守りたい!
「そういえばもう一人の嬢ちゃんはどこ行ったんだ?」
「え?」
ドクンと心臓が跳ねる。
頭が一気に混乱する。どうしようという単語でいっぱいになる。
どこにいる?いつからいない?
「ほら、いつも目を瞑っている子」
「ほんとだ⋯⋯」
バカムの声をはじめとして、私たちの間に困惑の輪が広がっていく。
辺りを見回すも四人組がいるだけだ。荷馬車の時にはいたから到着してからだろう。
テントの中を見ても見つからない。
そんなフラフラと歩き回る子じゃないし、今は目が見えていないはずだ。そんな危険なことをやるような子でもない。
「ソフィア!どこにいるの!?」
私が思わず叫んだ声に反応する者はいない。
薄暗い森の中に、彼女はどこにもいない。
守ると言って、もう彼女を見失っている。こんなに戦場に近いのに、どうして目を離してしまった?
「ひとまず手分けして探そう。俺とバカムで戦場付近を探す。他は森の中を探してみてくれ。そうだな、とりあえず日が傾くまで探そう」
「いえ、私が見つけます。皆さんに迷惑をかけるわけにはいきませんから」
「何を言っている?私たちは君達の護衛だった。これは他でもない私たちの失態だ」
「でも⋯⋯」
私が渋っていると彼は私の頭を撫でて言った。
「君はまだ子どもだ。どうしてそこまで気を張が必要がある?」
うっ、これでも一応中身は成人済みだ。耳が痛い。
しかし、今はつまらないプライドよりもソフィアを助けることの方が重要だろう。私はグリドの提案に乗る方が賢い。
「大丈夫。あの子とは少し喋ったけど、とても賢そうな子だった。絶対に大丈夫」
セルビがそう言うものの、この状況でソフィアが消えるなんて誘拐以外ありえない。彼女は私たちが追われているとは思っていないからそんなことが言えるのだ。
それにもしもヴァイオラが関わっていた場合、ソフィアの生存率は格段に下がる。
思えば屋敷を脱出してから彼女とまともに喋っていない。
ソフィアも不安だったはずなのに、周りの安全やこれからのことを考えすぎて彼女のことまで気が回らなかった。
⋯⋯いや、これも言い訳か。
私とリーンとセルビは森の中を探す。
何度も何度もソフィアの名前を呼び続けるも、応答する者はいない。
「ハァ」
露骨にリーンがため息をついた。
そのため息にはどんな意味が込められているのか知りたくない。
「ちょっと、なに休んでるの?」
「え、ああ、ごめん」
それをセルビが咎めることで、また空気が少し悪くなった。いや、そもそも私が悪いのだ。
彼らは戦場に迷子探しのために来たわけじゃない。戦いに来たのだ。それなのに、私のせいで。
そんなとき、リーンが何かに気がついた。
「⋯⋯血の匂いがする」
「え?」
リーンが指した方向は完全に森の奥。
茂みと木だけしかなく、獣道しかそこにはない。幽霊の細腕のように見える。私ですらあの中に行くのは怖いのに、あの子があんなところまで行けるはずがない。あの子はそんなにバカな子じゃないし、強い子でもない。
「こっちから血の匂いがするわ。どうする?行く?」
「⋯⋯行きましょう」
「覚悟しておいてね」
リーンは無表情でそう言った。
彼女の中ではもうソフィアは死んでいるのだろうか。
落ち葉と枯れ枝を踏む音、どこかの鳥の鳴き声、たまに風で揺れる枝葉。
リーンを先頭に彼女のもつ短刀で大人でも通れる道を作りながら歩いて行く。
