第三話 父であり、母であり、友のような
「――というわけで、円香さんにはわたくしの弟子として、アクセサリー工房【ヤマブキ】に住み込みで働いていただき、修行を積んでもらおうと思っております」
水無月家では、マドカの母親が腕組みをして席につき、その対面にスミちゃんとマドカが二人並んで椅子に座っている。僕はスミちゃんのすぐ後ろで、付き人のような形でビジネスバッグを抱えていた。
僕の役割は、スミちゃんに指示されるまま資料を出す雑用係であったり、単純な人数差による威圧感を演出して精神的優位を得ることであったり――まぁ、つまりは賑やかしである。
女物のビジネススーツをビシッと着こなしたスミちゃんは、テーブルの上に工房のパンフレットやアクセサリーカタログ、ブライダル雑誌の切り抜きなどの資料を並べて力強い口調で説明する。
もちろん自作のアクセサリーをしっかり身に着けて武装するのも忘れていない。スーツの雰囲気に合わせた品の良いブローチやカフスボタンは、主張をし過ぎない一方で、さり気ない存在感がある。これらのアクセサリーはスミちゃんの信頼感をしっかりと補強していて――なるほど、これがいつも言っている「隠し味」ってことなのだろう。
「円香さんのセンスには光るものがあります。将来は独立したアクセサリー職人になっても良いですし、どこかのブランドにデザイナーとして雇われる道もあります。選択肢は少なくないでしょう」
「……円香にそんな才能が?」
「えぇ、円香さんの素質が十分以上にあることは、わたくしが保証いたします。師匠として責任を持って育て上げまするつもりですが……やはりこういった職人仕事は、若いうちから弟子入りして磨き上げるのが一番ですから」
スミちゃんの横に座っているマドカは、事前の打ち合わせ通りに、しおらしい態度で母親に頭を下げる。
「急にわがままを言ってごめんなさい。それでも、どうしても私はアクセサリー職人になりたいんです」
「円香……あなた」
「学問は疎かにせず、高校はちゃんと卒業します。工房の仕事で給料も出るので、お母さんに金銭的な迷惑はかけません」
マドカは現在十六歳のため、労働基準法に則って深夜労働はさせられない……というより、スミちゃん自身が深夜労働なんてしていないので、その点は全く心配ないわけだけれど。
そういった部分も、スミちゃんはしっかりと資料を揃えて説明していく。
「お母様。お嬢さんをお預けいただけませんか?」
「すみません……少し考える時間を」
「お母さん」
マドカは母親の言葉を遮ると、真剣な声色で告げる。
「お母さんは言ったよね。私がお父さんを誘惑しているって……私はそんなつもりなかったけれど、もしかするとそういう側面があったのかもしれない」
「……円香」
「私はお母さんの幸せを邪魔したくないの。私がいることでお父さんがおかしくなるなら、一度物理的に距離を取って冷静になることが……それが家族にとって最善の選択じゃないかなって。そう思うの」
そう言われ、母親は口を噤む。
マドカは間髪を入れず、言葉を畳み掛ける。
「ずっと一人で頑張って、私を育ててくれて、ありがとうございました。本当に感謝しています。だから……お母さんのためにも、自分自身のためにも、私は今すぐこの家を出て、師匠の下に弟子入りしたいんです。お願いします、お母さん。どうか許可して下さい」
マドカが頭を下げるのに合わせて、スミちゃんと僕も一緒に頭を下げる。
そして、沈黙。
この長い沈黙には様々な意味が含まれているような……単純に割り切れない、重くて湿った感情が渦を巻いているような、そんな気がした。
小さく響いたのは、紅茶のカップを置く音。その次に、マドカの母親の口から漏れる、長い長いため息だった。
「…………円香のことを、よろしくお願いします」
