<3話 表> 案内者の苦悩
彼女を背負ったまま広場の中に入る。
彼女を背中から降ろして、とりあえず少し休憩しよう。
結構長い距離を歩いたので、正直疲れている……
だが、ここでそんな事を言っている場合ではない。
「つ、疲れた……」
とはいえ、やはり口をついて出てしまっていた。
「おつかれさま」
そこで彼女がそう言ってくれたので、少し楽になった気がした。
歩いていない彼女の方は当然元気そうだ。
歩かせてもそんなに遠い距離ではないんだが……
ここからは、可能な限り長い距離を歩く必要があるのだ。
「さあ、行こうか。
ここからもう、始まっているんだ」
自然豊かなこの広場。
無料で楽しめる場所なのだが、利便性が悪いのであまり人が居ない。
しかも……
「花が照らされてる……
いろんな色の光で……」
「綺麗だろう?」
「うん、こんなの初めて見た」
あまり長い距離ではないが、
ここから暫くの間、花壇がライトアップされている。
「説明、必要かな?」
「いらないよ~」
見たまんまだから別に構わないか。
下手にこの世界での現象などを説明しても理解できないだろうし、
花と光ならば、どの世界でも共通しているはずだ。
暫く、のんびりと歩きながら……
光で飾られた、花々の道を見て回った。
「ここで、終わりだ」
「えっ……
残念な事に、この道は僅かな距離しか無いのだ。
終わってしまったのを見た彼女は、寂しそうだった。
公園の小さなベンチに、彼女は腰掛ける。
カウンタは残り、300を切ったくらいだ。
もう少し話したいと思ったから、俺は彼女に休憩するのを勧めた。
彼女も話したい事があるらしく頷いてくれた。
(俺は、期待しているのか……)
一緒に話せる事を嬉しいと思ってしまった。
何故だろうか、何故なのか……
その気持ちの正体よりも、今を優先しようと思えば思うほど……
(尚も一緒に話したくなるのは、何故だろうか)
そんな思いを知ってか知らずか、
少しの沈黙の後先に話を始めたのは彼女の方だった。
「人、少ないね」
「まあ、色々と事情があるんだ。
街の方に行けば当然人は沢山住んでいる」
「いいなぁ……」
あの世界は……
多分、妖精の彼女しか残されていないのだろう。
虚しさが支配していたのは、それが理由だ。
「だが、どれだけ大勢の人がこの世界に居たとしても、
人と人の繋がりが無ければ独りでしかないんだ」
「最初から居ないよりは、良いよ」
確かに、最初から居ない世界は辛いだろう。
それに匹敵するくらい辛い世界も……ある。
「同じだ。
数の論理により、気にも留められずに消えていく。
忘れ去られていくのは同じなんだ」
「なら……」
俺は首を縦に振った。
独りなのは、お前も俺も同じなのだ、と。
言わなくても、伝わっただろうか。
「この広場に人が殆ど居ないのも……
こんな小さな公園なんか誰も見向きもしないからに他ならない」
それを聞いた彼女は、信じられないという表情をする。
「綺麗なのに?」
「この川のもっと下流に、大きな遊園地がある。
そこには、ここと同じ事をやっている、
もっと大きな施設があって、皆はそれを見に行くんだ」
真実を告げた。
彼女は寂しそうな顔をした……
「小さいから、かき消されちゃったんだね」
それでもここが続いているのは……
隠れたデートスポットになっているからに他ならない。
「だけど、静かで綺麗だと思ったよ」
微笑みながら彼女がそう言ってくれて、
俺もこの場所に連れてきて良かったと思えた。
「ああ、だから俺はこっちの方が気に入っている」
「わたしも、気に入ったよ」
それは本当に、良かった。
誰かと一緒になって回る機会など無かったので、
その言葉を聞けただけでも十分に目的は果たせただろう。
「ところで……だ、話は変わるが」
「え……あ、うん」
何かを言いかけていた彼女は少しがっかりとしていた。
とりあえず、気にせずに進めよう。
俺は唯一、彼女に確かめないと不味い事がある。
単刀直入に聞こう。
「忘れられない限り、お前の世界は消えないのだろう?」
「なんで、それを聞くの?」
あの別れの瞬間に、決定的な言葉があった。
俺はそれを忘れずに覚えていた。
「忘れないで……か」
「あなたが消える時に言った言葉……
あれで、あなたをこの世界に送り返したの」
「忘れてしまうのを知っていて……か」
「そうだね、でも、何故?」
気付いていないのか?
