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不幸でも生きてりゃいい、が総意らっけに

 俺の憤慨に、周吉は酷く驚いた顔で俺をじっと見つめていた。

 物凄く呆けた、もしかして惚けたのかとも思える顔つきだ。


「あぁ、すいません。行儀が悪くて。」


 しかし、周吉は飲み込もうと思った蛙に噛み付かれた蛇のような素っ頓狂な表情だ。


「あの、どうされました?」


「え、あの。すいません。和尚様が玄人を私共から離したいのは、私共があの女を見逃していた事よりも、玄人がウチの神様に食べられると脅えているからなのでしょうか。」


 呆けた周吉は口調まで変わっている。

 それも鬱の頃の武本にそっくりな口調だ。


「違うのですか?あいつはオコジョだから食べられるって言っていますよ。思い出した母親が自分にそう言い聞かせていたからと。だから僕は寿命が短いんですって。どうして彼がオコジョなのか判りませんけれども。」


 王様の威厳があった人間が、ただの老人に変化してしまう様を俺は初めて見た。

 周吉はアーモンド型の目を魚のような真ん丸に見開いて、ただ呆けたようにして固まっているだけだ。

 どうしたものかと俺が途方にくれた時、ドアから騒々しい男達が大笑いしながら軽食の乗ったカートを押して戻って来た。


「やめれさ。ほんっとにオコジョって馬鹿。死ぬ、先に俺らが笑い死ぬて。」


「死なないからってか。食べないよ。全く。オコジョは何を言っているの。」


「あぁ。部屋の会話を聞いていたのか?」


 白いのも黒いのも同時に自分の片耳を指差した。

 コードレスのイヤホンがついており、応接間のどこかにマイクが隠してあったのかと合点した。


「はい、百目鬼さん。返す。いい出来だからさ、コピーさせてもらった。俺達もあの女避けに欲しくてね。あの女、勝手に白波関係の催し物に出現する困り者でね。それも若い男を引き連れてさぁ。そいつを武本物産の跡取りだって紹介するの、ふざけるなってね。」


 俺は頭の白い方から写真を受け取った。

 黒い奴は、周吉の前に行って手のひらをヒラヒラとさせている。

 ここの私設警備員はなんてフランクなのだろう。

 親族だからか?


「あぁ、じいちゃんが完全に呆けてる。大丈夫?ほら、蛇神様はオコジョを食べないって言ってあげなきゃ。この人困っているねっかさ。ほら、じいちゃん。新潟にオコジョを連れて来て欲しいんでしょう。」


「じいちゃん?」


 黒いのは周吉から離れるとカートの上のペリエを俺に放り、自分も一本手にとって蓋を開けた。

 そして何口か飲むと、ようやく俺の疑問に答えてくれた。


「俺、この人の長男の息子の白波しらなみ久美ひさよし君。白波の跡取りで、現在関東担当の社長さんのクミちゃんです。そんで、あっちが長女の息子の佐藤さとう由貴よしたか君。パイロット派遣会社の社長しているユキちゃん。」


 白い髪の男が着ているジャンプスーツは仕事用のパイロットスーツであったのかと、久美の指差す彼の従兄弟を見返すと、由貴は自分を指差してにんまりとした笑顔を浮かべた。


「そう。俺がユキちゃん。」


 なぜか可愛い渾名まで披露して自らを指差して喜んでいる大男達は、親族の警備員どころか周吉のただの孫であった模様だ。


「つまり、君達は玄人の従兄か。」


 騒々しい二人は俺の言葉を聞くや、途端にがっくりと落ち込んだ。

 それはもう、この俺が心を痛ませるぐらいの落ち込みようだ。

 彼らは床にしゃがみ込んで、がっくりと頭を仲良く垂れているのだ。


「どうした?」


 白いのが顔を上げて涙目で俺を見た。


「ユキちゃんクミちゃんで気がつかないって、まだ完全に思い出して無いじゃない。これじゃあ俺達はオコジョにまだ会えないよ。」


「会いたきゃ会えばいいじゃねぇか。孝継なんか新しい関係を結ぼうって押せ押せで凄まじいぞ。お前らもあいつが可愛いなら会いに来ればいいじゃねぇか。それとも、やっぱり、お前らの神様はあいつを食うのか?この間は物凄いいかずちで凄まじかったからな。お前らが神様とやらに怯える気持ちもわかるよ。」


