言えない想い
優しい瞳で、紅が私の答えを待っている。
大事な幼なじみの彼は、もちろん特別な存在だ。けれど、大きくなって頼もしいなって意識し出したのは最近のこと。好きかどうかなんて、考えたこともなかった。
だって、紅は桃華のものだと思っていたから。
この世界がゲームである以上、一番素敵な女性はヒロインである桃華だ。彼女以上の存在は、この後も残念ながら出てこない。だから紅は、私より桃華とくっつく方が幸せになれる。
男装してみんなを騙している私が、恋愛したり自分だけ幸せになったりするのはおかしいと思う。桃華の想いに応えられず傷つけてしまった私に、紅とのことを考える資格はない。
たとえ紅が、最近気になる存在だとしても。
目を閉じて大きく息を吸い込む。
息を吐き出し目を開いた私は、想いとは正反対の言葉を告げた。
「どうって、別に。幼なじみだけど、私はただの世話役だし。まあ最近は、世話を焼かせてばかりだったけどね」
目を合わせ無理に笑って見せる。光の消えた紅の瞳を見ると、途端に胸が痛くなる。
私がヒロインだったなら、気持ちを受け入れられたかもしれない。けれど攻略対象である私では、彼の気持ちに応えることができない。学園で男の子として扱われている私が、急に女の子になるのは変だ。それに可愛げのない私では、ヒロインにはなれない。
そう思うのに、なんだか苦しい。手の平に爪が食い込むまで、両手をギュッと握り締める。
大切な紅に、こんな顔をさせたいわけではなかった。けれど、決意は揺るがない。紅や櫻井兄弟には、幸せになってもらいたいから。
「それがお前の答え?」
「うん」
頷きながら、後ろに下がる。今の私は攻略対象としてだって対等な立場ではない。私の実家は櫻井家に対して膨大な借金があるから。引け目を感じるくらいなら友人兼世話役として、あと少し側にいる方がいい。
思案顔で私を見ている紅。だけど、あっさり引き下がってくれるはずだ。
紅は母親を亡くして以来、物や人に執着することがほとんどない。長男として兄弟を引っ張ってきた彼は、自分の持ち物も気前よく蒼や黄に譲っていた。恵まれた環境にありながら、家の力を誇示するようなこともない。
私が想いに応えないからといって、責めたり嫌なことをしたりはしないはず。私はどこかで安心していた。
「そうか、わかった」
ほらね?
私のことは一時の気の迷い。
すぐに他の人を――桃華のことを好きになるだろう。
「世話役ね。だったら……」
紅にグイッと腕を引かれる。
端整な顔が間近に迫り、唇が一瞬重なった。
「――え?」
今のは何?
「な、ななな何を!」
「こういう世話は含まれないんだっけ?」
「はあ!? そんなわけないでしょうっ」
噛みつくように答える。
よくもしれっと。
というより、よく考えたらファーストキス……?
思わず涙目になってしまう。
「ストーーップ! 紅輝、今のはダメだよ? まったく、最近の高校生は目を離すとすぐこれだ。ほら、午後の部が始まる。二人共さっさと着替えておいで」
碧先生だ。
入ってきたのに気づかなかった。
そういえば、二十分だけだと言っていたような……
どこから見てた?
違うから。
別にここでいちゃついていたわけではないから。
今度は頬が火照り出す。紅ったら、「わかった」って言ってくれたのにどういうつもり?
「行くぞ、紫記。世話役だろ、着替えを手伝え」
何それ。
何でそんなに平気なの。
他に言うことないわけ?
それにええっと……まさかの俺様復活!?
ジャージに着替えるために教室に行った。現在私は目を背けながら、紅を手伝っているところ。というより、一人で着替えられるはずなのに。
世話役だと言いながら、彼らを起こすこととスケジュール管理以外の仕事をろくにしてこなかったことは確かだ。でもこれでは、目の保養……じゃなくって目の毒だ。
「上半身勢いよく脱ぐとかあり得ないし」
「何でだ。着替えるんだから当たり前だろう」
「だったら、自分でできるでしょう?」
「世話役だろ? お前がそう言ったんだから手伝え」
これはあれかな。
このままネチネチと意地悪するパターン? まあ、そのうち飽きると思うけど。学園に入ってから今までが、楽過ぎた。中学までは大体こんな感じだったし。
だからって、大胸筋やら上腕二頭筋、割れた腹筋なんかを見せびらかすことはないのに。
「紫、お前は着替えなくていいのか?」
「着替えるけど、ここでは無理」
「どうして? 俺しかいないぞ」
「あーのーねー。第一、着替えを持って来てないし」
「そう。それは残念だ」
以前の紅に戻ってしまった。
ゲームの『紅輝』も元々こんな感じの性格だ。彼が優しくするのは、好きになった桃華だけ。他の女子には愛想はいいものの、表面上の付き合いだ。
彼の告白を私が断ったから、シナリオ通りに戻ったのかな? だったらもう優しくしてはもらえない。けれどそれなら、桃華を好きになるのは時間の問題だ。紅が桃華とくっつけば、私は世話役からは解放される。
胸が痛むのは気のせいだ。
だって私は、彼の幸せを願っているもの。
「じゃあ、後片付けよろしく。騎馬戦前になったら集合場所に来いよ」
着替えた途端、何事もなかったかのように去って行く。やっぱりその程度。じゃあさっきのキスは何だったの? 私を好きだと言ったのは、その場のノリ?
唇に指で触れてみる。
ほんの一瞬、確かに重なったと思ったんだけど……
保育園時代を数に入れないとしたら、大きくなってからは初めてのことだ。咄嗟に動くことができなかったけれど、嫌だと思っていない自分が怖い。
「それにしても、変わり身早過ぎでしょ」
脱ぎ捨てられた演舞の衣装を胸に抱き、呟く。舞を舞っている間は、本当に楽しかった。あの時間が永遠に続けばいいと、本気で思っていた。たとえ嘘の夫婦でも心が重なる感じがして、一番近くにいられたのに――
まあ、仕方がないか。
ストーリーを知っているとはいえ、彼の告白を断ったのは私だから。今はわからなくても、将来感謝されればそれでいい。『強いゆかりちゃん』は最後まで強くなければいけない。
紅の衣装を畳んだ私は、自分も着替えるために教室を出た。