この場所は何もかもが恐怖の対象になる。こんなところにソフィアが一人で来るわけがないという確信だけがどんどんと深まって行く。
そう頭では理解しているものの、私でも血の匂いを認識できるぐらいに近づくと、いよいよソフィアは死んでしまったのではないかと怖くなる。
「もう少し先ね。ヴィオラちゃん?大丈夫かしら?」
「⋯⋯大丈夫です」
「⋯⋯なんなら私一人でみて来ようか?」
リーンのその申し出に私は首を横に振って拒絶した。
たとえ狼に腹を食いちぎられていようとも、猪の角に穿たれていようとも、殺人鬼にズタズタにされていようとも、私はソフィアが死んでいるのならば見なくてはならない。
これは義務だ。
私がソフィアを守ると誓ったのなら、守れなかったという事実を受け止めなくてはならない。
「じゃ、行こうか」
リーンは無理やりひねり出したような笑顔を浮かべ、森の奥へとスタスタと歩いて行く。
血の匂いが濃くなっていく。
視界の端に赤い物が映る。血だ。
薮でよく見えないが、見間違いようがない。
地面に落ちているせいか、やたらとどす黒く見える。
「あ、ソフィアちゃん。⋯⋯生きてる?」
リーンが立ち止まると、そこにはボロボロのソフィアがいた。体育座りで茂みに隠れるように倒れていた。
「え⋯⋯、嘘でしょ⋯⋯」
隣からセルビの漏れ出た声が聞こえた。全速力で走ったのか、彼女の脚は見ていられないほど傷だらけだ。
脳で考えるより先に口が動いていた。
「ねえ、ソフィア?生きているの?!」
私の声は彼女には届いていないようだった。抜け殻のようになった体は、本当に死んでいるかのようだ。
彼女の胸へと手をやって心臓の鼓動を確認するが、ウンともすんとも言わない。確実に死んでいる。
けれど頭の中はいつになく冷静だった。
現実離れしたものを見て、脳が追いついていないからかもしれない。
じっくりと死体を観察する。
身長はソフィアと同じくらい。服も間違いなくソフィアのもの。顔もソフィアだし、眼も真っ白だ。しかし私がソフィアと断定できないのは、信じたくないからではない。
何か違和感があるのだ。
どうしてここまで綺麗なのだろう?
例えば、ヴァイオラがソフィアを狙ったとして、殺害した証拠にソフィアの頭を所望していたらどうだろう。眼でもいいし、髪でもいい。
しかし、見る限りでは彼女の体には欠損している部位は一つもないのだ。
そして一番私が気になっていることがある。
私はソフィアの両手を掴む。プニプニですべすべだった手は冷たくなっていた。
ゆっくりと魔素を流し込んでみる。
全く反応がない。いや、死体には心線の反応がないものなのか?その可能性もある。しかし、なんというか岩に水鉄砲をかけているような感覚なのだ。
心線は一人に一つあるとされている。目視は不可能だが、その存在は間違いなくあるというのが定説だ。
ソフィアは三つの才能があるから白い眼となった。だから魔素も感じ取れるはずだ。それに死んでからも抜け殻のようなものがあると思っていたが、ここまで何もないのはおかしい。
思い切って魔素の出力を上げていくと、ソフィアの死体の手の先がボロボロになり崩れ始める。
「え、こんなことって⋯⋯」
「⋯⋯死体ではこんなことは有り得ない」
隣でセルビがそう答える。
つまりこの死体は偽物?
一体誰がなんのためにこんなものを?本物のソフィアはどこに?
