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ユールヴィング領の攻防(2)

 ユールヴィング城内──

 解放された広間に街の住人たちが避難していた。

 窓から射す落日の光と共に轟く怒号と喧噪、そして人外を思わせる怨嗟の咆哮が彼らの耳にも届く。

 タニアもその避難した住人たちの中に交じり、外の様子に耳を傾けていた。

 タニアは両手を握り締め、祈るように目を閉じる。

「大丈夫?」

 声をかけたのはマリーサだ。非戦闘員である侍女たちも退避を命じられていたが、侍女頭である彼女はそれでも何か出来ることを探して周囲を見守っていた。

「……あたしは大丈夫です」

 タニアが顔を上げる。

 咆哮には聞き覚えがあった。先日、皆が聞いたあのおぞましい声と一緒だった。

 その主がすでにこの城に迫っているのだ。

 住人たちもその不安は一緒なのだろう。互いに怯え合って身を寄せ合っている。

 だが、タニアが本当に心配しているのはこの城を防衛しているログたちの安否であった。

 マリーサがタニアの肩に手をかける。

「男爵様がこちらに急いで戻って来ているそうよ」

「本当ですか!?」

「ええ、だから、もう少しの辛抱よ……ログ副長も他の皆もそれを信じて頑張ってくれているわ」

 タニアは両手に力を込める。

「お願い、男爵……早く戻って来て」



「どうやら始まっているようだな」

 サルディンの部隊はユールヴィング城を臨む場所まで近づいていた。

 その彼らに聞こえてきたのは防衛している兵士たちの騒ぎと人外の咆哮であった。

「所長代理! ウンロクさん!」

 彼らに向かって声がした。その声と共に向こうからやって来たのはアードだった。

「おい! 今どうなってる!?」

 ウンロクが詰め寄るとアードが慌てて説明する。

「所長代理の予想的中っす! とんでもない奴が襲撃して来たんすよ!」

「とんでもない奴って何だ? ちゃんと説明しろ」

「あれっす! 以前、オレフさんが変身したあの鋼のミイラみたいな奴っすよ! 黄金じゃない方ですけど──」

「何ですって!?」

 マリエルとウンロクが揃って驚く。

「所長さん、いったい何なんだい? あれって?」

「……一言で言えば“機神”の化身みたいな奴よ」

 サルディンの問いにマリエルが答える。その説明は簡潔ながらサルディンたちを動揺させるには十分であった。

「それでアード、城はどうなっているの?」

「ログ副長たちが迎撃しているはずですが、どうなったかは……こっちは所長代理の作業を急がせてくれと命じられてこっちに来たので──」

「……」

 マリエルがしばらく城を睨むが、すぐに部下二人に呼びかける。

「二人とも、こっちを手伝って。サルディンさん、出来るまででいいわ。この“門番”を城にできるだけ近づけて」



 クレドガル王国西部地域──

 エルマは《グノムス》の肩に乗り、王都から続く川沿いの道を進んでいた。

「姐さん!?」

 同じく《グノムス》の頭の上に乗っていたプリムが前方を指差す。

 その先に騎馬の一隊の姿があった。同じく川沿いの道をこちらにまっすぐに向かってくる。

「……向こうも急いでくれたようね。グノムス、うちを降ろしてちょうだい」

 向こうも鉄機兵を連れたこちらの姿が見えているだろう。それでも警戒せずに来るという事はこちらを知っているという事だ。

 エルマは《グノムス》の手に乗って地面に降り立つ。

「良かった、もう来てくれたんだ」

 リファも並んで騎馬の一隊が来るのを待つ。

 騎馬の一隊が近づいて来た。それぞれ騎士が乗っており、その中心にいるのはエレナ=フィルディングその人であった。

 騎士部隊は手前で止まると、エレナ=フィルディングと護衛の数人が馬を降りてエルマたちの前にやって来る。

「お待ちしてました、エレナ姫。乗馬もお上手なんですね」

 エルマが声をかける。強行軍だったのかエレナの表情にも若干疲れが見えた。姫自身が自ら馬を操ってでも急いでこちらに来てくれたという事だろう。

「フィルディング一族の一人としての嗜みです。そちらも無事でしたか。そこの娘から魔女を退けたとは聞いていましたが──」

「いやあ、おかげ様で助かりましたわ」

 エルマは笑顔で答えるが、すぐにその表情が緊迫したものに変わる。

「その御助力ついでに悪いのですが、また貴女のお力をお借りしたいのです」

「あの化け物の事ですね。分かっています。こちらからもお願いするつもりでした」

 エレナも表情を引き締める。

「しかし、どうするつもりです? 奴はおそらくユールヴィング領にまで踏み込んでいるはず。“狼犬”が追いつくかどうかの時間の問題ですが、こちらで何か手伝えるのですか?」