 黒いのもひょいと顔を上げた。

 そして二人して驚いた表情を顔に貼り付けたまま、俺を神様のように凝視しているではないか。


「どうした。お前らの神様なんだろ。」


「呼びましたか!あれは雷を呼びましたか!」


 突然の周吉の復活に俺は驚いた。

 飲んでいたペリエにむせかけるほどだ。


「お、おう。あいつが祝詞を唱えた途端に、次々と雨のように雷が降りましてね。」


 俺の答えを聞いた周吉は目をきらきら煌めかさせると、「祠!」と叫んで部屋を飛び出して行ってしまった。

 裾を跳ね上げての、威厳も減ったくれもない不恰好な走り方でだ。


「おい、お前らのじいちゃん大丈夫か?」


「大丈夫じゃね?まぁ、せっかくだからってけさ。」


 久美がのっそりと立ち上がり、サンドウィッチの乗った皿を俺に差し出した。

 俺がそれを摘もうと手を差し出した横で、由貴が大きく舌打をして立ち上がった。


「どうした?ユキちゃん?」


「うん?じいちゃんに呼ばれた。これからヘリで相模原急行だってさ。それじゃあ、百目鬼さん。俺も失礼します。オコジョの事をよろしく頼みますよ。」


 由貴は周吉を追って部屋から出て行き、久美は肩を竦めた。


「爺も下戸も消えたことだし、俺達は飲んだくれようか。ウチは酒屋だから酒だけは腐るほどあるっけね。それに俺はオコジョが呼んだ雷の事をもう少し知りてえからさ。」


 言うが早いかカートの下の段の引き出しを開けて、中から次々と酒の小瓶を取り出してはテーブルの上に並べ出している。


「お前の方が詳しいんじゃないのか?お前らの神様の力だろう。」


 久美はプルプルと首を振った。


「うちの神様水神様。オコジョが呼んだのなら、あれは武本家の神様。神様って言うか、使役獣だね。きっとその大本が来たんだよ。俺も見たかったれ。」


「しえき……じゅう?」


「知らんかった?武本家は飯綱いずな使いの一族で、真っ白いオコジョの形をした雷獣を使役しているんられ。じいちゃんも言っていたろ。武本と白波は相性が悪いって。一方は神域で神様を奉じる一族で、片や神域に入れない獣憑きだ。玄人は俺達白波よりも武本の力が強いからね。可愛いだろ。あいつは本当にオコジョそのものらねっかさ。臆病で凶暴で美しくて可愛くて、そして、馬鹿。」


「最後のそれは酷いな。」


「だってそうでしょうよ。蛇様に食われるって、そんなわけないでしょう。あれは神社に一人で行くなっていうだけのただの注意事。神社は山の中だからね。でもさぁ、そんな風に捻じ曲げて思い出してしまったって、やっぱり嫌らんだろうて。」


「嫌って?」


「嫌でしょうよ。父親と従兄に五十年の命の制限を受けさせないためだけに、自分が生み出された術具だって思い出すのは。呪いと生きる気力が無ければあいつは死ぬんられ。」


 武本家と白波家が必死になって武本を無理に記憶が戻らないように見守っていた気持ちと理由を、久美の言葉によって俺はようやく理解したのである。


「馬鹿だな。お前達は。」


「わかっているよ。俺達は不幸なあいつを不幸のままにしていても、生きていてさえくれればいいと考えているんだ。とんだ馬鹿もうぞ野郎らて。」

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