ごめん……
「みんなごめん、話があるんだ。ちょっと花澤さんと二人だけにしてくれる?」
「あら」
吸入が終わった私は、ダメもとでその場にいた全員に訴えてみた。攻略対象であって攻略対象でない私は、ヒロインの気持ちには応えられない。だから、告白を断るなら早い方がいい。もし無理なら改めて機会を設けて、桃華に話さなければいけない。
「紫記ちゃん、無理せずゆっくり休むんだよ」
橙也が柔らかく言って帰って行った。
「紫記、具合が悪いくせにこんな所で口説くのか?」
藍人はのん気だ。
苦笑いの後、出口に向かう。
こりゃ確実に性別バレてないな。
「ええ~~何でー」
「短時間だけだ。後でまた、様子を見に来る」
黄も不満を漏らしたものの、蒼と一緒に素直に出て行ってくれるようだ。
あとは碧先生と紅だけ。
紅は変な顔をしている。
大丈夫だよ?
桃華に紅の気持ちを勝手に伝えるようなことはしないから。
「二十分くらいかな。それ以上時間をかけたら、午後に間に合わなくなるかもしれないからね。鍵を閉めに来るから、話を終わらせておいて」
「わかりました」
先生は冷静だった。桃華との話が長過ぎたら、お昼ご飯と午後の競技に間に合わなくなってしまう。それに紅も。彼女を慰める時間を逃してしまう。碧先生の後から出て行く紅は、振り返って何かを言いたそうにしていた。何だろう。私が断るより先に、桃華に告白したかったのかな?
保健室を出て行くみんなを確認し、入り口の扉を閉めた。これで、桃華との会話を誰にも聞かれずに済む。
「紫記様ったら、大胆ですわ」
「え? あ、違うから。そうじゃなくって、さっきのことなんだけど……」
勘違いさせる前に、付き合えないとすっぱり断らなければならない。私がヒロインに攻略されるわけにはいかないし、現実的に無理だから。それに桃華が好きなのは、男の子の『紫記』。決して女の子の『紫』ではない。
桃華に近付き見下ろす。
小柄な彼女は、女の子の私から見てもとても愛らしい。
告白を断るには「他に好きな人がいる」と言うのが一番だ、と以前何かの本で読んだ。初めての経験でよくわからないけれど、参考にしてみることにする。
「他に好きな人がいるんだ。君は魅力的だし素敵だけど、僕はその人しか見えていないから。ごめん……」
深々と頭を下げる。
攻略されなくてごめん。
騙していて、ごめんなさい。
「そんな! どなたですか?」
そう来たか……そりゃそうだよね。
でも、困った。考えていなかった。
相手はもちろんいないから、答えることはできない。
「相手の名前は言えない。僕が勝手に想っているだけで、迷惑がかかると困るから」
自分でも不思議なほど、悲しそうな声を出せたと思う。一瞬頭に浮かんだ彼は、桃華のものだから。私はヒロインじゃないし、本物の攻略対象でもない。けれど今は男の子の紫記として、桃華に私を諦めさせなければいけない。
わかってくれると嬉しいんだけど。
すぐ近くに素敵な恋が待っているよ。
「だったら私も! 想うだけならいいんですよね?」
えっと……あれ?
一瞬、耳を疑ってしまった。
恋愛本、効果はゼロだ。
ええっと、他の断り方は何だっけ。
「それに、付き合うとかそういうのに興味はない。考えたこともないんだ」
これは本当。
男装しているくらいだし、学園での恋愛は自分には縁遠いものだと思っている。
「それなら大丈夫です。私、今すぐどうこうなんて考えていませんから。長期戦、望むところですわ」
「……はい?」
思わず桃華を凝視する。
食い下がるなんて予想していなかったんだけど。
「それに、いくら紫記様がお好きでも、私が認められない相手はダメですわ。好きな人には心から幸せになってもらいたいですもの」
「ええっと……」
「反対しても無駄ですよ? 私、こう見えて結構しつこいですから」
ど、どどーしよう?
断られても諦めないなんて。
打たれ強いヒロインなんて、ゲームの設定にはなかった。それに私、すごく愛されてる気がする。「好きな人には心から幸せになってもらいたい」とは、なかなか言えないセリフだ。でも、こうなったら最後の悪あがき。ヒントをあげよう。
「君のことを好きな人が身近にいる。彼のことも、どうか考えてあげてほしい」
「紫記様ったら! 私はあなたが……」
「ごめん。君の気持には応えられない」
正体をバラせば、即解決するのに。
真剣な想いをここまで否定しなければならないなんて、さすがに辛い。好きになってくれてありがとう。でも、身勝手で振り回してごめん。前世で憧れていたゲームのヒロインを傷つけるなんて、一番やりたくなかったことだ。
「いいです。勝手に好きでいますから」
泣きながら去るかと思いきや、挑むように桃華は微笑んだ。お願いだから、次の攻略対象に行って欲しいんだけど。
パタパタと駆けていく桃華を見送った後で私は考える。
もっといい断り方があったのかな。
どう言えば、すんなり諦めてくれたんだろう。私が不甲斐ないせいで、紅の告白が桃華に受け入れてもらえなかったらどうしよう? 彼の方が優しいし頼りがいがある。最初は怖いと思うかもしれないけれど、付き合っていくうちにだんだん良さがわかってくるはずだ。
そんな風にちょうど紅のことを考えていた時、本人が保健室に入ってきた。
「紅! どうして」
桃華が出て行くのを見なかった?
すぐに追いかけないとダメじゃない!
大股で近づいてきた紅は、真剣な表情をしている。
「今、転校生と話した」
「早っっ」
もう告白したの?
ここにいるってことは、まさか私のせいで瞬殺!?
「好きな人がいるって本当か?」
ごめん……それ、私だわ。
っていうか、体育祭の時見てたよね?
『好きな人』のカードを持った桃華が私を連れてった時、隣にいたよね。
「誰なんだ、俺の知っているやつ?」
え? だからそれって私……
「こんなに近くにいたのに、俺じゃないのか」
そ、そんなことを言われても。
私だって戸惑っている。
桃華が紫記のことを好きだとは、思っていなかったから。
それより、近くにいた、とは?
あ、そうか。
毎日演舞の練習を見に来てたから……そういうことか。かっこいい自分を差し置いて、まさか私を見に来てるとは普通思わないよね? 私だって、桃華は紅のことが好きなんだとばかり思っていたもの。
それよりも、紅がそこまで深く桃華を想っているだなんて知らなかった。悲しそうな瞳は見ているこっちの方が辛くなる。考えたら紅は、攻略対象として優勝するために一生懸命練習していた。それなのに、桃華が私を好きだと言うなんて……
「ごめん……」
素直に謝ることしかできない。
他にどう言えばいいのかわからない。
目の前に来た紅が、掠れた声で聞いてくる。
「橙也か。あいつがいいのか?」
いや、桃華が好きなのは私だってば。
紅がこんなに鈍いとは思わなかった。
この場で言うとケンカになるかな。
私は黙って首を横に振る。
「それなら藍人? でも、あいつは知らないはずだ」
何を?
思わず目を丸くする。
そんな私の瞳を覗き込むように、紅が私の両肩を掴む。
「藍人なのか? あいつのどこがそんなにいいんだ」
「いや……」
だから違うって。
私に詰め寄る紅を、私は思いっきり押し返そうとした。
その瞬間――
逆に強く、抱き締められてしまった。




