26.モブ令嬢の目まぐるしい一日①
長くなったため⓵と⓶に分けました。
パチンッ
登校前、花瓶に飾られた花束を見たリージアは両手で頬を軽く叩いた。
「お、お嬢様?」
「今日も頑張ろうと思ってね」
突然の行為に驚くメイドへ笑いながら答えたリージアは、作ってもらったサンドイッチとアップルティー入りの水筒を鞄へ入れて寮を出る。
周囲を警戒しながら向かった校舎が近付くにつれて、無意識に足取りは重くなっていく。
「リージアさん、おはようございます」
「おはようございます?」
昇降口に入った瞬間、リージアを待ち構えていたのは三年A組の女子生徒、エリアーヌ・カルデラ公爵令嬢とサンジェス・ミンティア侯爵令嬢、彼女達の取り巻き女子だった。
何故、という思いがリージアの顔に出ていたのか、エリアーヌは目を細めて微笑む。
「昨日は色々と大変でしたわね。わたくし達から一年生代表の方に「とても騒がしかった」と伝えておきますわ」
優雅に微笑んでいるのにエリアーヌの全身から圧力を感じ、リージアは周囲の温度が下がったような気がした。
「エリアーヌ様、ミンティア様、お二人のお心遣いはとても有り難いのですが、それでは一年生代表の方が混乱してしまうのではありませんか?」
三年生から、しかも公爵令嬢自ら苦情を言われたらシャルロットの立場は学園内では壊滅的なものとなる。さらにはイザベラにも飛び火する可能性も大いにあった。シャルロットへの嫌がらせも悪化するだろう。
「ご心配しなくとも、あの一年生が主張していた嫌がらせはもう起きませんわ!」
ミンティアは隣に立つエリアーヌを見やる。
「ええ。この学園には、嫌がらせをするような低俗な生徒はいません。風紀委員長たるわたくしがそのような事はさせませんから」
「ありがとうございます」
全く笑ってない鋭い目をして登校する女子生徒達を見るエリアーヌ。彼女は風紀委員長だったことを思い出し、リージアは引きつりそうになる口元を押さえて頭を下げた。
学園内の女子達へ強い影響力を持つエリアーヌとミンティアの二人を一時的とはいえ味方に付けたとはいえ、シャルロットと顔を合わせるのを警戒して昼食時に食堂は利用せず、持参したサンドイッチを教室棟のホールで食べることにした。
「あら、楽しそうですわね」
籐の籠に入れたアップルパイを持ってミンティアがホールへやって来て、当然とばかりにリージアの隣に座る。
「わたくしが側にいれば牽制になるでしょう。あ、貴女の心配ではなく、下級生が此処に来るのが気に入らないだけだから、勘違いしないでね」
そう言って横を向いたミンティアの頬は赤く染まっていた。
ミンティアと取り巻きの女子達も一緒に昼食を食べることになり、ホールの一角はさながら賑やかな女子会の場と化す。
「あら?」
窓の方を見たミンティアの表情が険しくなる。
険しい目つきになったミンティアの視線の先、中庭を見下ろしたリージアは彼女の苛立ちの理由が分かった。
中庭にはロベルトと並んで歩くユーリウスと、後ろから彼等へ近付こうとしているシャルロットの姿が見えたのだ。
気配に気が付いたユーリウスが振り向くと同時に、笑顔になったシャルロットが走り出す。
振り向いたユーリウスの側へ駆け寄ったシャルロットが小石に躓き、彼女の体が傾ぐ。転倒しかけたシャルロットの二の腕を、ロベルトが咄嗟に掴み地面へ転倒するのは免れた。
頬を赤く染めたシャルロットがロベルトへ頭を下げ、王子様の顔を崩さず対応するユーリウスに話しかける。
歩き出したユーリウスの後をシャルロットが付いて行き、眼下から彼らの姿は消えた。
(何てベタな展開なのか。あれ? ユーリウス様はシャルロットが近くにいても平気なのかしら?)
