22.モブ令嬢は状況の変化に混乱する
魔力の渦に飲み込まれ、意識が真っ白に染まっていく中、傾ぐ体を誰かの腕が受け止める。
『リージアッ!』
意識が途切れる寸前、今にも泣き出しそうな悲痛な声が聞こえた、気がした。
ゆらゆら、ゆらゆら。
あたたかな何かにくるまれて、リージアは眠っていた。
体をくるむものは心地よく、このままずっと眠っていたいと思いそうになる。
『まだ、目覚めないのか?』
空間に男性の声が響く。
彼の声が寂しそうで、起きなければと体を動かそうと力を入れてみるが、指先すら動いてくれない。
目覚めよと命じても体は反応してくれず、目蓋は接着されたように開かない。まるで、体と心がバラバラになってしまったように。
『早く、起きてくれ』
懇願する声に、「大丈夫」と言いたいのに声は出なかった。
こほっ、口を開いた際、喉の乾きを感じ小さく咳き込んで、リージアの意識が浮上していく。
何かを掴もうと伸ばした手が空を切り、重たい目蓋を少しだけ開いた。
眠っている間に泣いていたのか、顔中がぐしゃぐしゃに濡れている。緩慢な動作で上へと伸ばした腕を戻す。
涙で濡れた顔を、自分の下にある掛布でごしごし拭いてから気付いた。
(私は? 此処は何処?)
学園の中庭に居たのに、何故かベッド、それも天蓋付の立派なベッドで寝ているのか。
首と頭を動かしてみて、強い目眩に襲われ目を瞑る。
そのうえ、ひどく体が怠くて重い。何とか怠くて重たい体を動かそうと、リージアは横たわりながら身動いだ。
パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえ、足音の方へ顔を動かしたリージアは目を見開いた。
「お目覚めになりましたか?」
安堵の表情を浮かべてベッドサイドへ駆け寄ってきたのは、紺色のシンプルなドレスを着た女性。
「あ、の?」
渇いた喉から絞り出した声は酷く掠れていて、ひきつる喉の違和感からゴホゴホ咳き込んでしまった。咳き込むリージアの背中を女性が支え、ヘッドボードと背中の間に入れたクッションへ凭れるように上半身を起こした。
「無理に喋らないでください。今、水を持ってきますね」
にこりと微笑んだ女性は、サイドテーブルに置かれた水差しから硝子のコップへ水を注ぐ。力が入らないリージアの体を支え、口元へコップを持ってくると慎重に傾けた。
「焦らずゆっくり飲んでください」
飲ませてもらった水には、レモンの果汁が混ぜられているらしく爽やかな風味もあり、渇いた喉が潤っていく。
「ありがとうございます」
喉が潤うと同時に、ぼんやりと靄がかった思考も覚醒してくる。
首を動かしてゆっくりと室内を見渡す。
小花柄の壁紙、艶を押さえた銀の装飾が可愛らしいチェスト、淡いピンク色のヴェールが重ねられた天蓋付きのベッド。
マンチェスト伯爵家の自室よりも広い部屋は、豪華すぎず可愛いらしい室内で感嘆の息を吐いてしまった。
学園の寮の部屋にしては豪華すぎる部屋。可憐な内装は、高貴な婦人かお姫様の部屋の様に思えた。
「此処は、何処ですか? 私、どれくらい寝ていたのですか?」
「此処は王宮です。リージア様は保護されてから丸2日間眠っていらっしゃいました」
「2日間も? え、王宮?」
口と目を大きく開けたリージアは、呆然と女性を見詰める。
「申し遅れました。わたくしはユーリウス殿下からリージア様の側仕えを命じられました、ゾフィーと申します」
背筋を伸ばしたゾフィーは恭しく頭を下げる。此処が王宮で、ユーリウスに連れて来られたということに、落ち着いてきていた思考が混乱してくる。
「あの、ゾフィーさん、ユーリウス殿下はどうして私を王宮へ連れて来たのでしょうか?」
「ゾフィーとお呼びください。リージア様はユーリウス殿下の大切な御方だと聞いております。静かな安全な場所で休養していただきたいと思われたのでしょう」
「大切……」
“大切”という言葉の意味に、リージアの頬に熱が集中していく。
違うと言いかけて意識を失う直前に聞こえた、ユーリウスの悲痛な声を思い出す。
(大切だと言われちゃうと勘違いしちゃう。ユーリウス様が私のことを、って。でも、そんな展開はあるの?)
