↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

016:天正三年 四月中旬:智将




種子島の湊へ、一隻の船が入ってきた。


船から降り立った男は、しばらく岸に立ち、島の景色を眺めていた。


海。

砂浜。

集落。


そして、その向こうに広がる畑。


男は、何かを探すように周囲へ視線を巡らせる。


だが、急いでいる様子はない。

ただ、静かに見ている。


人の動き。

荷物の流れ。

建物の配置。

畑の様子。

海から戻ってくる漁師。


男の目は、そうしたものを一つひとつ拾っていた。


「……なるほど」


小さく呟く。


種子島へ来るのは初めてだった。

だが、ここへ来る前に聞いていた話と、実際に目にする光景には、いくつか違いがある。

特に気になったのは――井戸だった。

集落のあちこちに、人が集まっている。

水を汲んでいるのだ。

しかも、以前よりも水を得る場所が増えているらしい。

男は、少し離れた場所から井戸を眺めた。


「……これが、報告にあったものか」


続いて目に入ったのは、長屋だった。


粗末ではある。

だが、一定の間隔で建てられ、何人もの人間がそこで暮らしている。

近くでは畑仕事をしている者たちの姿もある。

さらに目を向ければ――。


鶏がいる。

牛もいる。


以前より食事事情が良くなったという話も聞いている。

単独で見れば、どれも大したことではない。


井戸。

長屋。

畑。

家畜。

食事。


しかし――。


男は目を細めた。


「……繋がっているな」


一つひとつの変化が、独立して起きているわけではない。


水があれば、人が住める。

人が住めば、働ける。

働ければ、畑を作れる。

畑ができれば、食料が増える。

食料が増えれば、暮らしが安定する。

暮らしが安定すれば、人がさらに集まる。

そして人が集まれば、物が動く。


男は、そうした流れを頭の中で組み立てていった。


「面白い島だ」


その呟きは、誰にも聞かれることなく潮風へ溶けていった。




男がさらに歩いていると、商人らしき男と話している人物が目に入った。


山田次郎。


報告書に何度も名前が出ていた男だった。


男は足を止めた。


遠くから見る。

次郎は、商人らしき男と何かを話している。

あの男が、御用商人の川上宗貫なのだろう。

男は、しばらく二人の様子を眺めていた。


手には紙。

そこへ何かを書き込んでいる。

川上が頷く。

次郎が説明する。

また川上が何かを尋ねる。


そのやり取りを、男はしばらく眺めていた。


「……あれが、山田か」


想像していた人物とは少し違った。

もっと大仰な人物かと思っていた。

だが、実際には普通の男に見える。

少し疲れたような顔。

整えられていない髪。

それでも、目だけは妙に鋭い。


「……」


男は、その場を離れた。


今はまだ、話しかける必要はない。


まずは見る。

それから考える。

それが、この男のやり方だった。




翌日。


次郎が岸を歩いていると、見覚えのない男が近づいてきた。


身なりは商人風。

年齢は四十前後に見える。


「山田様、でごわすか?」


「はい。そうですが」


「私は商いをしております。少し、この島のことを知りたくて」


「この島のこと?」


「ええ」


男は笑った。


「最近、種子島の様子が少し変わったと聞きましてな」


次郎は、少しだけ警戒した。


「……何が知りたいんです?」


「井戸でごわす」


いきなりだった。


「井戸?」


「はい。以前より、水を得る場所が増えたように見えもす」


「まあ……そうですね」


「なぜ増やしたので?」


次郎は少し考えた。


「人が水を必要とするからです」


「それだけで?」


「それだけ、と言えばそれだけです」


次郎は答えた。


「でも、水がなければ生活は安定しません」


男は頷いた。


「では、長屋は?」


「住む場所が必要だからです」


「なぜ、まとめて住まわせるので?」


「仕事をしてもらうためです」


「仕事を?」


「はい」


次郎は簡単に説明した。


生活を支える。

働く場所を作る。

食事を用意する。

住む場所を確保する。

その上で、人に働いてもらう。


男は黙って聞いていた。


「……なるほど」


「何か?」


「いや。面白いと思いまして」


男は笑った。


「人を集めるために住まいを作る。働いてもらうために食事を用意する。食べてもらうために農業を整える」


「まあ、そういうことになりますね」