『貴女の役目は終わりよ』
いつか見た夢の内容が脳裏に蘇ってくる。
夢の中のシャルロットは、断罪の言葉を言い放ったユーリウスの腕に抱き着き、心底愉しそうに笑っていた。
「あの一年生、随分と積極的なのね」
食い入るように眼下を見下ろしていたリージアは、隣から聞こえた冷たい声で我に返る。
「彼女が例の一年生ね。リージアさんっ! 負けては駄目よ! わたくし達は貴女の味方よ!」
力強く言うミンティアの言葉に、その場に居る女子達は揃って頷く。
以前は敵対していた、A組女子達とB組女子の間に生まれた強い連帯感。リージアは「ありがとう」と笑って戸惑いを誤魔化した。
***
女子達に守られていたおかげか何事もなく放課後になり、リージアは約束していた相手との待ち合わせ場所、馬車の待機場所を目指して走っていた。
友人達との会話に夢中になり、気が付けば約束の時間を過ぎていたのだ。
馬車の前に立って待っていたイザベラは、走って来たリージアを見て目を丸くした。
「お待たせして、すみません」
「リージア様こそ大丈夫ですか?」
肩で息をするリージアへ、そっとイザベラはハンカチを差し出す。
「ありがとう、ございます」
受け取ったハンカチからほのかに石けんの香りがして、イザベラの以前付けていた香水とは違うことに気付く。以前はもっと大人びた、薔薇を基調とした香りだったのにどうしたのか。
「体調を崩されたと聞きましたが」
「それは」
「リージア」
何と答えようかと迷っていると、馬車の窓からイザークが顔を出す。
「一昨日は熱出して休んでいたのだろう? 体調はもう良くなったのか?」
「一日ゆっくり寝たら良くなりました。お気になさらないでください」
イザークとイザベラを交互に視線を向けて、リージアはニコリと微笑んだ。
馬車に乗り込んだイザベラはイザークの隣に、リージアは二人の向かいの席に座った。
御者が出発の合図をし馬車が動き出すと、イザベラは落ち着かない様子で膝の上に置いたバスケットと向かいのリージアを見る。
「リージア様、あの」
「イザベラ」
言葉を遮るようにイザークに名前を呼ばれ、イザベラはビクリと肩を揺らす。
「お兄様、ごめんなさい」
眉尻を下げて閉口したイザベラは視線を下げた。
「どうかしましたか?」
「いいや? 兄妹の問題だよ」
首を傾げるリージアへ、窓枠に肘を置いたイザークは「これ以上は聞くな」とばかりに口角を上げた。
学園を出た馬車が街の大通りを通り抜けマンチェスト領直営店舗へ着く頃には、陽は傾き空の一部は茜色に染まりつつあった。
先に馬車を降りたイザークが扉を開き、扉に取り付けられたトーンチャイムがカランッカランッと音を鳴らし、来店者が来たことを告げる。
「いらっしゃい。なんだ、今日はリージアも一緒なのか」
「お兄様こそ、今日は珍しい恰好ですね」
出迎えたブルックスの目の下に隈はあるが、皺の無い綺麗なシャツとベスト、襟元にはタイを付けて何時も乱れている髪は整髪料を使い整えられていた。
妹の欲目を抜いたとしてもブルックスは整った顔立ちをしているのだ。きちんとした格好をすれば性格はどうであれ、数多の女性を虜にする貴公子に見える。
「まぁ、泣かせてしまったからな」
誰のことを、と言わなくとも、リージアを通り越しているブルックスの視線で分かる。
一歩前へ出たイザベラは、両手で抱えたバスケットから綺麗にラッピングされたアイシングクッキーを取り出す。
「ブルックス様、あの、この前のお詫びにコレを……」
「ありがとう」
頬を染めたイザベラからクッキーを受け取ったブルックスは、傍で見ている妹のリージアが別の人格が乗り移ったのかと驚くくらい、やわらかく微笑む。
ボンッという、効果音が聞こえてくるような勢いでイザベラの全身が真っ赤に染まっていく。
全身を真っ赤に染めてブルックスを見詰める彼女は、王女様ではなく恋する女の子にしか見えなかった。
デザイナーが書いたデザイン画の確認をしているイザベラと、彼女の質問に答えているブルックスを横目にリージアは夏用に発表された、薄手の布のサンプルを手に取っていた。
ふと頭上から影が差し、リージアは振り返る。
「イザーク様」
「二人の邪魔をしては悪い、と思ってな」
苦笑いするイザークの背後には楽しそうに微笑むイザベラと、デザイン画に色鉛筆で修正を入れているブルックスの姿があった。
「イザベラはブルックスに興味を持っているらしいな。あんな顔は初めて見た」
「お兄様は攻略対象なのでしょう? いいの?」
留学は止められなかったとはいえ、イザークは続編の悪役令嬢ポジションのイザベラが主要人物と関わるのを避けていたはず。
一緒に留学してきた侍女見習いのシャルロットも、意図的に違うクラスにさせたと以前彼は言ってなかったか。
「イザベラが幸せになるのならばかまわない。身分も、マンチェスト伯爵家だったら許されるだろう」
「いや、でもお兄様には婚約者がいるわよ」
積極的に交流をしてないとはいえ、ブルックスには幼い頃に決められた婚約者がいた。幼い頃から婚約者の令嬢を知っているリージアとしたら、イザベラとブルックスの距離が近付くのは複雑な思いを抱く。
「イザベラもそこは弁えている。あくまでも依頼主の範囲に止めているだろう。それよりも、リージアはどうする?」
「え?」
「昨日、シャルロットに喧嘩を売られたんだろう? このまま、シャルロットがユーリウスとの仲を深めていくのを静観しているのか?」
腕組みしたイザークは、挑発するような笑みを浮かべてリージアを見下ろす。
「私は……」
言葉に詰まったリージアは下唇を噛む。
昨日までだったら成り行きを見守り、最終的にユーリウスが決定することに従おうと考えていた。だが、ユーリウスの本心を知った今、シャルロットに彼を譲るつもりは無かった。自分には味方となってくれる友人達も、王宮で発言力を持つ側妃エルシアもいる。
「リージア」
思考に耽っているうちに、距離を詰めたイザークがリージアの手を握りそっと指先に口付ける。
一体どうしたのかと顔を上げれば、笑みを消した真剣な表情のイザークと目が合った。
「婚約を解消して、俺の妃になってほしい」
「へぁ?」
大きく目を見開いたリージアの口から、なんとも情けない声が漏れた。
⓶へ続きます。




