もっと知りたい!
私が前世の記憶を取り戻してから二ヶ月が経過した。
色々と情報を得て、この世界の常識も理解できるようになってきた。今は少し文字が読めるようになったので、専門書にもちょっぴり手を出したりしている。
この世界は中世のヨーロッパの貴族制に近いということはなんとなく予想はしていた。王族を頂点としたピラミッドが形成されており、政治の決定権は全て王が司るタイプの政治形式だ。
しかし、この世界が前世の世界と全く同じというわけではない。
この世界には、大勢の人が信仰している『護霊教』なる宗教があるらしいのだ。加護を与えてくれる精霊のことをこの世界では護霊と呼び、日本の八百万の神のように護霊は至る所に存在しているので全てのものに感謝しましょうというものだ。
これだけならば日本とそう変わらないし、宗教なんてどこの国にもあるものだ。なんらおかしいところはないだろう。
しかし、驚くべきことはこの護霊とやらは明確に実在しているっぽいのだ。
最初は伝説やら神話に基づいたなんやかんやだと思っていたのだが、どの精霊がどこにいるという図鑑を見つけたり、カミルやカレンを始めとする屋敷の人々に聞いて回ったところ、全員が『いる』と即答したため、今のところは存在しているという説が私の中では濃厚である。
教会にもこの歳で毎週1日だけ通っていた記憶があるので、かなり信じられているのだろう。
早くこの目で精霊を見てみたいものだ。
⋯⋯まあだからこそ、結果として、この世界では宗教の力が日本よりも圧倒的に強い。
政治ですら精霊により左右されることもあるらしい。また、精霊が与えるとされる加護も強力で、例えば怪力の加護であればとんでもない力持ちになるそうだ。カレンはこの加護を持っているのではないかと、私は密かに疑っている。
この二ヶ月間、ずっと書斎の本を漁っていたせいでかなり家族からは怪しまれた。
まさか精霊なんて存在がいるとは思いもしなかったので、調べるのが途中から楽しくなってしまったのだ。まだ加護についてや儀礼などに関しては調べる余地がたくさんあるので今後の課題だろう。
だが問題もある。
「はぁ、本が足りない」
父の書斎で私は一人呟いた。
中世の時代ほど昔、本は高価だったと聞いたことがある。しかし、この世界は絵本にも紙が使われる程度には一般化されていて、なおかつ活版印刷技術も発展しているようで、数多くの種類の本が出回っている。そのため、そこまで値段は高くはないと予想できる。だがしかし、この屋敷には本が少ない。
原因はおそらく父であるボードガルドがあまり本を読まないからであろう。必要最低限の知識が身につけばいいだろうという魂胆が丸見えで、一冊で色々な分野の基礎知識がわかるという本だけが新しく、他の本は情報が古すぎるものが散見される。
まだこの世界の文字に慣れ親しんでいない私からすれば、滲んでいたり手書きで書かれてあったりする本は、なんと書いているのかほとんどわからない。
「お父様に買ってもらおうかしら」
「ヴィオラ、何が欲しいんだい?」
柔和な笑みを浮かべた大男が視界に現れる。
わざとお父様に聞こえるように言ったので、作戦通りである。
内心ほくそ笑みながら、お父様に私は告げた。
「私、そろそろ文字を勉強したいのです。精霊様の図鑑を見てて読みたくなっちゃって」
子どもらしさを醸し出しつつ、上目遣いを併用しつつ頼み込む。
これは自分の『やりたいこと』なのだ。こんな子どもがいたら私ならば奇異の目で見ていたことだろうが、娘に甘々のお父様は笑みを絶やさずに一つ頷くだけだった。
「そうか、もう勉強がしたいなんて偉いぞ!本を買うのもいいが、それでは偏った知識だけつきかねない。家庭教師の先生を雇うのはどうだい?」
なるほど、確かにそちらの方が効率的だ。
人を一人雇うだけのお金がうちにあるのかはわからないので少し申し訳なく感じる。早く自分の家の懐事情についても知っておきたいところだ。自分が乗っている船が泥舟である可能性もあるにはある。見たところ贅沢はしていないようだが、それでも貴族といえば家と運命共同体であるため、何か事件を起こして一族郎党皆殺し程度はあってもおかしくない。
しかし、今日のところはワガママを貫かせてもらおう。
「私、家庭教師の先生欲しいです!」
「よし!ならパパのコネでいい先生を見つけてきてやる!バディス、誰か心当たりはあるか?」
お父様は背後でじっとしていた専属の執事に尋ねた。
バディスは父と同じく大柄で、赤い目をした男だ。サイズのでかい燕尾服を着込み、さながらボディガードのように父の背後に常に立っている。
バディスは少し考えたあと口を開いた。
「私の知り合いにイオラ学院を卒業した者がいます。優秀なのですが、口と素行が悪い者です。教育上は悪いやもしれません。どうでしょう?」
「うーむ、五本指に所属していないのか?」
「それは間違いありません」
耳慣れない言葉が聞こえてきたので、私は素直に質問した。
「お父様、五本指とはなんですか?」
少し思案したのち、お父様は私の頭をポンポンと優しく叩きながら説明をしてくれた。
「私たち貴族のために行動してくれる者たち、というのがわかりやすいかな。それぞれの指には役割、決められたお仕事があって、護衛、騎士、給仕、執事、そして影の五つがある」