「ええ、その時間を稼ぎます」

 エルマはリファを見た。

「リファちゃんの力も借りて、ユールヴィング領にまで貴女の命令を──“機神”の能力を行使します」

「あの化け物はおそらく“機神”の能力でも支配はできないでしょう。それに、その件についても別の問題が発生しています」

 エレナから語られたのは彼女と“機神”の交信を邪魔しようとしたという謎の男の存在であった。

 エルマは黙ってその話を聞いていたが、話を終えると考えをまとめるように目を閉じる。

「つまり、貴女の能力でその男の干渉を封じることはできたと?」

「確かとは言えないが、手応えみたいなものは感じました。ただ、いつまでも向こうが何もしないでいるかは分かりません」

「……それなら、このまま計画通りにやりましょう。どのみち、それしか手段がないものでしてね」

「こちらも異存はありません。ですが、貴女はあの男について知っているですか?」

 突拍子もない話だが、あまり驚くことのないエルマの姿にエレナも訝しんでいるようだ。

「いえ。もしかしたらって目星はありますが、今は推測だけで議論している余裕もありません。準備をしたいと思います」

 エルマは傾く太陽を一瞥すると、自分の考える作戦をエレナに説明する。

「……なるほど、言いたいことは分かりました。しかし、向こうがこちらの意図に気づいてくれているでしょうか」

「大丈夫でしょう。あの子ならうちと同じように考えてくれているでしょうから」

 エルマが事もなげに説明する。

「なるほと、それだけ妹殿を信じているという事ですか。分かりました、貴女がた姉妹の策に乗りましょう」

「ご協力、感謝します」

 エルマは礼を述べるとリファの方に振り返る。

「リファちゃんも力を貸してくれるわね」

「分かった。グノムスちゃん、お願い」

 リファの声に《グノムス》が胸の搭乗口を開けた。

「……ごめんなさいね。道具みたいにこき使っちゃって」

 リファとすれ違うエルマがそっと声をかける。

 リファはエルマの顔を見るとにっこりと微笑む。

「まかせて。要は役に立てば良いって事でしょ?」

 そう言ってリファは《グノムス》に乗り込んだ。

「頼もしくなったな、あの娘も──」

 エレナも微かに微笑むが、すぐにエルマと顔を見合わせる。

「それではエルマ博士、始めましょう」



 マリエルたちを連れたサルディンの傭兵部隊は城下街の中を進んでいた。

 城からは兵士たちの声がはっきりと聞こえ、弩砲の歯車の音まではっきりと届いている。

「所長さん。どこまで行く? これ以上、近づくのは危険だぜ」

 サルディンが言う。

 大きな荷物を載せた荷車を牽いているのだ。近付き過ぎれば敵に気づかれるだろう。

「……そうね、ここまでで良いわ。有効範囲には入ったわ」

 マリエルが荷車から降りる。その手には装置を持っていた。装置には長いケーブルが繋がり、荷車に載せたままの鉄巨人にまで伸びていた。

 彼女は先を小走りに進むと建物の陰に隠れて前方を確かめる。

 閉ざされた城門の前に居たのはログ副長と、その前で倒れている鋼のツタと甲殻に全身を覆われた人型の異形だった。

 異形は首を撥ねられてシグの魔剣に貫かれていた。

 副長が善戦しているようだが、異形の姿から感じるおぞましい威圧感から相手が活動停止していない事はすぐに分かった。

「あれはいったい……」

 隣で同じく様子を窺うサルディンが異形の姿に声を失う。

(間違いない。オレフさんの時と同じ“機神”の疑似鎧形態……だとすると──)

 マリエルは装置を握りしめる。

「隊長さん、ご協力感謝します。ここからはうちがやります。皆さんは避難してください」

「ここに残るんですかい!? 見つかったらやばいですぜ。あの鉄巨人の組み立ては終わったんでしょう? だったら起動させて避難してしまえば良いんじゃ?」

「それだけではダメなのよ。相手があれだとするなら──」

 マリエルが異形の姿を睨む。

「──あいつが“機神”と同じ能力を使うなら、この“門番”を支配される危険があるんです。姐さんが“機神”を利用して命令を送って来るのを確かめてから、誰かが装置を直結する必要があるんです」

 マリエルに代わって答えたのは背後に立つアードだった。その横にはウンロクも立っていた。

「気づいてたの?」

「そりゃあね。“門番”の人工知能と動力系を分離したまま、手動で繋げるように改造してたら俺らだって気づきますぜ」

 ウンロクが言った。

「姐さん代理、その役目は俺ら二人でやりますぜ。代理は隠れていてくださいな」

 マリエルは驚く。

「本気? 危険よ」

「分かってますけどしょうがないっす。ここで所長代理置いて逃げたら姐さんに合わせる顔がないっすからね」

「よっし。アード、てめえが前な」

「ええ、そんな!? こういうのは先輩が前なんじゃないんすか?」

「バカ野郎。図体がデカい方が盾って決まってんだよ」

 二人はそう言いながらもマリエルの手から装置を奪い取り、前に出て城門が見える位置に陣取る。そして手を振ってマリエルたちに下がるように促した。

 サルディンがマリエルの肩に手を置く。

「二人に頼みましょうや。所長さんは最後の控えだ」

「……二人とも、しくじりは絶対に許されないわよ。いいわね? 気をつけるのよ?」

 心配するマリエルに向かって二人は呑気に手を振る。

 危険を承知しそれを前にしても尚、その姿はいつものだらしない二人組そのものだった。



 夕暮れの空に夜の空気が混じり始めた。

 首と胴体を分断された異形を前にログは警戒を続ける。

 やがて、黄金の魔剣に貫かれていた異形の顔が真紅に輝き始めた。

(そうか、“聖域”の中では魔剣の力も限りがあるか──)

