013:天正三年 四月上旬:土肉
「種子島では、何が作られているんです?」
次郎がそう尋ねると、川上は少し考えるように首を傾げた。
「何が、と申されましても……」
「食べ物です。米以外に、何を作っていますか?」
「ああ、そういうことでごわすか」
川上は頷いた。
「米のほかには、麦や粟、稗、黍、それから豆なども作っておりもす」
「なるほど」
次郎は、手元の紙へ書き留めていく。
米。
麦。
粟。
稗。
黍。
豆。
「ほかには?」
「畑では野菜も作りもす。大根、芋、瓜など。果物なら蜜柑や柿もありもすな」
「甘蔗もありますよね」
「はい。あれは山田様が見つけられたものでごわすが」
「……見つけたというより、もともと生えていたものを見ただけですけどね」
次郎は苦笑した。
さらに聞いていく。
どの作物を、どの季節に植えるのか。
どのくらいの面積で作っているのか。
収穫したものは、どのくらい自分たちで食べるのか。
余った分は売るのか。
種として残すのか。
家畜の餌にするのか。
聞けば聞くほど、次郎の頭の中に島の農業が少しずつ形になっていった。
「……なるほど」
「何か分かりもしたか?」
「いえ。まだ全然です」
次郎は紙を眺めた。
「ただ、思っていたより種類がありますね」
「そうでごわすか?」
「ええ」
種子島へ来る前。
次郎は、島の農業といえば米ばかりなのではないかと、どこかで思っていた。
だが、実際には違う。
米だけで生活しているわけではない。
麦がある。
雑穀がある。
豆がある。
芋がある。
野菜がある。
果物もある。
そして甘蔗まである。
「……でも」
次郎は紙へ目を落とした。
「種類があることと、食料が十分にあることは別なんですね」
川上は、黙って頷いた。
「はい」
その一言だけで、次郎には十分だった。
種類はある。
だが、腹いっぱい食べられるとは限らない。
作物が育つ。
収穫する。
食べる。
余れば売る。
その一つひとつの間に、たくさんの問題がある。
水。
土。
肥料。
害虫。
病気。
天候。
そして、収穫した後の保存。
「……農業って、大変ですね」
「今さらでごわすか?」
川上が笑った。
「今まで山田様が見てきたもの、全部農業に繋がっておりもすぞ」
「確かに」
次郎も笑う。
水を得るために井戸を掘った。
家畜を飼うためには餌が必要だった。
家畜から出るものは肥料になる。
海から得られるものもある。
食べ物を保存するなら、塩や砂糖が使える。
「……全部、繋がってるな」
次郎は、ぽつりと呟いた。
翌日。
次郎は、島の畑を見に行った。
以前の領内見分でも畑は見ている。
だが、今回は目的が違った。
「この畑は、何を作っているんですか?」
「麦でごわす」
「こちらは?」
「豆です」
「その向こうは?」
「芋でございもす」
次郎は畑を歩きながら、作物と土地の関係を見ていった。
土の色。
土の硬さ。
水のたまり方。
畝の高さ。
周囲の地形。
日当たり。
風。
同じ島でも、畑によって条件が違う。
「……やっぱり」
次郎はしゃがみ込み、土を手に取った。
さらさらと指の間から土が落ちる。
「場所によって、かなり違いますね」
農民が不思議そうに見る。
「土が、でごわすか?」
「はい」
「土は土では?」
「……まあ、そうなんですけど」
次郎は土を指で潰した。
「同じ土でも、中身が違います」
「中身?」
「砂が多い土。粘土が多い土。火山灰が多い土。有機物が多い土。それぞれ水の持ち方も、空気の入り方も違います」
農民たちは顔を見合わせた。
「空気?」
「土の中にも隙間がありますから」
次郎は土を握った。
「水が多すぎれば根が苦しくなる。逆に水が少なければ枯れる」
「……土にも、良し悪しがあるので?」
「良し悪しというより、作物との相性ですね」
「相性……」
次郎は頷いた。
「米に向いている土地と、麦に向いている土地は同じとは限りません。豆に向いている場所もある。芋なら、また違う」
「では……」
農民の一人が尋ねる。
「今まで植えていたものが、間違っていたので?」
