をついた。
「王子、どうされたのですか?」
ミリア嬢が尋ねた。
エドワード王子とミリア嬢は、すっかり打ち解けている。
「実は、父上から北の城門の幽霊騒ぎを収めるようにと指示されてね。どうしたものかと困っている。いずれ王位を継ぐのだから、そろそろ指揮をとって騒動を収めてみせろとの仰せなんだ」
「あぁ、昨日、お父様も話していましたわ。北の城門近くの幽霊の話が広まって、連日、たくさんの人が深夜に集まるので、城では、治安の心配をしているとか。警備の人数を増やすことも、検討されているのでしょう?」
さすが文官長の娘だけあって、ミリア嬢はこういった話をよく知っている。
「警備の人数を増やすことはできるが、それよりも騒動の元をなんとかしろと父上には言われたよ。父上は、幽霊は偽物だと疑っておられる。その幽霊について、どう調べるのがよいか、ずっと考えているんだ」
昨日、お父様が言っていた幽霊の調査は、王子が指揮をとるようだ。
もし、私達が先に幽霊の正体を突き止めたとすると、王子の手柄を横取りしたことになり、怒った王子に逆に没落させられてしまうかも…‥‥。今夜、お父様に相談しようと私は考えていた。
「ルーラ様、先ほどから黙ってどうしたのですか?」
「きっとルーラは幽霊の正体について考えているに違いない。ここはそっとしておこう」
「そうですね。聡明なルーラ様ですから、王子にアドバイスをしようと考えておられるのですね」
そんな2人の会話は耳に入らず、私は、没落回避の最善策を考えなければという焦りと幽霊が怖い気持ちで、一杯だった。
その日の夕方、北の城門付近は、たくさんの人で賑わっていた。
学園から帰宅した私は、仕事を早退してきたお父様に北の城門近くに連れてこられた。
「王子の手柄を横取りするようなことをすると、没落が早まるかもしれませんよ」と言って、王子の幽霊調査について相談したものの、お父様は「誰よりも先に幽霊の正体を暴けば、手間が省けたと、王子よりお褒めの言葉をいただけるかもしれない。そうすれば、騎士に復帰できるはずだ」と言った。
そして、外に出たくない、怖いから行きたくないと言う私を無理やり馬車に乗せた。
「話に聞くようなひと気の無い場所とは、全く違いますね?」
「あぁ、少し前までは、昼間でも人通りはほとんどなかったはずだが‥‥‥。幽霊の噂が広がって、昼夜問わず賑わうようになったらしい」
城門へと延びる道の脇には、屋台も出ていて、まるでお祭りのような雰囲気だ。
久しぶりに出た人ごみのなかを私は自分の地味な容姿が気になり、下を向いて歩いていた。
「あれが、アップルパイを売っている菓子店だよ。近くまで行ってみよう」
お父様の目線の先には真新しい建物があった。
白い壁に赤い屋根の女性が好きそうな可愛らしい外観のその菓子店は、夕方だというのに、行列ができていた。
「しかし、こんな騒々しいところに幽霊は出るのでしょうか?」
幽霊が出る前に帰りましょうという目線でお父様を見るが、お父様は、全く気が付く様子もない。
「なんでも、辺りが暗くなると、城壁の上にランプを持って数分、立っているそうだよ。そして、人が集まってくると、すっと姿を消すらしい」
「城壁の上? ‥‥‥まぁ、こんなに通りに人がいれば、幽霊も、菓子店には通えませんしね」
その時、私は、私とお父様の周りに人が集まっていることに気が付いた。
「私も、まだまだ捨てたもんじゃないな。ただ、密かに調べたいのに人が集まりすぎるのはまずい。今日のところは、帰ろう」
お父様は、私に小声でそう言い、馬車を待たせてある方向へ歩き出した。
「まぁ、あの方、緑色の美丈夫様よ」
「城門の警備にいらしたのかしら‥‥‥。あの方が警備担当なら、私、毎日ここへ通うわ」