他にも何かヒントがないかと辺りを見回すが、薮ばかりで特に何も見つからない。こんなところにわざわざ人形を置くのも変だ。
いや、それとも⋯⋯。
ふと上を見上げる。
木の上にいた人物とバッチリ目があった。
私を木の上から思い切り見下してそいつは口を開いた。
「おや、私まで見つけるとはね」
木の上から飛び降りて、そいつはソフィアかもしれない死体の上へと着地した。
死体がくの字に曲がる。
「ちょっと!あなた何してるの!」
セルビが私の代わりに怒る。彼女はもう臨戦態勢に入っている。
セルビが警戒するほど眼の前の人物は異様だった。
中性的な顔立ちに、見たことのない軍服、病気かと思うほどに白い肌、そしてサファイアのように光り輝く眼。
胸のわずかな膨らみから女だということがわかる。それとこいつが喋るとどこからか花の香りがする。その香りがまた落ち着き、死体があるというのにとても居心地よく感じてしまう。
この異常な人物は間違いなくソフィアと関わっている。絶対に逃してはいけない。
私はゆっくりと口を開いた。緊張していたのか唇が乾いている。
「ソフィアをどこにやった?」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
やつは私の質問にも答えずにシルクハット帽をくるくる回して遊び始めた。
「⋯⋯そんなに彼女が大切かい?まぁ確かにレアだものね」
「は?」
「だって彼女は白い眼を持っている。200年生きてもほとんどお目見えできなかった超激レアだ」
ダイナミックな手振りで、そいつは喋る。
ベラベラと喋る。
「白い眼を欲しがる研究者はかなり多くてね。いつも私は手に入れることができなかった。五本指には見つけたらすぐに報告するようにと言っていたのだけれど、何しろサンプルの数が少ない。正直どうしようかと思ったよ。そんな時にリーンが情報を提供してくれてね。本当に助かった」
「⋯⋯私の妹はどこって聞いてるんだけど?」
やたらとはぐらかす目の前の人物に、私は再度問いかけた。もう本当に⋯⋯、キレそうだ。
「⋯⋯その質問に答える前に、どうしてその死体に魔素を流し込んだのか聞いても?」
「⋯⋯あの死体がソフィアで私に話しかけたとしたら、私は違和感を覚えたと思う。それだけ」
「つまり直感だと?ふぅ、そういう曖昧な回答はあまり好きじゃないが、一つの意見として覚えておくよ」
彼女は笑った。その表情に敵意の色は見えない。
正直なところ、私はソフィアの髪型が変わろうがそれに気づくこともない鈍感女だ。
だが、なんというかこの死体は魂がないというか、奇妙な違和感があるというか。
「次は私が話す番だね。ソフィアちゃんだっけ?彼女は今私の部下が私の拠点へと連れ帰っている。まあ信じてもらえないだろうけど、怖い思いはさせないと誓うよ」
実際、これは信じてもいい。この女はソフィアという実験体が喉から手が出るほど欲しかったはずだ。それを容易に殺すはずがない。
いやしかし、まさか実験者までもがソフィアを狙っているなんて思いもよらなかった。
ヴァイオラの他にも敵はたくさんいるのか。
女は死体をステッキで突くと、死体は青白い粒子に変わり消えていった。どうやら死体も彼女の魔術だったらしい。
死体を消し去り女は私へ向き直る。
「さて、それでこれからどうする?妹は死んだことにしてもう帰るかい?それとも軍隊でも連れてくるかい?」
「返してはくれないのね」
「私の夢だからね。申し訳ないけれどそれはできない」
「なら、私はあなたを倒して聞き出すわ」
私がいつでも術式を展開できるように魔心線を激しく動かす。
黒い線が私の体を這うように現れる。
これには驚いたように女が目を見開いた。
「それは⋯⋯、心線か。珍しい体質をしているんだね」
黙って私と女の会話を聞いていたリーンが吹き出すように言った。
「ハハハ、ヴィオラちゃん意外と度胸あるよね。世界一の魔術師相手にさ」
「世界一の魔術師?」
そんなものがここにいるわけなかろうと思ったが、一人だけ思い当たる人物がいた。
ついさっき名前を聞いた人物だ。もし彼女がそうならば、私には万に一つも勝ち目などない。
目の前が真っ暗になりかける。心なしか足元もおぼつかなくなってきた。
そんな黒い世界で、目の前の美しい女だけが光り輝いて見えた。
そいつはいたずらっ子のように笑った。
「名乗るのが遅くなってしまい申し訳ないね。私こそが帝国の五本指が一人、帝国の魔女ことアルフィリア=ヴィス=ニヴィルフィルだ。以後、お見知り置きを」
そういって魔女は優雅に礼をした。