「いえ」
次郎はすぐに首を振った。
「そんなことはありません」
農民の顔が少し緩む。
「皆さんは、長い間ここで暮らしてきたんです。どこで何が育つのかは、私より皆さんのほうがよく知っています」
「……」
「私は、それを理屈のほうから見ているだけです」
次郎は畑を見渡した。
経験。
知識。
どちらか一方だけでは足りない。
科学者が数字だけを見ても、畑は分からない。
農民が経験だけに頼っていても、原因を説明できないことがある。
ならば。
「一緒に調べればいい」
次郎はそう思った。
まず次郎が目をつけたのは、肥料だった。
畑の一角で、作物の育ちが悪い場所がある。
同じ畑。
同じ種。
だが、成長に差がある。
「ここ、何か違いますか?」
「分かりもはん」
農民が首を振る。
「去年から、ここだけ少し育ちが悪かとです」
次郎は土を見る。
「肥料は?」
「入れておりもす」
「どんなものを?」
「草や藁、それから灰などを」
「なるほど」
次郎は頷いた。
すでに肥料という概念はある。
つまり、ゼロから教える必要はない。
「では、量を変えてみましょう」
「量を?」
「はい」
次郎は畑をいくつかに分けることを提案した。
同じ作物。
同じ種。
同じ時期。
ただし、肥料の量だけ変える。
「こっちは今まで通り」
「こちらは少し増やす」
「そして、こちらは別の肥料を使う」
「それで、何が分かるので?」
「どれが一番よく育つか、比べられます」
農民は首を傾げた。
「……そんなことをして、何になるので?」
次郎は少し笑った。
「分からないから、試すんです」
「……」
「一度に全部変えてしまうと、何が原因だったのか分からなくなります」
次郎は土を指差した。
「だから、一つずつ変える」
その言葉に、農民たちは少しずつ頷いていった。
次に次郎が考えたのは、種だった。
「この種、全部同じように見えますけど……」
農民が笑う。
「種は種でごわすからな」
「そうなんですが」
次郎は一つを指で摘まんだ。
「大きさが違います」
「……」
「小さいもの。傷があるもの。形が悪いもの」
次郎は種を並べた。
「これを分けてみませんか?」
「分ける?」
「はい。大きくて傷の少ないもの。普通のもの。小さいもの」
農民たちは顔を見合わせた。
「それだけで、違いが出るので?」
「分かりません」
次郎は即答した。
「だから試します」
また、それだった。
分からない。
だから試す。
次郎にとっては、それが当たり前だった。
数日後。
小さな試験畑がいくつか作られた。
肥料の量を変えた畑。
種を選別した畑。
畝の高さを変えた畑。
水の流れを少し変えた畑。
一度に大きく変えるのではない。
ほんの少し。
ほんの少しずつ。
「ここは水が溜まりやすいですね」
次郎が言うと、農民が頷いた。
「雨が降ると、いつもここに水が溜まるとです」
「なら、畝を少し高くしてみましょう」
「高く?」
「根が水に浸かり続けないようにします」
「なるほど」
別の畑では、
「ここは逆に乾きすぎています」
「そうなんでごわすか?」
「ええ。水が抜けるのが早い」
「なら、どうすれば?」
次郎は少し考えた。
「藁などを土の表面へ置いてみましょう」
「藁を?」
「土が乾くのを少し抑えられるかもしれません」
「……なるほど」
それも試してみる。
一つ。
また一つ。
次郎の提案が、畑のあちこちで試されていった。
すぐに結果が出るものもある。
出ないものもある。
失敗するものもある。
「……うまくいきませんね」
ある日、次郎は小さな試験畑を眺めながら呟いた。
「そうでごわすな」
農民も苦笑する。
「でも」
次郎は笑った。
「これで一つ、分かりました」
「何がでごわす?」
「この方法では、あまり良くならない」
「……」
農民が目を丸くする。
「それも、分かったことなんですか?」
「もちろんです」
次郎は頷いた。
「失敗すれば、次に試すものを変えられますから」
農民は、しばらく次郎を見つめていた。
そして、少しだけ笑った。