「あの方は、きっとアップルパイがお好きなのね。私、たくさん買うわ」
私とお父様を取り囲むご婦人達からは、こんな声が聞こえた。
お父様は、爽やかな笑顔を浮かべ、「皆さん、申し訳ありません。今日は、私用ですので」などと言って、人々の間をすり抜けていく。さすが、慣れたものだ。
中には、自分が買ったアップルパイの箱を手渡す人もいて、お父様は、その箱を数個抱えている。
その時、ふと、私の耳にこんな言葉が入ってきた。
「緑色の美丈夫様の横にいらっしゃる方は、どなたかしら? 黒い髪で、随分と地味な方ね」
私は、その声を聞いて、下を向いてお父様の背に隠れるように前へ進んだ。
「なんだ、ルーラも昨日、北の城門へ行ったのか。」
「はい」
翌日、ミリア嬢は授業の都合で隠れ家には来られないそうで、私とエドワード王子は、2人だけで昼休みを過ごしていた。
王子には、密かに調査していると言わず、アップルパイを買いに北の城門へ行ったと言って、話をしていた。
私を見つめて話す王子の薄い青色の目を見て、私は小さな声で答えた。
最近、王子と昼休みに過ごすことが多くなり、感覚が麻痺していたが、私は地味令嬢なのだと昨日、改めて自覚した。
そして、魅了魔法を使う以外、王子が私を好きになることはない、そう思うと、私の胸は何故かズキンと痛んだ。
「どうした。今日は元気がないな」
薄い青色の目が、心配そうに私の顔を覗き込む。
「だ、大丈夫です。昨日、久しぶりに外へ出て、少し疲れているだけです」
「そうか‥‥‥。幽霊の件で、ルーラにアドバイスをして欲しいのだが‥‥‥。アップルパイを買いに行って、何か気が付いたことはあったか?」
「いいえ、特に…‥‥。あぁ、そういえば、菓子店があまりに新しいので、びっくりしました」
「僕は昨日の夜、その菓子店で話を聞いてきたよ。ある騎士の従兄弟が5年ほど前に開いた店らしい。その騎士は、北の城門の警備を担当していてね。忙しそうな店主に代わり、彼が私の対応をしてくれた。なんでも、辺鄙な場所で、すぐに潰れるのではないかと最初は心配していたらしい」
「そうなのですね。城壁は行かれましたか?幽霊は、菓子店ではなくて、城壁の上に現れると聞いたのですが」
「行ったよ。でも、何もなかった」
「城壁の上だなんて、やっぱり幽霊だからあんな高いところまで行けるのでしょうか?」
「城壁には登れるぞ。警備を担当する騎士だけが登ることができるんだ。城門の横に細い階段がある。戦時には、城壁の上から見張りをすることも、攻撃をすることもあるからな」
そうだった。城壁には登れるということを私は忘れていた。
わかっていても、実際に話を聞いたり、目で見ないと気が付かないこともあるものだ。
「私、わかった気がします」
私はそう言って、『人気のお店を作る方法』という本の表紙を頭に思い浮かべた。
『人通りが少ない場所に店を作る際には、場所が悪くてもその店を訪れたいと思わせる「その店だけの特徴」を作ることが必要だ。
変わったテーマの店を作るのも良い。その店でしか食べられないものを提供するのも良いだろう。
成功例としては、妖精の格好をした女性が接客する店、昔話や物語に出てくるメニューを出す店がある』
「そして、もう1冊‥‥‥」
次に私は、『観光産業で儲ける方法』という本の表紙を思い浮かべた。
『観光地は、作れるものだ。
過去にアマンダ王国の王都郊外の泉について、「その泉に恋人同士でコインを投げれば身分差があっても、家族に反対されず結婚できる」という噂が広がった。
元々、身分差のあった1組のカップルが、結婚式で、デートでその泉に行ったと話したことが発端だったとされる。その泉には、恋人達が押し寄せ、今や、アマンダ王国の一大観光地となっている。
