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問いは口から出ないまま

「授業には出ないといけませんよ」

「頭痛いんです」

「なら保健室へ行きなさい」

「使用中でした」

「は?」

「転入生が転んで怪我をしたとかで現在貸切状態です」

「………はぁ」


学園の施設である保健室。誰が怪我をしたところで貸し切りだなんて真似、普通はできない。けれどこの学園、いや『今の』、この学園では不思議でもなんでもなくなっている。山奥の閉鎖的な学園。どこか不安定なところがありながら、それでも表面上は普通に回っていた筈なのに。それが完全に狂ってしまったのはいつだっただろう。

考えるのも煩わしいと首を振ると組んでいた腕を解いた先生が椅子の上の荷物を退かした。軽くお辞儀をしてそれに座る。呆れながらも目の前の机へ置かれたカップ。コトリと耳に優しい音と共に芳しいコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。その匂いを嗅いだ瞬間に肩が落ちた事で、それまで随分と体に力が入っていた事を漸く自覚した。


教室からも職員室からも少し離れた所にある古い国語科準備室。そこを使用しているのはこの先生ただ一人。他の先生はもっと新しく小綺麗な所を使っているらしい。

加速するイジメや刺すような視線で居辛い教室から逃げ出すたびに訪れていたこの部屋は、来る毎に居心地が良くなっていき、反比例して入り浸っているという罪悪感が消失していく。


カップを取り上げ一口すすり、ほっと一息吐いて何も言わずここに居るのを許可した教師の顔を見る。テーブルに教材や生徒のノートを広げ黙々と授業の準備をする先生は、僕を助けてはくれない。ここの生徒や教師の殆どはそれなりに地位が高い家の出身で、時にその権力をフルに使ってくる。そのため普通の家出身の者は逆らえないでいる。

弱い者は虐げられるだけの世界。

煩いの原因はとても大きな権力を持つものばかり。対する僕は、そしてこの先生は、どちらかというなら地位の低い家の出だ。何も、できやしない。ただただ嵐が過ぎるのを待つしかないのだ。


会話の無い部屋の中に、先生が滑らせるペンの音だけが響く。ぼんやりそれを眺めていたが、ふわりと頬を撫でた風に窓の方を振り向かされる。ゆらゆら揺れる白いカーテンの側、職員用の机へ目が行き、瞬く。普段は整頓された机の上が荒れている。テスト前でもないのに。


「珍しいですね」

「……ああ、ちょっと探し物をしていてね」


そのままでした。と目線の先を追って先生が答える。それにしたって几帳面なこの人がそれを放置するとは珍しいものを見た。面白くなってなんとなく立ち上がって近付き、紙を纏め適当に端を合わせて並べていく。手を出した事に大した意味はない。世話になっているからという理由付けは、どこか嘘臭い。何も言われないから見られて困るものはないだろうと手早く片付けていった。

と、乱雑に散らばる紙の中、一つ異質な固さを感じ手を止める。


「……写真?」


大量の紙の下、埋もれていたのはマホガニー色のシンプルな写真立て。木枠の中、ガラス越しにこちらに笑いかける数人の少年。自分と同じ服を身に付けている事からこの学園生徒と知れる。受け持った生徒のものだろうかと首を傾げかけ、端に写る平凡な顔立ちの少年の佇まいを目に止めた時ふと確信めいた予感が過った。


「これに写ってるの、先生ですか?」

「……えぇ」


どうやら予感は的中したらしい。手元から顔を上げた先生は一度目を見張った後、静かに立ち上がりこちらへ近付いてきた。


「先生、この学園出身だったんですね」

「……はい」


言って、机の隅に写真立てを置きまじまじと観察する。学生服を着た先生は今よりだいぶ若々しいがどことなく雰囲気は変わっていないように見える。


「あまり変わってないですね」

「そうかな」

「……学園も、そんなに変わってないですか?」

「……そうですね」


そうですか、と返す声は乾いている。これがどれくらい昔の事かは分からないけれど、そんなに長く続く環境が簡単に変わる訳がないという事だけは分かっていた。今更、失う穂との希望もないけれど。

沈黙は重くはないが寒々しく。無理矢理明るめの声を出して写真を指差した。


「でも先生笑ってる。楽しかったですか?」

「……そんなに、良い思い出はないけどね」

「なんですか、恋人とられたりでもしたんですか」


さっきから歯切れの悪い返答に小さな悪戯心が疼き茶化すような言葉が口から出る。

学生時代での苦い思い出となれば恋愛だろうという安直な考え。普段ならそんな考えは起こらない。ふと最近身の回りで怒り叫ぶ生徒達の歪んだ顔が思い浮かび、そんな考えが沸いた理由を知る。


恋など、くだらない。

しかし、いつも物静かな先生が何かしら珍しい反応を見せやしまいかと期待を寄せ彼の顔を伺い見た。


「……さてね」


――カタン


冷めた音を立てゆっくりと伏せられた写真立て。それを追う目には優しさと寂しさ。そして僕には分からない何かが混ざった色。じっと、動けないまま見つめていると、ふと思い出したようにこちらを向く顔。


「君にはまだ早いよ」


ゆるりと持ち上げられた右掌が俺の頭を数度撫でる。子供扱いされた事を怒るよりも、こちらを向いている筈なのにどこか遠くを見る目が自分の身に焼き付いて、どうしようもなく胸が掻き乱された。

その気持ちを、どう言葉にすればよいのかわからないまま僕は口をキュッと噤む。そして促されるがまままた椅子に座り、冷めたコーヒーを流し込んだ。


僕の言ったこと、当たっていたんですか。

この写真に写る人達は、あなたの何だったんですか。

恋人は、どうなったんですか。

まだ、その人の事を想っているんですか。


口に乗せたそれを、吐き出さないまま一口一口飲み込んで。空になったカップを流しへ戻した。



『問いは口から出ないまま』

『この胸の痛みは、なんなのでしょうか』

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