そんな絞り出すような言葉は、とても静かな響きで、それでいて今にも泣き出しそうな……叫び声にも似た何かであった。
「彰、雇用契約書をお出しして」
「はい、師匠」
「お母様。御決断、感謝いたします……ご心配な点もあるでしょうが、お嬢さんのことはわたくしにお任せ下さい。日々の様子が気になるようでしたら、いつでも工房にも足をお運びください」
スミちゃんがそう言うと、母親は小さく頷く。
「お母さん、ありがとう……それじゃあ私は、部屋に行って荷物をまとめてきます。大きい荷物はまた日を改めて取りに来るから。彰さん、お手伝いいただけますか?」
マドカがそう言って席を立ち、僕を連れて自分の部屋に向かおうとすると……母親は小さく苦笑しながら彼女に告げた。
「ねぇ、円香?」
「うん」
「素敵な彼氏ね」
「……でしょ?」
母娘の会話はそれで十分だったらしい。
マドカは自分の部屋にいくと、青いキャリーケースにパンパンになるまで着替えや日用品を詰め込んで、それをガラガラと引きながら、生まれ育った家を後にしたのだった。
◆
毎週金曜日になると、スミちゃんはメイクとアクセサリーでしっかり武装を整えて、彼氏であるアサちゃんの家に出陣する。
――素敵なアクセサリーというのは、優秀な使用人のようなものよ。主人のことをさり気なく、陰から支えてくれるの。
そう語るスミちゃんが着けていた首輪型チョーカーは、バチバチに主張が強かったので、一体どの辺りがさり気ないんだろうと疑問ばかりが浮かんだ。
ただ、その言葉を聞いたマドカはうんうんと頷いて手帳にメモしていたので、二人の間では何かしら通じるものがあったのだろう。僕はもう知らん。
「アキラ、今週は何の映画にする?」
「うーん……たまにはド派手なアクションとか」
「そっかぁ。火薬と筋肉だったら、どっち?」
マドカの問いかけに、僕は少し悩む。
「そうだなぁ……火薬もあり、筋肉もあり、スリルに満ち溢れた何か、かな」
「それだと候補が絞りきれないね」
二人であれこれ言い合いながら映画を選ぶのも、これで何回目だろうか。何本かのんびり見て寝落ちする日もあるし、途中から映画そっちのけで絡まりあう日もある。そうして特に決まりごともないまま、気ままに過ごす週末が僕は好きなのだ。
ちなみに、マドカは本当にスミちゃんに弟子入りした。
僕はてっきり、あれは家から逃避するための建前だと思い込んでいたのだけれど……どうやらそう考えていたのは僕だけだったようで、マドカは次の日から普通にスミちゃんの仕事を手伝い始めた。
彼女は雑務を行いながら、スミちゃんの適当な哲学をメモして、色々と教えを請い、端材でコツコツと技術を高めながら順調にアクセサリー職人への道を歩んでいる。
それと、スミちゃんにメイクを習ったマドカは、学校ではこれまで通り地味な忍者として過ごしながら、金曜の夜にはメイクとアクセサリーで可憐なお嬢様に大変身する。乙女の技術ってすごいんだなぁと僕は戦慄している。
「ねぇアキラ。ファンタジーっぽい映画とSFっぽい映画だったらどっちがいい?」
「そうだなぁ……ファンタジー要素もあって、SF要素もあって、心温まる感じの映画かなぁ」
「はいはい。いっつもそうなんだから……じゃあサイボーグがタイムスリップして来るやつね」
そんな風にして、僕らは色々なことを曖昧なままにしながら、ゆるゆると日常を過ごしている。
◆
――それではここで、新郎新婦より、日頃なかなかお伝え出来ない感謝の言葉を、手紙にしてお伝えいただきたいと思います。お二人の……えっ、これ原稿あってます? え、あ、はい……コホン。えぇー……新郎新婦お二人の、父であり、母であり、友のような何かでいらっしゃいます、スミちゃん様。どうぞ前にいらして下さい。
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