(四十七 ) 柚香る境内にて
柚の香りは、死と生のあいだを結び直す。
1913年、晩秋の京都。
東山安井村の安井金比羅宮から、一通の手紙が民俗学者・佐久間妖道のもとに届いた。
差出人は、加藤柚流と加藤柚奈の双子兄妹。
500年もの間、この神社の宮司は代替わりしていないという、古い言い伝えが残る不思議な存在だ。
彼らは兄が「外をつなぐ」、妹が「内をつなぐ」という役割を担い、村人たちから畏敬と畏怖の視線を浴びてきた。
妖道は過去に何度もこの地を訪れていた。
古くから伝わる伝承を追い、神社に秘められた「縁固め」の技法を口伝で学んだのだ。
その技法は、信じがたいものだった。
妹・柚奈が指を差せば、小動物の命が止まる。兄・柚流が触れれば、死んだ命が蘇る。
妖道はそれを何度も目撃し、自分自身もその一端に触れようと試みた。
だが、最初は失敗ばかりだった。
その年、妖道は助手である助川清彦を連れていた。
清彦は、誰よりも気の流れに敏感だった。
柚流曰く、それは長年、自らの頭皮に意識を集中し、毛が生えるイメージを強く持ち続けた賜物だという。
妖道は最初、それを笑った。
だが、清彦が萎れた花に手を触れた瞬間、花弁がピンと立ち上がるのを目撃し、信じざるを得なくなった。
妖道自身も努力したが、無駄だった。
やがて、兄妹が妖道の両手を握り、互いの気を循環させた。
体を流れる熱い気が、ぼんやりとイメージできるようになった。
最終的に、妖道は死んで間もない蟻程度の昆虫を蘇らせるまでに至った。
「自らの命の熱量が相手に流れ込むイメージを大切にせよ」
それが柚流の教えだった。
手紙の内容は簡潔だった。
「縁固めの儀式を行う。急ぎ来られたし」
妖道と清彦は、ただちに京都へ向かった。
鳥居をくぐると、ご神木の柚の木から、甘く重い香りが立ち込めていた。
境内は霧に包まれ、木々がざわめく音が不気味に響く。
兄妹は二人を待っていた。
97歳を迎えた彼らは、老いさらばえていた。妹・柚奈は、息も絶え絶えで、臨終が近い様子だった。
「間に合いましたな。見逃すなよ。今生において、一度きりの技法じゃ」
柚流の声は、枯れた木のようにかすれていた。
「我らの招きなきうちは、再び参るな」
儀式が始まった。
柚流は左手の人差し指に、全身の命の熱量を集め始めた。妖道と清彦には、それがはっきりと見えた。
指先が赤く輝き、脈打つように膨張する。柚奈の髪を解き、それを指に幾重にも巻き付ける。
兄は小刀を手に取り、躊躇なく指を切り落とした。
鮮血が噴き出し、地面に落ちる――瞬間、二人は息絶えた。
体が崩れ落ち、柚の香りが一瞬で消え失せた。
境内は死の静けさに包まれた。二人は置いてけぼりにされた気分で、呆然と立ち尽くした。
あれが「縁固め」の儀式だという。
兄妹は新しい体を得て、双子として生まれ変わるのだ。妖道は震える手で、切り落とされた指を拾い上げた。
まだ温かく、微かな熱が残っていた。だが、それはすぐに冷え、ただの肉塊となった。
夜の闇が深まる中、二人は神社を後にした。
背後で、風が木々を揺らし、何かを囁いているかのように感じた。
十年後の1923年。
再び、手紙が妖道のもとに届いた。
差出人は、あの兄妹。妖道は半信半疑で京都へ向かった。
鳥居をくぐると、再び柚の香りが強く立ち込めていた。境内は変わらぬ姿で、霧が足元を這う。
そこに、少年と少女が立っていた。
十歳ほどに見える二人は、懐かしい笑顔で微笑んだ。
「妖道よ。どうじゃ、神社に伝わる縁固めの技法は?」
声は、確かに柚流と柚奈のものだった。
顔立ちは幼いが、目は老人のように深く、底知れぬ闇を宿していた。
妖道は涙を流し、手を伸ばした。清彦も同じだった。二人は少年少女の手を握った。
二人の小さな手は、驚くほど温かかった。
妖道はその温もりの奥に、かつて老いさらばえた兄妹の気配を確かに感じた。
清彦もまた、震える指でその手を握り返していた。
「よくぞ戻られました…」
そう言いかけた瞬間、境内の霧がふっと揺れた。
柚の香りが濃くなり、風が木々を撫でる。
少年と少女は、微笑んだまま言った。
「妖道よ。われらは、また十年後に会おう」
その声は幼く、しかし底の見えぬ深さを湛えていた。
妖道は言葉を失い、ただ頷いた。
霧が晴れると、二人の姿はもうなかった。境内には、柚の香りだけが残っていた。
妖道は清彦とともに鳥居をくぐった。
背後で、風がそっと囁いた。
――縁は、まだ続いておるぞ。
その囁きが、いつまでも耳に残っていた。
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