06
「シザリオはちゃんとやっているようね」
グレイシー様が王宮内を巡回しているシザリオ様へ揶揄うような声を掛けます。
「姉様。僕は勤務中ですよ。話しかけないでください」
微笑ましいお二人の仲の良い様子に姉弟のいない私は少し羨ましく感じて眺めていました。
「姉様のせいでマーシャ様に笑われてしまいます」
シザリオ様の少し不満気な様子が何だか可愛く感じられます。アルフレド様の貴族的な様子と違って……。
(今日のマーシャ様の笑顔も可愛い。こうして近くで話せるのも姉様のお陰だな。でも、マーシャ様のことで気になることを聞いたよな……)
――え? 私の何を聞かれたのでしょう? とても気になりますわ。
「「あ、あの」」
声をかけようとしたらシザリオ様と私は同時になってしまったので、思わず顔を見合わせて笑ってしまいました。
「シザリオ様からどうぞ」
「いえ、マーシャ様からどうぞ」
お互いに譲り合っていると、グレイシー様が呆れていました。
「あなた達何をやっているのよ。気が合うとはいえ……」
気が合うって?
私は何だか恥ずかしくて頬が熱くなりました。
(マーシャ様の顔が赤くなってる。とても可愛いな)
そう仰るシザリオ様も可愛いですわ。あら、年下とはいえ立派な騎士様に可愛いというのは適切ではないかしら。
そこにバタバタとした足音が響きました。王宮でこのような騒がしいのは珍しいことです。周囲の護衛の方が警戒して、グレイシー様を囲みます。私も僭越ながら、グレイシー様の盾になろうと身構えました。けれどそこに居たのは……。
「やっと見つけた! マーシャ! どうして、僕と婚約破棄なんてするんだ? 僕達は上手くいっていたじゃないか!」
足音を立てて騒がしくしてきたのはアルフレド様でした。私を指差して叫んでいます。一同は呆気にとられつつも、グレイシー様の警護は解きません。私は冷たい口調で訂正いたしました。
「婚約破棄ではなく、解消ですわ」
「どっちも変わらないだろう。そんなことより、婚約破棄は取り消せ!」
「そのようなことを仰っても、私達の婚約は政略的な家同士のことですわ。そちらのお義父様はなんて仰いましたの?」
私はアルフレド様を冷静に睨みつけました。今までこうした目でアルフレド様を見たことはありませんでした。私の今までと違う様子にアルフレド様も少し怯んだようでした。今まで私がアルフレド様へ異を唱えたことはなかったからでしょう。
「……はっ。愛しいミーアと別れろと怒鳴られたさ。お前のせいだ。愛人の存在は貴族社会では些細なことじゃないか。お前の正妻の座は揺るがないだろう? そんなことでどうして僕と婚約破棄などという酷いことをするのだ。絶対、婚約破棄など僕は認めないぞ!」
「失礼、些細なこととあなたは申されても、マーシャ様はベルモンド伯爵家の一人娘ですわ。次代伯爵家の中継ぎ的立場、そんなことも分からない方が伯爵家に入られるのはどうかと思いますけれど?」
アルフレド様の言いようにグレイシー様が見かねたのか横からそう仰ってくださいました。
「……公爵令嬢、あなたには関係ないでしょう。これは僕とマーシャのことです。部外者は口を挟まないでいただきたい!!」
「いいえ、マーシャ様は私の大事なお友達です。それにマーシャ様は私の侍女候補ですの。それもお分かりかしら?」
グレイシー様が優美な様子でにこりと微笑みました。グレイシー様の言葉が涙が出そうなほど嬉しく思いました。今の私は王太子妃の侍女候補です。それもいずれは王妃様になられる方のお側にいるということ。それは国王陛下のお側にも近いということ。どうやら、それも今のアルフレド様にはご理解できないようでした。
「お友達だって? 僕達はそれより近しい婚約者ですよ。いずれは夫婦となる関係だ。そもそも、王族から一度婚約破棄された令嬢などと付き合うこと自体外聞も良くない!」
