モブ令嬢の目まぐるしい一日②
続きです。
想定外の台詞を言われたのは分かったが、意味が分からずリージアはポカンと口を開けてイザークを見上げた。
「ユーリウスとの婚約を解消して、俺の妃になってほしい」
駄目押しの様にもう一度言うと、イザークは固まるリージアの指に自分の指を絡めた。
互いの息遣いが感じられるほど近くなった距離を少しでも離したくて、身を縮めたリージアはイザークからの視線から逃れようと目蓋を伏せた。
(こんなにも違うのね)
長身で細身だが筋肉質な体躯と、指に絡まる長いイザークの指はユーリウスとは違い、節くれだって力強い。
見下ろしてくる金色が混じった橙色の瞳の中に熱がこもっているのを感じて、ようやくリージアの脳が彼から言われた言葉を理解した。
「き、さき?」
伏せていた目蓋を開き、目を丸くしてパクパク口を開閉するリージアの頬を、イザークの手のひらが包み込む。
「シャルロットは確実にユーリウスとの距離を縮めている。ユーリウスから婚約破棄を言い渡される可能性に怯え、この先を過ごしていくのか? 婚約を解消して俺を選べば、絶対に他の女は見ないし不安など抱かせない」
「な、王命でもある婚約を解消するなんて、出来ないでしょう」
「俺ならば出来る」
自信満々に言いイザークは口角を上げた。
(確かに、実力もあり王位に一番近いイザークなら出来るかもしれない)
隣国オベリアは軍事国家。両国の同盟を解消することや武力行使をちらつかせ、和平のためという名目であればユーリウスとの婚約を解消させて、新たにイザークと婚約を結ぶことも不可能ではないだろう。
「私は、」
『信じて欲しい』
『好きだ』
脳裏に浮かんだのは、今にも泣き出しそうなユーリウスの顔。
力強い橙色の瞳から顔を逸らしたくなるのを堪え、真っすぐにイザークを見詰める。
「婚約は解消しない。ユーリウス様を信じているから」
たとえ強制力に負けてしまっても、あの時の彼の言葉は本心からのものだと信じていたい。
きっぱりと言いきったリージアの頬から、イザークの手のひらが離れて肩を軽く掴む。
少し前まで隣室から聞こえていたイザベラとブルックスの話し声は聞こえなくなり、リージアの耳に届くのは自分の心臓の音と呼吸の音だけ。
たっぷり十数秒ほど無言で見つめ合い、イザークはふぅと息を吐いた。
「それは、残念だ。今なら落とせると思ったのに、手強いな」
リージアの肩へ置いていた手を自分の口元へ持っていき、ニヤリと笑った。
「同じ世界の記憶があるリージアならば、俺の一番の理解者、良き妃になってくれると思ったのに残念だ」
絡ませていた指を解放したイザークは後ろへ下がり、ようやく二人の間に僅かな隙間が空く。
「前世の記憶があるからこそ、きっと私達は互いの存在に依存してしまう。少しでも考え方に相違があったら、恋慕の有無にかかわらず他に親しくする異性が現れてしまったら、不安になって疑念を持ってしまう。依存からいがみ合う関係になってしまうわ」
“苦手なタイプ”と最初からイザークを警戒していなければ、ユーリウスに出逢うよりも前に転生者だと知ってしまっていたら前世の記憶を持つ懐かしくて特別な存在として、彼に寄りかかってしまっていた。
互いに依存しあう関係は一歩間違えば破滅の道へ突き進む。
「ふっ、違いないな」
笑みを作ろうとしている口元は歪になり、長い間孤独感に苛まれていただろうイザークは本心を隠しきれず、力が入った目元と眉間に皺が寄る。
「ユーリウスよりも早くに、リージアの存在に気が付いていればと何度も後悔した。同じ世界で生きた前世の記憶を持っていて、こんなにも可愛い子だともっと早く気が付いていたら、攫ってでも俺の婚約者にしていたのに」
「私はシナリオに巻き込まれなかったら、貴方には絶対に近付かなかった。平凡でもモブでも、堅実な人が好きだもの」
にっこりと微笑むリージアにつられて、イザークの苦し気な表情が幾分和らぐ。
「本来の俺は、堅実で一途だよ。チャラいのは、あー、キャラ設定」
「女の子たちに囲まれて、とても楽しそうでしたよ。殿下?」
「可愛い女の子に囲まれるのは男の夢なんだよ。前世はモテた経験無いし、彼女だってゲームにハマっていた子が初彼女で、あっ」