「山田様は、変わったお人でごわすな」
「よく言われます」
ある日の夕方。
次郎は、農民たちから集めた話を紙にまとめていた。
どの作物を。
どの土地で。
いつ植え。
どれくらい収穫できたか。
肥料は何を使ったか。
雨は多かったか。
風は強かったか。
病気は出たか。
虫は多かったか。
書き出してみると、今まで漠然としていたものが、少しずつ形になっていく。
「記録、か……」
次郎は呟いた。
農民たちは、経験を持っている。
だが、その経験は頭の中にある。
「去年はよく育った」
「今年は駄目だった」
「この辺りは昔からよくない」
そうした記憶を、数字や記録へ変えていけば。
来年。
再来年。
十年後。
もっと先。
積み重ねることができる。
「農業にも、記録が必要だな」
次郎は新しい紙を用意した。
作物。
土地。
種。
肥料。
天候。
収穫量。
項目を書き並べる。
「……これなら」
農業が、ただの経験ではなくなる。
経験を残し。
比べ。
試し。
また変える。
科学と同じだ。
「科学って、結局こういうことなんだよな」
次郎は少し笑った。
特別なことではない。
分からない。
だから調べる。
調べる。
試す。
失敗する。
また試す。
そして、少しずつ分かっていく。
夕食の時間。
食卓には、米。
野菜。
豆。
そして、前日に作った肉料理が並んでいた。
綾が嬉しそうに箸を伸ばす。
「今日の野菜も美味しいです」
「それはよかった」
次郎は笑った。
だが、食事をしながら、ふと考える。
今日食べているものも。
誰かが土を耕し。
種を蒔き。
水をやり。
雑草を取り。
天候を気にしながら育てたものだ。
そのどこか一つでも失敗すれば、食卓へ届かない。
「……当たり前じゃなかったんだな」
「何がですか?」
綾が尋ねる。
「いや」
次郎は首を振った。
「こうして飯が食えることです」
綾は少し考えてから、
「……昨日も言っておったではありませんか」
「そうだった」
次郎は笑う。
先日は、食べることに感謝した。
そして今回では、その食べ物を生み出す土へ目を向けた。
肉。
卵。
野菜。
米。
麦。
豆。
芋。
果物。
砂糖。
一つひとつが、誰かの仕事によって生まれている。
「……全部、繋がってる」
次郎は、また呟いた。
翌朝。
次郎は、農民たちの前に立っていた。
「私は、種子島の農業を全部変えようとは思っていません」
農民たちは黙って聞いている。
「皆さんが今まで積み重ねてきた知恵には、私の知らないことがたくさんあります」
「……」
「だから、まずは調べましょう」
次郎は畑を指差した。
「どの土地に、何が向いているのか」
「どの肥料がよく効くのか」
「どの種が強いのか」
「どのくらい作れば、どのくらい収穫できるのか」
そして――。
「失敗したら、それも記録します」
農民たちが顔を見合わせる。
「失敗まで?」
「もちろんです」
次郎は笑った。
「失敗した方法を記録しておけば、同じことを繰り返さずに済みます」
一人の農民が、ぽつりと言った。
「……それなら、次に試すことができますな」
「そうです」
次郎は頷いた。
「農業は、一年で終わる仕事じゃありません」
春が来る。
種を蒔く。
育てる。
収穫する。
そして、また次の年が来る。
「だから、少しずつでいいんです」
次郎は畑を見渡した。
「今年より来年。来年より、その次。ほんの少しでも良くなれば、それでいい」
風が畑を渡っていく。
若い葉が、さらさらと揺れた。
まだ、大きな変化はない。
収穫量が突然増えたわけでもない。
島中の畑が見違えるほど豊かになったわけでもない。
それでも。
一つの畑に試験区ができた。
一つの農民が、種を選別し始めた。
一つの畑で、肥料の量を変えてみた。
そして――。
誰かが、記録を残し始めた。
それだけだった。
だが、次郎には分かっていた。
こういう小さな変化が、積み重なっていく。
井戸もそうだった。
一つ掘れば、それで終わりではない。
知識を渡し。
技術を渡し。
次の人間が続ける。