「何ですって?!」
思わず私も声を上げました。今度は聞き捨てなりませんわ。アルフレド様は、いいえもう敬称はいりませんわ。アルフレドは私の大切な友人でもある公爵令嬢のグレイシー様を侮辱したのです。
「アルフレド様。私のことは構いませんが、グレイシー様のことを悪く言うのはおやめください! とても不敬なことですわ。そんなことを仰ればどうなるのかお分かりにならないのですか?」
「ふん。高々一介の令嬢に話しただけが、どうしたというのだ」
「お分かりにならないのですね。グレイシー様は公爵令嬢。それに王太子であられる第二王子様のご婚約者です。どう考えてもあなたより高位貴族、いいえ、王族に対しての言葉使いや態度ではありませんわ!」
私がずいっとアルフレド様の前に進み出ました。今まで反抗したことが無いので、アルフレド様は驚いたようです。今までは従順な娘でしたもの。
「生意気な! マーシャのくせに、この僕に歯向かうとはっ!」
アルフレド様が手を振り上げました。私は咄嗟に手で顔を覆いました。
でも、それが振り下ろされることはありませんでした。
「ご令嬢に暴力を振るうとは紳士の、それに貴族の風上にも置けない」
「な、何者だ?! 痛い。放せ!」
顔を上げるとアルフレド様の腕を握るシザリオ様がいらしたのです。
「私はウィストリア公爵家次男のシザリオです。因みにグレイシーは私の姉です」
「な、公爵家の次男だと? 何故そんな方がこんな騎士の姿で……」
シザリオ様は貴族子弟の通う学園ではなく騎士になりたいと騎士学校へ通っていたのでアルフレド様もお顔を良く知らなかったようです。私も長期お休みのときに公爵家のパーティなどでお話をしたことがあるくらいですもの。
「離せ!」
「私は王宮騎士見習いでありますが、騒がれるようなら捕らえなければなりません」
周囲の護衛の方も頷いています。
「くそっ! 僕は悪くないぞ!! そもそも、このマーシャが悪いのだ! 僕と婚約破棄などするから」
「だから、解消です」
アルフレド様は渋々とシザリオ様に連れられて立ち去ろうとしました。一同はほっとした雰囲気になったところ、アルフレド様はシザリオ様の腕を振り切って私に詰め寄り掴みかかってきました。
「この生意気な女め! こうしてやる!」
「止めろ!」
私と揉み合いになりかけましたが、シザリオ様が素早くアルフレド様を蹴り転がして床に押し倒してくださいました。
揉めたときネックレスが外れて何処かに飛んでいきました。引きちぎれる音と床に当たる硬い音がしました。けれど後から音のした方を探しましたが、見つけることは出来ませんでした。
これでもう心の声は聞こえなくなったけれどその方が良いのかもしれません。
アルフレド様は王宮で騒ぎを起こしたこと、王族に準ずるグレイシー様を愚弄したこと、未遂ですが私に暴力を振るおうとしたことなどで王宮の地下牢に入れられました。公爵に連絡をして何らかの処分を受けさせるとのことでした。
大人しくしてくださると良いのですが。反省しないようでしたら、市井に下りるどころか、罪人として処分されてしまうということです。以前、アルフレド様は婚約破棄から市井に下りた第一王子様を嘲笑っていましたけれど、ご自分はそれ以下になってしまわれるのです。
それから私はグレイシー様の侍女見習いとして王宮にいます。ええ、恋愛結婚などにもう夢は見ませんわ。結婚は政略で良いのですが、誠実な方を望みますの。このまま王宮で人を見る目を養うつもりです。
でも、何故か正式に騎士となられたシザリオ様と王宮でお会いする機会がとても多いのです。不思議ですね。だけど私はもうあのお声を聞くことはないのです。少し残念ですわね。
まさかの婚約破棄はあなたの心の声が聞こえたから
了
お読みいただきありがとうございました