 異形の胴体が起き上がり、その腕から鋼のツタが伸びる。ツタは自身の首を絡め取ると強引に魔剣から引き抜いた。

「撃て!」

 ログの号令に城壁の上から鋼の矢が放たれる。

 狙いを定めていた無数の鋼の矢が異形に突き刺さり、その姿が後ろへと吹き飛ばされ、地面に倒れた。

 ログはその隙に魔剣を回収して、身構える。

 異形は上体を起こした。

 さらに追い打ちの矢が胸に突き刺さって異形は仰け反るも、倒れることなく起き上がろうとする。

 さらに別の矢が肩に突き刺さったが上半身が揺れただけで動きは止めず、膝をついて立ち上がる姿勢を見せる。

 何とか異形の動きを止めようと矢が撃たれ続けるが、それでも相手は止まらない。全身に鋼の矢が突き刺さるのも物ともせず、その矢を引き抜きながら立ち上がろうとする。

 ログたちの抵抗を嘲笑うかのようだった。

(このままでは、あの化け物一匹に城は全滅する)

 この先には住人たちが身を寄せ合って避難している。ここを突破されたら、もう後がないのだ。

 ログは魔剣を収めていた腰の鞘に魔法剣を収めると、背中の鞘を外してそれにシグの魔剣を収める。

(何とかここで足止めをして、時間を──)

 マリエルたちがこの危機を打開するために行動している。自分たちの力で止められないならできる役目は少しでも時間を稼ぐ事だ。

 ログは鞘に組み込まれていた装置を起動した。

 鞘が真紅の輝きを放ち、輝きがログの鋭い双眸を照らす。

 同時に異形も輝きに気づき、ログに注意を向けた。



「あの鞘はいったい……副長は何をするつもりなんだ?」

 物陰に隠れてログと異形の戦いを見守っていたサルディンが呟く。

 彼も部下たちを退避させたが、自身はマリエルと一緒にここに残っていた。

「対生成機関よ」

 ログの手にする鞘を見たマリエルの視線がさらに険しくなる。

 あの鞘は対生成機関と呼ばれる装置だ。現在、進行中の《アルゴ=アバス》改造計画に必要な試験機として作られ、実用機が完成すると試験機は鞘に偽装してログに渡されたのだ。

 鞘から放たれるのは収めたシグの魔剣を触媒として生成された魔力の光だ。

 対生成機関とは“聖域”の作用を利用し、輝力か魔力を放つ存在を触媒とする事で対となる力を集める装置である。

 鞘の形をした対生成機関は戦乙女の武器である魔剣に秘められた輝力を引き出し、“聖域”の作用で対となって集まった魔力を分離して放出している。見かけは真紅の光を放出しながら魔力を帯びているように見えるが、実際にはそれと同じ強度の輝力が鞘に蓄積されつつあるはずだ。

「ログ副長……まさか、身を呈して……」



 城壁からの射撃が尽き、異形が完全に立ち上がる。

 同時にログが動いた。

 異形からツタの群れが放たれる。

 ログは手にした鞘からシグの魔剣を抜き、それを切り払う。しかし、剣の名手であるログを以てしても全てのツタを切り払う事などできず、幾つかのツタがログの身体を傷つける。

「副長ッ!?」

 城壁から声が飛ぶ。誰が見ても無謀な特攻なのは明らかだ。それでもツタの刃に翻弄され傷つきながらも、ログは異形と間合いを詰めようとした。

『ゴアァッ!』

 異形がログの無謀を嘲笑するように叫ぶと、その全身から槍ぶすまのようにツタが伸びる。

 ログは魔剣を異形に投げつけた。

 ツタの一部が異形の身を守るために盾のように重なる。阻まれた魔剣は弾き飛ばされるが、狙って来るツタの数は減らせた。

 ログは魔力に覆われた鞘で自分を狙うツタを薙ぎ払う。魔力で覆われた鞘は刃のようにツタを斬り裂くが、それでも切り漏らしたツタがログの身体を傷付ける。

 それでもログは構うことなく間合いに入り込むとその鞘を異形の腹に突き刺した。

 魔力を放ち破壊力で覆われた鞘自身が刀身のように異形の腹にめり込む。

 しかし、捨て身のログの一撃でも異形は動きを止めなかった。

 その背中から黒い翼のようにツタが広がり、ログを覆い被さるように襲いかかる。

 鋭い刃のツタが包囲しつつ迫る。

 ログにもはや逃げ場はなかった。

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