つまり、こういった方法で、観光地は作れるのである』
2冊の本の文章を暗唱し終えると、私はエドワード王子に言った。
「今、暗唱した本の2つの方法を組み合わせたのだと思うのです。あ、『アーサー王と3人の仲間』に出てくるキャラメルを真似たものを売るお店が王都にありますよね?その逆で、元々売っていたアップルパイにまつわる話を自分達で作って、広めたのだと説明すれば、わかりやすいかもしれません。幽霊の話は、昔々と言っていますが、菓子店は5年ほど前にできたのですよね?幽霊がアップルパイを買いに来るという話を菓子店が作って広めたのだとしたら…‥‥」
「なるほど。相変わらず、すごいな」
王子は、私をうっとりとした目で見た。
「幽霊の件ですが‥‥‥、菓子店の店主は城門の警備を担当する騎士の従兄弟なのですよね?彼なら、城壁に登れますよね。その騎士が協力して、幽霊を演じているのでは?」
私がそう言うと、王子は、ますますうっとりと私を見つめ、何か呟いた。
「さすが、僕のルーラだ」
王子の呟きは、吹き始めた風が木を揺らす音で、私には聞き取れなかった。
その夜、ディライト家は、今までにないほどの緊張した夜を迎えた。
夕食が済んだ頃、突然、エドワード王子が私を訪ねてやって来たからだ。
お父様とお母様は、笑顔で挨拶をしたものの、心なしか声が震えていた。
おそらく、私が言った「王子の手柄を横取りするようなことをすると、没落が早まるかもしれませんよ」という言葉が心によぎっていたのではないかと思う。
応接室で、エドワード王子と向かい合って座った私は、その眩しい笑顔にうつむいた。
それは、今まで見た王子の笑顔の中で、一番美しい笑顔で、思わず頬が染まるのが分かったからだった。
「突然の訪問ですまない。ルーラ、ありがとう。君のおかげだ。一番に報告したくて来てしまった」
「い、いいえ‥‥‥。一体、どうされたのですか?」
「ルーラの言った通りだった。学校が終わって、昨日話を聞いた騎士と菓子店の店主に会って来た。やはり、幽霊の話は、菓子店の店主と従兄弟の騎士の2人が作った話だった。そして、幽霊を演じていたのは、その騎士だった。どうりで、週に2日しか現れないわけだ。彼は、週に2回、城門の夜の警備を担当しているそうだよ」
「やっぱり、そうだったのですね」
「あぁ。本当にありがとう。これで、父上に胸を張って報告ができる」
エドワード王子は、見送りに出た私に輝く笑顔をまた向けると、城へと帰って行った。
「ルーラ、よくやった!」
王子の馬車を一緒に見送ったお父様が、私に言った。
「え‥‥‥? 今回のことで、お父様は騎士には復帰できませんよ?王子のお手柄なのですから」
そう言った私にお父様は、王子に負けないくらいの笑顔を見せた。
「勝手に幽霊のことを調べていたお叱りかと思ったが、王子のあの笑顔‥‥‥。それにわざわざ王子が我が家にお越しになったということは、ルーラが魅了魔法に成功しつつあるということではないかな?まだ、完全ではないようだけど‥‥‥」
「はぁ‥‥‥? 私、魅了は使っていませんけど」
その後、店は、人々に嘘の情報を広め、幽霊を演じることで混乱を招いたとして、罰金を課せられることとなった。
幽霊に扮していた騎士と彼と同じ夜の警備担当で彼に協力していた数人の騎士達は、今は謹慎処分となっている。
しばらく経って、前ほど混雑はしていないものの、菓子店は人気のようだとお母様から聞いた。
なんでも、今度は「緑色の美丈夫」と「エドワード王子」が訪れた店として、女性達の間で人気となっているらしい。
読んでいただき、ありがとうございました。