「俺はどうやって送り返せばいい?」
「え?」
気付いていなかったらしい。
仕方ないからもう少しきちんとした言葉で言い直そう。
「俺はどんな言葉で、最後にお前を送り返せばいい?」
「ほへっ?」
やっぱり、確たる形で気付いていなかったのだろう。
カウントが3000になってそのまま自動的に終わるなら、
それで結構なのだが、実際は違うのではなかろうか。
「そういえば、そうだよね……」
この反応、完全にその辺りの事を忘れていたとしか思えない。
彼女が俺をこの世界に送り返したときに、合言葉を言っている。
俺にはしっかりと聞こえていたし、
それが聞こえると同時に元の世界へと送り返されたのだから。
「多分、その時に出てくると思うよ?
わたしの時も毎回頭に浮かんできたから」
「何とも頼りないな」
思わず、呆れる。
何回お前は客人を送り出していたんだ?
気付けないにも程があるだろう。
「もしかして、思ってる事がそのまま飛び出てきたりして……」
「なるほどな」
信憑性は薄そうだが、とりあえず信じよう。
疑ってみても多分実際に経験するまで知ることなんて無理な話だ。
どんな言葉が飛び出てくるか、楽しみにしておくか。
それからもう少しだけ、俺と彼女は話をしていた。
楽しくて、短い時間だった。
俺は腕時計を見て、今の時間を確認する。
「そろそろ時間が迫ってきたな……
あと少しだけだが、歩くか」
夜も結構更けてきているのではないかと思っていたが、
時計は本当に予想を裏切ってはくれなかった。
「えっ……」
彼女が寂しそうな顔をする。
だが、いつまでもここに居るわけにはいかない。
「水の音が聞こえるだろう。小さいけれど、噴水もある」
別れの前に、締めとして見たいと思っていた。
何とか上手く、ここまで持ってきた。
「見てみたいな……」
恐らく、彼女のカウントは……
本当にあと僅かしか残されていないだろう。
ここまで来たら、もう後には戻れない。
「これが、この世界の噴水なんだね」
「そうだな」
噴水の前で向き合った時に終わらなかったのは、奇跡だ。
まあ、その為に頑張って背負って歩いたんだがな……
その苦労が実って、良かった。
「さて、思い残す事はないか?」
「いっぱいある」
「それで良いんじゃないか」
そっと、その頬に手を寄せる。
彼女の寂しそうな顔が更に際立っていく。
「別れはいつでも寂しい物だ。
寂しくない別れなんて無い」
「あなたと別れるのは一番辛いよ、
あの世界で別れた時も辛かったから」
泣きそうな顔を見て、俺は動揺しそうになる。
もう少し留めても面白いがそういうわけにもいかない。
引き止めれば引き止めるほど、別れが辛くなる……
「ならば、再会を願ってみても面白いな」
「できるかな、そんな事」
現に出来てるじゃないか……と言いたいが、止めておこう。
奇跡を三度も四度も望むのは、現実的じゃない。
僅かな沈黙、噴水の水の音が世界を支配していた。
打ち破るように、意を決して俺は口を開いた。
「あと何歩だ?」
「5歩しかないよ」
残った事が、何よりも素晴らしい。
あの世界で別れたときと同じ事ができる。
「思い切って進んでみようか」
「うん……」
彼女と共に、噴水に近付くように。
5、4、3、2、1……
「3000」
二人の声が、同時に響いた。
そして、俺の口からは自然と言葉が紡がれる。
「繋ぐ道は繰り返しより紡がれる」
彼女の瞳からは涙が零れていた。
そして、合言葉が頭の中に浮かんでくる。
「良い旅を」
これも自然に零れ落ちて……
彼女は、光の中へと消えていった。
残された俺は、公園の噴水の前に一人佇み空を眺めていた。
(行ってしまった……)
言葉で表せないほどの重苦しい喪失感が心を埋めていく。
(楽しんでいたんだな、俺は)
僅かな時間だったというのに。
いや、僅かな時間だったからこそ印象に残っていた。
側に誰かが居る事が嬉しいと思えていたから、
いずれ忘れるという事実が、これほど苦しいと思えるのだろう。
(独りは、本当に寂しいな……)
線はあれども交わらない世界の中で、
一時だけでも、一人ではなかった事を忘れない為に、
彼女だけは忘れない事を、心に誓った。