農業も同じだ。
「……急がなくていい」
次郎は、畑の向こうへ目を向けた。
種子島の土地は、まだまだ分からないことだらけだった。
どこに何が眠っているのか。
どんな作物が、この土地に合うのか。
何を増やせるのか。
そして――。
この島には、まだ使われていない土地もある。
「……まずは、知ることからだな」
次郎は、静かに笑った。
地面の中には、まだ知らないものがある。
海にもある。
そして、土にもある。
ならば。
一つずつ調べていけばいい。
その先に何があるのかは、まだ分からない。
けれど――。
分からないからこそ。
調べる価値がある。
種子島の畑に、春の風が吹いていた。
孤独の時貫。
それまで、織部の食事は一人だった。
当主として、家臣や奉公人たちとは立場が違う。
夕餉の膳が整えられても、織部は一人、静かに箸を進める。
それが、この屋敷では当たり前の光景だった。
誰かと食事を共にすることなど、ほとんどない。
ところが――。
次郎が来てから、その当たり前が少しずつ変わり始めた。
そして、決定的だったのが、あの焼肉の夜である。
炭火を囲み、焼ける肉の香りに皆が集まり、次郎や綾、奉公人たちと一緒に食べたあの夜。
「これは……うまいな」
最初こそ戸惑っていた織部だったが、気づけば誰よりも楽しそうに肉を焼いていた。
それ以来――。
織部は、次郎たちと一緒に食事をするようになった。
夕餉の膳が整えば、自然と同じ場所へ集まる。
綾が今日あったことを話し、次郎が料理や食材について妙な話を始め、織部がそれを聞きながら呆れたり笑ったりする。
以前なら、一人で静かに食べていたはずの夕餉。
それが今では、何かしらの声が聞こえてくる。
笑い声。
箸の音。
次郎の説明。
綾の賑やかな声。
――いつの間にか、それが当たり前になっていた。
織部自身は、特に気にしている様子もない。
ただ、ある日の夕餉。
いつものように次郎たちと膳を囲みながら、ふと箸を止めた。
「……静かじゃった頃が、遠いのう」
「何か言いました?」
「いや、何も」
織部はそう言って、再び箸を動かした。
以前のような孤独な飯ではない。
それがいつの間にか、織部にとっても心地よい日常になっていた。
焼肉奉行。
最初こそ戸惑っていた織部だったが――。
一度、肉を焼き始めると様子が変わった。
「こいは、まだじゃ」
「……え?」
次郎が箸を伸ばそうとすると、織部がすかさず止める。
「まだ早か。こげな薄か肉、焼きすぎたら固うなる」
「は、はあ……」
「ほれ、こっちは今が食べ頃じゃ」
織部は手際よく肉を返し、焼け具合を確かめる。
「綾、そっちはもうよかぞ。食え」
「はい!」
綾が嬉しそうに肉を取る。
すると今度は、次郎の前に新しい肉が置かれた。
「山田、こいを食え」
「いや、自分で焼きますよ」
「ならん」
「……はい?」
「山田は焼くのが下手じゃ」
「……」
次郎は思わず黙り込んだ。
織部は、そんな次郎を気にする様子もなく、次々と肉を網へ並べていく。
「これは赤身じゃ。先に焼け」
「これは脂が多か。端でゆっくり焼け」
「そいはまだじゃ。触るな」
「……織部様」
「なんじゃ?」
「もしかして……焼肉、仕切ってます?」
「当たり前じゃろう」
織部は当然のように答えた。
「肉は焼き加減が肝心じゃ」
次郎は苦笑した。
つい先ほどまで、焼肉など食べたこともなかった男とは思えない。
いつの間にやら――。
完全なる焼肉奉行である。
「山田様、これ美味しいです!」
綾が頬張りながら笑う。
「……それは良かった」
次郎は笑いながら、織部を見る。
「でも、織部様。少しくらい自分で焼いて食べてもいいんですよ?」
「何を言うちょる」
織部は網から肉を取り上げながら、真顔で答えた。
「皆が美味しく食えるようにするのが、仕切る者の役目じゃ」
「そこまでですか……」
次郎は、また苦笑した。
だが――。
炭火の向こう側にいる織部の顔は、どこか楽しそうだった。
一人で静かに食べていた頃の織部からは、想像もできないほどに。