ぐうぅー
「あっ」
学園での出来事などいろいろ情報を整理して考えたいのに、正直な体はぐぅぐぅと鳴り空腹を訴えた。
先程とは違う恥ずかしさで、リージアの全身が発火したように熱く真っ赤に染まる。
「直ぐに消化の良いものを用意させます」
「ありがとう、ございます」
微笑みを消さないゾフィーの顔を見ていられなくて、羞恥心からリージアは俯いてしまった。
用意してもらった、空っぽの胃に優しいお粥と野菜を煮込んだスープをいただき、リージアはようやく身体中の緊張が解れていくのを感じた。お腹がいっぱいになり、不思議と倦怠感も収まってくる。
「リージア様、入浴の準備が整いました。御髪も整えましょう」
「入浴?」
パンパンとゾフィーが手を叩き、「失礼します」と入室してきたのは3人の若いメイド。
彼女達が手にしている布や化粧箱を見て、嫌な予感に頬を引きつらせるリージアへメイド達は揃ってお辞儀をした。
実家や寮では、一人でゆっくり湯船に浸かっていたリージアにとってメイドに囲まれた入浴は、同性とはいえ裸を見られる羞恥心で泣き出したくなった。
綺麗に髪と体を洗ってもらい、オイルを使った全身マッサージまで施されたお肌はしっとり潤い、肩の下の長さに切られ不揃いになった髪を整えてもらい、若草色のドレスへ着替える。
「綺麗な御髪ですのに、女性の髪を切るだなんて酷いです」
鏡台の前へ座ったリージアの髪へ触れ眉尻を下げたメイドは、整えてさらに短くなった髪を丁寧に編み込んでいく。
「髪はまた伸ばせばいいですから」
苦笑いを返して鏡を見詰める。鏡に映る髪が短くなった自分の顔は、違和感しかない。
髪を切られる瞬間、耳元で聞こえたのは髪を切る嫌な音と、ガルシアの謝罪の声。
『すまない』
髪を切ったガルシアへ対し怒りが生じないのは、リージアだけに聞こえた声から彼の罪悪感がひしひしと感じられたからだ。
(もしかして、最初からガルシアは私を殺すつもりなど、なかったのかもしれない)
「お嬢様、結い直しましょうか?」
「いえ、綺麗に整えてもらえて頭も大分軽くなったなと思って?」
部屋の外から数人の男女の声と足音が聞こえ、リージアは言葉を続けられず扉の方を見る。
ゾフィーも首を動かして扉を見て、困ったように苦笑いを浮かべた。
扉の向こう側では、数人の女性と男性が誰かを制止しているようで、彼等は此方へ近付いて来るようだ。
「殿下っ、お待ちください」
「顔を見るだけだ」
扉の向こう側から聞こえてきた、聞き覚えのある男性の声にリージアはハッと顔を上げた。
バンッ!
勢いよく扉が開かれ、ゾフィーは額に手を当て溜め息を吐く。
壊れるんじゃないかという勢いで開いた扉と、現れた人物に吃驚して大きくて目を見開いた。
「ユーリウス、様」
部屋へ飛び込んできたのは、学園から急いで来たのか釦を全て外した制服のジャケットを肩に掛け、息と髪を乱したユーリウス。
吃驚して固まるリージアを見たユーリウスは安堵の表情になり、次いで蕩けるような微笑みを向けた。
「っ、」
破壊力抜群の微笑みに息を飲んだ次の瞬間、リージアは駆け寄ったユーリウスの腕の中へ閉じ込められていた。
「リージア!」
「うひゃぁっ」
温もりを確かめるように、ユーリウスはリージアを抱きしめて頭頂部へ口付けを落とす。
二人の再会を見守るのは、開け放たれたままの扉から数人の騎士と使用人、壁際まで下がり困ったような表情となるゾフィーと、赤面して両手で口元を覆うメイド達。
王子様からの抱擁を多くの人に見られているという、恥ずかしすぎる状況に堪えきれず早く解放してほしいのに、彼の切なそうな声色に拒否することは出来ずされるがままでいた。
「体調は、どこも悪くはないのだな?」
「ないと、思いますけど」
自分の体よりも心配なのは、ぐいぐい来る王子様の方です。と、周囲に人が居なければ言いたい。
こういう場面では、自分もユーリウスの背中へ腕を回した方がいいのかと、迷った末に彼の背中へ手を回すのは止めて控え目にジャケットの端を摘まんだ。
デレ始めた王子様。
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。助かっています。




