国王の誘い
「ミロ。このふぉー文ってやつどうすればいいの?」
「for文ね。これは繰り返しを司る部分で」
「このサインの計算ってなんなの?」
「それはマクローリン展開っていう方法で近似計算してるんだよ。具体的には無限次元の多項式で近似して、それをここでは15次までで打ちきってて……」
本格的なパソコン作りのために、工房で僕らが作業を続けていると、扉ががちゃりと開いた。
パメラさんだ。
「なんか、お客さんが来てるよ」
「え……?」
アリシアが立ち上がって玄関に向かおうとすると、パメラさんが止めた。
「アリシアじゃなくて、ミロくんに会いに来たんだとさ」
「僕に……?」
僕に会いにここへ来るのか。いったいどういう事情なのだろう。
僕は工房を出て、玄関に立つその人を見て驚いた。
以前、役所で僕から電卓を買い上げた、壮年の紳士と言った出で立ちの役人、オスカルさんだった。
前回と同じく黒づくめの格好に加えて、今日は黒のハットと杖を装備していた。黒の革靴はぴかぴかに磨かれている。
「オスカルさん……。どうしてここに」
「カルメンから聞いたんだ。君がここにいると。それで、訪ねてきた」
確か前会ったときは、僕の両親と顔見知りだと言ってたね。
「ミロ。この人だあれ?」
「この人はオスカルさん。商業省の役人で、前に僕らの電卓を40万Gで電卓買い取ってくれた人だよ」
「あ、そうだったの!? え、えっと、お買い上げありがとうございます!」
頭を下げるアリシア。接客業の店員さんかな? と僕は思った。
「アリシアもいたのか。ちょうどいい。今日は君たち二人に話があって来た」
オスカルさんは帽子を脱ぐ。大人の男性にしてはかなり長い髪をひとふりして、僕らに向き直る。
「王都に、来ないか?」
その後。
僕ら四人はアリシア家の食卓を囲んでいた。
みんなの前にはグラスの水。だけどもみんななかなか手をつけない。
沈黙のなか、オスカルさんがグラスを持ち上げ、中の水を一気に呷る。
「さて……」
オスカルさんはアリシアとパメラさんに向かって頭を下げる。
「突然の訪問申し訳ございません。わたくし、商業省のオスカルと申します」
「あ……、どうも……」
アリシアはぺこりとお辞儀した。
「僕も最近知ったんだけど、オスカルさんはうちの両親と昔から仲良かったんだってさ」
「とはいっても、つい先ほどカルメンと16年ぶりに再会したばかりだがね。グリエルモの墓参りもさせてもらった」
僕の家の庭。そこに父さんを弔っている墓がある。死体があるわけじゃないから、本人のいないただのお気持ち程度の墓だけどね。
ちなみにこの異世界にも、墓や弔いの文化はごく普通に存在している。
「私がこの村に来たのは、旧友との縁を懐かしむためではない。国王からの指令だ」
オスカルさんは、僕から初期型電卓を買い取った後のことを話し始めた。
あの後、商業省に電卓を持ち帰ったオスカルさんは、拍手喝采を受けたらしい。
いちおう自動計算器はあるんだけど、魔力によらず、ギアとハンドルでできた極めて原始的なもので、簡単な計算するのも一苦労。算術に優れた人が手計算したほうが早いと言う体たらくだったようだ。
なので、僕らの電卓は大歓迎され、どこの部署も電卓が欲しくて取り合っているんだとか。
「そして、いつしかこの話が国王に耳に入った」
国王はすぐにオスカルさんを呼びつけ、この電卓の入手先を問うたらしい。
そして、オスカルさんは国王に対して、僕たちの名前を出した。
「国王は君たちの事業にかなりの興味を持ち、ぜひ王都に来てほしいとおっしゃった。生活は、正直私が羨ましいと感じるほどのものが約束されるし、研究に必要な資材や金は国がいくらでも調達できる。さらに報償は、手付金だけで一財産になるだろう。良い結果を出せば一発で富豪だ」
破格の条件。どうやら国王はなにがなんでも僕らを呼びたいらしい。僕一人なら、断る理由はどこにもない。
不安要素はある。
「…………………………」
「………………………………」
僕は泣きそうな目を見せるアリシアと目があった。
この子、むかしっからホームシックがすさまじくて、幼い頃はちょっとしたお泊まりでもすぐ泣き出しちゃってたんだよね。少なくとも当時は、王都に長期間いくなんてもっての他。
今はどうか知らない。少しはマシになったのかもしれないけど、この様子だときつそうだね。
だけど、この電脳革命は僕とアリシア二人いてこそのもの。どちらか片方でも欠ければ、成立しない。
アリシアが行きたくないと言えば、仕方のない話だ。
「すみません。すぐには決められないので、返事は待ってもらえませんか」
僕はオスカルさんに向けて言った。
「わかった。私はしばらくこの村の宿に泊まる。どちらにせよ意思が固まったら、いつでも来てほしい」
オスカルさんはそう言い残し、この家を去っていくのだった。
王都に行くか、行かないか。
さて、僕はどうすればいいのか。そう頭を悩ませる日々が始まったのでした。