「では、農業を整えるためには?」


次郎は少し考えた。


「水です」


「水が必要になる」


「ええ」


「ならば――最初の井戸から、すべてが始まった?」


「……必ずしもそうではありません」


次郎は首を振った。


「何か一つだけが原因というわけじゃないんです」


「ほう」


「いろんなものが少しずつ影響しています」


男の目が僅かに細くなった。


「なるほど」


次郎も、相手を見た。


この男。

ただの商人ではない。


質問が妙に鋭い。

だが、嫌な感じはしなかった。


むしろ――。


話していて、妙に頭が整理される。


「では、あなたなら?」


次郎が逆に尋ねた。


「何を見ます?」


男は一瞬だけ黙った。


「……人でごわす」


「人?」


「井戸ができても、使う人がおらねば意味がない。畑ができても、作る人がおらねば意味がない。物ができても、運ぶ人がおらねば動かない」


「なるほど」


次郎は頷いた。


「人の流れを見るんですね」


「山田様は、物の流れを見る」


「……そうかもしれません」


二人は顔を見合わせた。


「面白いですね」


「ええ」


短い言葉。


だが、その間には妙な手応えがあった。




それから二人は、さらに話を続けた。


農業。

水。

畜産。

漁業。

商い。


一つの話題から、次の話題へ。


「牛を増やせば、肉だけでなく肥料も増えます」


「肥料が増えれば、畑の収穫も増える」


「収穫が増えれば、人が食べられる」


「余れば売れる」


「売れれば金になる」


「金があれば、別の物を買える」


「物が入れば、さらに人が働ける」


「……」


「……」


二人とも、いつの間にか立ったまま話し込んでいた。


質問。

回答。

また質問。

そして回答。


まるで、互いの頭の中を覗き込むようだった。


少し離れた場所で、その様子を見ていた弥助が首を傾げる。


「……なんか、睨み合っちょらんか?」


権兵衛も二人を見る。

確かに、険しい顔をしている。


だが――。


「いや」


権兵衛は首を振った。


「喧嘩ではなか」


「そうなんでごわすか?」


「……分からん」


「分からんと?」


「じゃが、二人とも楽しそうではある」


「……あれで?」


二人は、ほぼ同時に問いを投げている。

そして、ほぼ同時に答えている。

周囲から見れば、どう考えても角を突き合わせているようにしか見えない。


だが当人たちは――。


「なるほど」


「そういうことですか」


「では、こちらは?」


「それなら、こうなります」


いたって真面目に、楽しく話していた。




話が一段落したころ。


男は、ふと次郎へ尋ねた。


「山田様は、これから何をするおつもりで?」


「まだ決めていません」


「まだ?」


「やりたいことは多いんですけどね」


次郎は苦笑した。


「水も、農業も、海も、畜産も。やることが多すぎます」


男は、その答えを聞いて少し黙った。


そして――。


「……あなたは」


「はい?」


「この島を、どうしたいので?」


次郎は、すぐには答えなかった。


海を見る。

畑を見る。

人を見る。


そして、静かに言った。


「豊かにしたいですね」


「豊かに?」


「はい」


次郎は頷いた。


「ただ、金持ちにするという意味じゃありません」


「では?」


「人が死なずに済む島にしたいんです」


男の表情が変わった。


次郎は続ける。


「食べるものがある。水がある。病気になっても、少しでも助かる。仕事がある。家がある」


「……」


「そういう島です」


男はしばらく黙っていた。

やがて、小さく頷く。


「なるほど」


それ以上、何も言わなかった。




男が帰ったあと。


権兵衛は腕を組んだまま、男の去っていった方角を見つめていた。


「……あやつ」


「うん?」


「只者ではない」


「やっぱり?」


「うむ」


それだけ言うと、権兵衛は口を閉じた。

何がどうとは、うまく言葉にできない。


ただ――。


あの男には、何かがある。

そう感じた。


「……まあ、山田殿が楽しそうだったから、よかろう」


「そっち?」


弥助が首を傾げる。


権兵衛は答えなかった。

ただ、遠ざかっていく男の背中を、しばらく静かに見送っていた。




その翌日の夕刻。


次郎は時尭に呼び出された。


「山田様、こちらへ」


小姓に案内され、次郎は廊下を進んでいく。

やがて、普段とは違う大きな広間へ通された。


「こちらで、お待ちください」


「……はい」