「ぷっ」
失言に気が付き、顔を赤らめて横を向いたイザークが可笑しくて、リージアは吹き出してしまった。
肩を震わせ声を堪えたリージアの笑いが治まり、イザークはゴホンッと咳払いする。
「昨日、シャルロットに喧嘩を売られてどう思った?」
「何というか、態度が豹変したのには驚いた」
クラスを訪ねてきたシャルロットの態度は高圧的でも、一応敬意を払い丁寧な口調だったのにリージアが「ユーリウスを信じている」と言った途端、豹変した。
口調と顔つきもそうだが、一番驚いたのは彼女が纏う雰囲気の変化だった。
「ゲームのシャルロットは、生まれてすぐに両親が亡くなり孤児院で育ったため、控え目で自己主張が苦手な性格。自己肯定感が低いシャルロットは学園で攻略対象者達と出会い、魔法の才が花開いて行き自信を持つことで成長していくといった育成と恋愛を楽しむゲーム。だったんだが、シャルロットの性格と言動が違い過ぎる」
イザークは言葉から、リージアはある可能性に気が付き息をのんだ。
「まさか、シャルロットも転生者?」
「その可能性が高い。それに、もしかしたら……」
言葉を切ったイザークは首を横に振り、隣室のイザベラへ目を向ける。
「相手がリージアでなくとも、シャルロットが三年の教室へ喧嘩を売りに行ったとイザベラが知ったら、激怒して国へ帰らせただろうな。昨日は私用で学園を離れていて良かった。良くない影響しか与えないシャルロットとは、気づかれないように距離を置かせているんだ。イザベラを抑えるのに、ブルックスがいいブレーキになってくれている。揉め事を起こせば留学は終わりだと告げた時、泣かれて面倒だった」
滅多に涙を見せないイザベラが泣き出してしまい、それがきっかけとなりブルックスへの恋心を自覚させてしまったと、思い出したイザークは苦笑いする。
「あのね、先程も言ったけれどお兄様には婚約者がいるの」
「イザベラも無茶なことはしないはずだよ」
「今は」という副音声が聞こえた気がして、リージアは今後ブルックスを待ち受けるだろう展開を考え、こめかみが痛くなってきた。
「えっと、イザーク殿下、教えて欲しいの。ユーリウスがシャルロットさんの勉強をみているのは、貴方が頼んだの?」
「半分当たり。ユーリウスには条件付きで依頼した。因みに、俺もシャルロットの勉強を見ていて、イザベラは常識とマナーを教えている」
「条件?」
きょとんと訊くリージアの唇を、イザークが伸ばした人差し指の先が掠める。
「詳しいことは、まだ教えられない。俺にも色々と事情があってね。それも近いうちに終わる。だからリージアに告白したんだがなぁ。まさか振られるとは」
おどけた様に言いイザークは肩を竦めた。
「お妃様は無理でも、良い友人にはなれるでしょ?」
前世の記憶を知るゲームで得た知識と国を担う者たちの秘密を知る者として、生涯の伴侶になれなくとも友人として支え合うことは出来る。
「では姫君、好きな女の子に振られた哀れな男に寮まで送り届けるという、騎士の役目を与えるご慈悲をください」
胸元へ手を当てて膝を折ろうとするイザークを慌てて止め、しっかりと向き合って立つ。
「イザベラ様に誤解されなければお願いします」
頭を下げるリージアをイザークは感情の読み取れない瞳で見下ろしていた。
***
打ち合わせは終わり、心ここにあらずといったイザベラとイザークに送られて寮へ戻ったリージアを出迎えたのは、ユーリウスの護衛騎士と血相を変えたメイド達だった。
「ああっお嬢様!!」
駆け寄って来たメイド達の取り乱した様子から不測な事態が起きたと察したリージアは、なるべく落ち着いた口調で話し掛けた。
「どうしたの?」
「さ、先程、殿下の護衛騎士の方が来られてっ、そのっ」
動揺のあまり続きが言えなくなったメイドの代わりに、続きはもう一人のメイドが言う。
「殿下が倒れられて、治療のために王宮へ搬送されたそうです。お嬢様をお迎えに騎士様がいらっしゃいました」
「えっ?」
ガタンッ
呆然となるリージアの手から、鞄が落ちて床へ当たり鈍い音を立てる。
留具が開き、鞄の中に入っていた筆記用具とノートが床ヘ散らばった。
イザークとは、友達?になりました。




