演説
キキイは屋台で売られていたドーナツを買うと、中央広場に並べられていたベンチに腰掛けた。
ポロリ、ポロリ、中央広場に人が集まり始めていた。
キキイは市長の演説なんて誰が聞くんだろうと思っていたし、演説台の前で一人ぼっちになったらどうしよかと考えていた。けれども、杞憂のようだった。
演説台の周りにはマナ教の騎士が数人見かけられた。
ピリピリした雰囲気が漂っている。
ゴーリッキが言っていたようにギーリク大図書館で何かあったんだろう。街中を見張るように立つマナ教騎士の様子を見る限り、大変なことがあったようだ。
キキイはマナ教について何も知らない。けれど、彼らの様子を眺めていると旅立つ前にリーリが《マナ》という言葉を口にしていたことを思い出した。
マナ。それ自体はよく目にする言葉だ。
学校で教わる大昔の物語に登場する言葉。星の成り立ちや命の起源について語るときに必ず使われる。でも、 マナとは具体的にどういったものなのか、学校の先生は詳しく説明してくれなかったように思う。
ただ、マナの存在はマナが消えたとき感じる。
人のマナが尽きたとき。
木のマナが消えたとき。
鳥のマナが消えたとき。
漠然とマナが消えたと分かる瞬間がある。
ありふれ話だし多くの人がマナそのものに無関心だ。
キキイも同じだった。
演説台の側には礼服に身を包んだ初老の男が出番を待っていて、その隣には大きな鎧の騎士が並んでいた。
(ゴーリッキさん)
見間違えるはずない。
ゴーリッキは群衆に目をくれず、側に佇む初老の男の相手をしていた。コーバリのレイル市長なんだろう。雰囲気が周りと明らかに異なっていた。
キキイが視線をレイル市長に移したとき、トランペットをソロに迎えた小さなアンサブルが音楽を奏で始めた。そして、ざわつきが静まり出した。
レイル市長が壇上へ進むと、静寂が広場を包んだ。
「我が先祖、リューレの没から一千年。コーバリは彼が残した小さな蕾と共に発展してきた。その小さな蕾が私たちの心に語りかける。かつて、人々の間で《知識》が金やお米の粒と同等に扱われていた。そして、新しい知識や価値のある知識は【力ある者】に独占され、飽きが来ると【無力な者】に解放される。その繰り返しにおいて、多くの知識は無数の無価値で名もなきガラクタの中に埋もれた。想像してほしい、殻に閉じ込められた空を。息ができない、届かない、遠く隔てられた場所。言葉、道具、数字。それらは、何もかもがくすんだ雲の中に沈んでいた。かつて、真実の知識は壁に覆われた牢屋に閉じ込められていた。愚かな連中は知識を独占し誇ること、それこそが力の象徴であると考えていた。堅牢に覆われた檻の中に 《知識》を閉じ込めることを〈学び〉だと勘違いしていた。しかし、すべての賢き人々は知識が喜びや悲しみを知るための欠かせないモノであることを信じていた。そして、誰もが知識に触れられる世界、それこそが望まれる世界だと考えていた。
コーバリとマナ教。
遠い昔に手を取り合った二つは、時の経過と共にリューレの小さな蕾を花開かせてきた。そして、その花は咲き開き輝きを増し続けている。コーバリとマナ教との関係は愚かな人々の欲を消し去り、正しき《知識》の有り様を強く望むことで理想の世界を築くことが可能なことを示してきた。
リューレがギーリク大図書館を建立したその年、彼が残した言葉ある。それは、『生命、それは星から来るもの。知識、それは生命に初めて芽生えるもの』という言葉だ。私が謝肉祭においてこの場所に立つのは、このリューレの言葉を皆さまに伝え、残したいからだ。マナ教の始祖キリルは星に関する膨大な知識を残した。そして、彼の言葉、生き方、知識がリューレの中でくすぶっていた何かを芽生えさせたのかもしれない。一千年の時を隔てても、リューレの志は私たちとマナ教との間に生きている」
レイル市長は語りを止め、遠く群衆を見つめた。
「コーバリとマナ教。長い歳月が育んだ二つの間の関係。この謝肉祭において、その関係に新しいページが更に重なることを私レイルは嬉しく思う」
レイル市長の小さな手にカルネが注がれたグラスが渡された。そして、 天に掲げられたグラスに向かって乾杯の鐘が鳴らされた。
「リューレの心に乾杯を」
演説が終わった刹那、眺めていた人々から少しずつ拍手が湧き上がった。
初めは、前列に詰めていた群衆からパラパラ音が聴こえてきた。そして、その拍手の波はゴーヤ浅瀬に押し寄せるさざ波のように静かに全体に広がった。
数十秒間、 拍手が広場を覆った。
キキイは放心した。
長く一瞬のような時間だった。
最初はリーリとユイが現れないか、キョロキョロ周りに注意を向けていた。けれども、太く落ち着いた語り口を聴いていると いつの間にか引き込まれていた。
キキイは演説の内容についてほとんど頭に入らなかった。 リューレという人物がギーリク大図書館を建てたこと、それとマナ教が関わってきたことぐらいしか分からなかった。ハッキリ分かったことは、レイル市長の最後の言葉だけだった。
(謝肉祭を催せて嬉しいんだなぁ)
キキイは演説が終わりパラパラと広場から散ってゆく人を見た。人が散ると謝肉祭の騒がしい雰囲気が少しずつ戻ってきた。キキイは謝肉祭の喧騒に囲まれると、あらためて一人ぼっちでいることに気づいた。
大勢の他人の中に一人いる。なんだか心細い。
キキイはまたリーリとユイが恋しくなった。
(返信も返ってこない)
「もぅ、二人はどこにいるんだろう」
キキイは『もしかしたら』という期待を込めてを込めて広場に散らばる人を見渡した。
(リーリはぶっきらぼうだから気付いてくれないかもしれない。でも、ユイは機械人形だ。ユイの方から自分に気づいてくれるかもしれない)
「きゃぁ」
余所見をしていたキキイは目の前に人がいるのに気づかず、頭をぶつけた。
「すみません!」
キキイは慌てて相手の顔も見ずペコリ頭を下げた。視線の先には鉄製の頑丈そうなブーツ、そこから伸びる脚はライオンのように太く丈夫そうだった。
急いで顔を上げると、こちらを見るゴーリッキがいた。