わかりやすく言葉を選びながら、彼は一本一本右手の指を折っていき、最終的に握りこぶしを作った。
「カミルはパパの護衛の仕事をしてくれているね。バディスは常に私のスケジュールを管理してくれている。そんなふうに貴族と五本指とは切っても切り離せない関係がある。良く覚えておきなさい。私たちは一人では何もできない。だからこそ本当に信頼のおける関係性を築かなくてはいけない。王族から低い地位の貴族までもが、五人の家族よりも信頼できる仲間を作る。それが五本指だよ」
「お父様は私よりもバディスやカミルを信頼しているのですか?」
「そうだ」
意外にもすんなりとお父様は認めた。
「そんなに悲しい顔をしないでくれ、ヴィオラは私の命よりも大切な存在だ。私は絶対にヴィオラを守るよ」
そして、何か良いことを言って苦しい表情で拳を握りしめた。
思うところがあるのだろう。カミルをはじめ、屋敷の者たちはみんなお父様を尊敬しているため、この屋敷でも何かしらの物語があったのかもしれない。
それからふと真顔に戻ると、バディスに命令した。
「バディス、その者に紹介状を書いておいてくれ」
「かしこまりました」
恭しく一礼したバディスはそのまま書斎から紙とペンを取って別室へと歩いていく。
ふと気になって、私はお父様に尋ねた。
「バディスさんとはどこで出会ったのですか?」
「初めて会ったのは10歳の頃だったか。バディスは農民の息子で父上の領地の見回りの時に仲良くなった。地頭の良さを見込んで私の指にならないかとスカウトした。それで今は執事をやってもらっているね」
そんな過去があったのか。
「今ではもう私の忠実な五本指の一人だ。こうやって仕事も手伝ってもらっているしな」
「そうなんですね」
「ヴィオラにもいずれ支えてくれる仲間ができるはずだ。その仲間を大切にしなさい」
ほっぺたを両手で挟まれてプニプニといじりながらお父様は言った。
前世では支えられまくった。支えられすぎた。自分の非力を嫌という程思い知らされたし、どれだけ縁というものが大切なものかも私はもう知っているはずだ。
「その仲間はお父様のように農村を探して見つけるのですか?」
「五本指は原則として平民でもなれるから、兵舎に通いつめて口説き落としたり、ママは学院のときの友人をスカウトしていた」
「学院?」
「ああ、10歳から通うことになるだろう。それまでは自宅でお勉強していなくちゃいけないがな」
ハハハと笑いながらお父様は言った。
学院とはなんだ?と尋ねようとしたところで、バディスが帰ってきた。まだ仕事をしていないお父様をみて深いため息をつく。
「ボードガルド様、お仕事はどうされたのですか?」
「⋯⋯わかっている。やるさ。今日の予定は?」
「午後から農村の視察の予定です。例の特産物の件です。なのでそれまでに書類を片付けておいてください」
「⋯⋯わかった。やるよ」
肩を落としてしょんぼりした表情をしたあと、お父様は私を10秒ほど両腕で抱きしめた。
「よし、これで今日も頑張れる。ヴィオラ、カレンのところにいきなさい」
「わかりました」
何冊かカレンに読んでもらうための本を持ち出して書斎を出た。
そして家庭教師がくるらしいことを妹のソフィアの面倒を見ていたカレンに伝えると、少し意外そうな顔をした。
「お嬢様はお勉強が好きなのですか?前までは絵本ですら嫌っていたのに」
「えっと、ちょっと興味が湧いてきたのです。ほら、前にカレンがお姫様の絵本を読んでくれたでしょう?そしたらお母様があのお姫様になるためにはお勉強するのがいいって言っていたので」
「そういうことでしたか。お嬢様が正しい方向に進まれているようで私は嬉しいです」
にっこりとカレンは笑うと、ソフィアが泣き始めたので慌ててカレンはあやし始めた。
ソフィアもみるみると成長しており、もう首もすわってきた。
もうそろそろハイハイもできるようになるかもしれない。
「それでは、今日はどんな絵本を持ってきたのですか?お読みしますよ」
「これを読んで欲しいです」
私が父の書斎から持ってきたのは、何やら図鑑のような形式で書かれてある書物だった。そこそこ古いもので、ページの余白部分にはたくさんのメモ書きがされてある。
「これは⋯⋯、また面白いものを持ってきましたね
カレンはまたも意外そうな顔をして、本を一ページずつめくっていく。
少し覗くと、中身はところどころ色もついており、とてもわかりやすく解説されてあった。
「この本はなんですか?」
「お嬢様、これは魔術の本でございますよ。お嬢様にはぴったりですね」
そう言いながらカレンは微笑んだ。
魔術?ってあの魔術か。
少し頭の中がこんがらがっているが、その言葉の意味を理解する。そして念のため確認することにした。
「魔術ってなんですか?」
「そういえばまだお教えしていませんでしたね。魔術とは例えば手から火や水を出したりする便利な力でございます。お嬢様はきっと才能がおありですよ」
ですが、と彼女は続けつつ、本を彼女の懐へとしまった。
「まだこれは早いかもしれません。家庭教師の先生が来てからでも遅くはないでしょう。とりあえず今日は絵本を読みましょう」
カレンはソフィアをあやしながら、またもや微笑んだ。