小姓が一礼して下がる。


次郎は、その場に座した。


「……」


落ち着かない。


いつも時尭と話すときは、もっと気楽だった。

私室へ呼ばれ、茶を飲みながら話すこともある。

時には、他愛のない話で笑うことさえある。


だが、今日は違う。

ここは、いつもの私室ではない。


広い。

妙に広い。

高い天井。

広々とした畳。

何人もの人間を迎えられるような、大きな広間。


「……なんだ、この緊張感」


次郎は小さく呟いた。


別に悪いことをしたわけではない。

それでも、場所が変わるだけで、身体が勝手に強張る。


やがて――。


襖が開いた。


次郎は反射的に頭を下げた。


「――!」


時尭が入ってきた。


「山田」


「はっ」


「面を上げよ」


「失礼します」


次郎はゆっくりと顔を上げた。


「……」


まず、時尭の顔を見る。

いつもの時尭だ。


だが――。


「……ん?」


その視線が、時尭の横へ移った。


そこに、もう一人いる。

きちんとした身なりをしている。

見覚えがあるような、ないような――。


「……」


次郎は、ほんの一瞬だけ目を細めた。


どこかで見たような気がする。

だが、思い出せない。

誰だったか。


「……あれ?」


もう一度、男の顔を見る。

どこかで見たことがある。


「……あ」


思い出した。

昨日、話した男だ。


「……昨日の人?」


男の口元が、僅かに上がった。


それを見た瞬間、次郎は確信した。


「……え?」


昨日の商人。

あの鋭い質問を次々と投げてきた男。


井戸のこと。

農業のこと。

人のこと。

物のこと。


「……まさか」


次郎が呆然と男を見つめる。


時尭は、そんな次郎の反応を面白そうに眺めていた。


「気づいたか」


「……はい」


「昨日の男じゃ」


「……」


次郎は、まだ頭の整理が追いついていなかった。


時尭は二人を見比べる。


「昨日、随分と話が弾んだそうじゃな」


「誰から聞いたんです?」


「それはよい」


時尭は笑った。


「せっかくだ」


そして、男へ視線を向ける。


「お前も、山田と話してみたかったのであろう?」


男は静かに一礼した。


「はい」


時尭は、楽しそうに二人を見る。


「ならば――」


一拍。


「ここで、存分に話してみよ」


「……ここで、ですか?」


「うむ」


時尭は頷いた。


「昨日の続きをな」


次郎は、改めて男を見る。

男も、次郎を見る。

昨日と同じ、鋭い目。


だが――。


どこか楽しそうでもある。


「では、改めまして」


男が静かに口を開いた。


「島津歳久にございます」


「……島津?」


次郎の目が見開かれた。

その名を知らないわけではない。

戦国時代の九州を語る上で、島津という名はあまりにも大きい。


だが――。


目の前の男が、その島津の人間だとは思っていなかった。


しかも。


「歳久……」


その名を聞いても、次郎の頭の中に人物像が浮かぶわけではない。

現代の知識として、島津という戦国大名の名は知っている。

だが、四兄弟のことまで詳しく知っているわけではなかった。


次郎は、改めて目の前の男を見る。


昼間の問い。


井戸。

農業。

人。

物。


そして――。


人が死なずに済む島。


あの質問の一つひとつが、今になって別の意味を持ち始めていた。


「……なるほど」


次郎は、小さく息を吐いた。


歳久は、静かに次郎を見ている。

その目には、あの時と同じ鋭さがあった。


時尭は、そんな二人を見比べる。


「山田」


「はい」


「こやつと、少し話をしてみよ」


「……分かりました」


次郎は頷いた。

そして、歳久もまた小さく頷く。


昨日とは違う。

今度は、互いに正体を知った上で向き合う。


それでも――。


二人の間にある空気は、どこか変わらなかった。

正体を知ったからといって、話しにくくなるわけではない。


むしろ――。


まだ聞きたいことが、互いにいくつも残っていた。

次郎は、目の前の男――いや、島津歳久を見つめる。

歳久もまた、次郎を見つめている。


ほんの一日の出会いだった。


それなのに。

互いの中には、すでに一つの確かな感覚が生まれていた。


――この男とは、もっと話せる。


――この男なら、もっと面白い話ができる。


二人とも、まだ口には出さなかった。

ただ、その予感だけが静かに残っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。