01 はじまり
ネオ東京市。そこには天堂高校という学校がある。
いまも授業が行なわれているはずだが、何やら様子がおかしい。
「う、ううう」
化学の教師が急に呻き始めたのだ。
一年三組の教室は、一転、騒々しくなり、ある者は教師から離れ、またある者は教師近くの生徒に手を伸ばした。
「早く来い!」
「痛っ!」
少女のそばにいた少年がその手を引いたとき、少女は腕を引っ掻かれた。もちろん教師に、だ。
「音山先生! どうしたんだよ!」
中にはそんな風に叫んだ少年もいた。
机でバリケードを作って、一年三組のすべての生徒が教室の反対側に集まった。
音山という名の化学教師は、
「うあああ」
などと。それはもう話し声ではなかった。
まるで映画などでよくあるゾンビの声。
「なんなんだよこれぇ!」
誰かがそう叫んだ瞬間に、はたと、ある者が声を上げた。
「ほかのクラスんとこ行ってみよう、とりあえず」
「ああうああ」
呻きを背に、出て行った数名は、横のクラスを覗き込んだ。
開けたドアから少年が見たのは、普通の光景だった。
ゆえに、ほっとしながら、
「音山先生がおかしいんです」
二組にいた国語教師は、少年のほうへと、ふらふらと近付いた。
「……?」
「待って! 先生も何か変だよ、手を見て! 手を見せて!」
国語教師は自分の手を少年に見せると、
「これが何なのかわかるの? 医者もわからなかったのに」
音山と同様、この国語教師、斉田も、少女の腕を引っ掻くほどの引っ掛かりが、指の先にできていた。それを見せて、斉田はさらに、
「おおお、おおおおお」
と、今度は話をしなくなった。
「嘘だろ、逃げろ!」
そう言ってドアを閉める。次に誰に頼ればいいのかと考えながら。
そして少年は思った。
(もしかしたら診た医者もダメなんじゃ。っていうかこの子も……)
さっきから引っ張って逃がしてあげていた少女、古田優里もまた、あんな風になるのでは。少年はそう思った。
二組からも悲鳴が。
なんでこんなことになったのか。
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ネオ東京市には、ある研究所があった。動物を、動物の特徴を保ったまま一部を植物化させ、二酸化炭素を酸素化させることのできる動物へと変化させる研究所だ。
遺伝子構造の組み換えをし、犬で試していた。
「いやあ今回はうまくいくかもと思ってたんだけどね」
その研究所員の話を飲み屋で聞いたのは、化学の教師音山だった。
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「授業を受けるどころの話じゃねえって」
またある少年はそう言って、今度は四組のほうへと向かった。
そこから急に悲鳴が聞こえ始めた。
「そんなババナ」
「それを言うならそんなバナナって言ってる場合か」
次の瞬間、学校中が叫び声に満ちた。
「とりあえず逃げ……あ? なんだあれ」
「なんか壁が建ってる?」
廊下を構成する南の壁には窓がある。そこから見える景色に、黒くて冷たそうな、いつもとは違う異物が存在していた。
超特大の、おそらくは鉄の壁。
ヘリコプターやクレーンを使って、次から次へと建てていく。
「待て待て待て! 閉じ込める気か!」
「あたしたちどうしたら」
「北側見てみよ」
「一旦、外に行くぞ」
靴箱で外靴に履き替えて北側を見た。
「あっちもかよ!」
特大のおそらくは鉄の壁、それがどんどん建てられていっている。
率先していた少年、須藤辰彦は、今度は体育館を目指した。
開けると、そこに見えたのは、更衣室やら体育準備室やらの並ぶ廊下。
そこを突っ切って、彼は、もう一つ奥の扉を開けた。
そこは避難所によさそうではあった。
だが、そこもまた、妙な呻き声をあげる体育教師と、困惑した生徒とがいるのみだった。
体育教師は仕切りの緑色のネットでぐるぐる巻きにされていた。
「あああううう」
「動けなくしてるな。そのまま解けないようにしといて! それができたらみんな外に!」
「わかった!」
という声は多数あがった。
運動場にいれば視界も広い。安全か。と辰彦は考えた。
ほかにも多くの者が同じように考えた。
あのような奇妙な指先の突起で引っ掻かれたらしい古田優里のことを辰彦は考えた。
「誰か引っ掻かれたのは? ほかにもいる?」
辰彦がそう聞くと、数名の男子も手を挙げた。
そして、辰彦は、はたと気づいた。自分もそうだと。
夏の制服。袖などなく。腕まくりをする必要もなく。
腕には、赤い線があった。
(庇った時か。くそっ)
「俺もだった。もし何かあったらすぐに俺たちのことも同じように縛るんだ、いいな」
辰彦がそう言ったあとすぐに、別の声が。
「縛れるものを持っておかないと」
それは、おずおずとしながらも勇気を出して出された声、町田優吾の声だった。
「壁が……」
ネオ東京市はまあまあの狭さではある、その市そのものに、今はっきりと線を引かれた。鉄の線。
優吾は思っていた。
(誰かが警察とか自衛隊に連絡した? 誰が? いつの段階で? かなり前にしてなきゃこの早さはおかしい気がするけど……)
「家が無事かどうか」
と優吾が言うと、辰彦が、
「家が市の外の人はどうする?」
と。やや間があってから、佐田恵美菜が、
「普通に、誰かの家にお邪魔するしかないよね」
と窺うように言った。
(何か縛れるもの……)
とは、優吾も思ったし、ほかの数名も思った。
そこで、ハッとした瞬一という生徒が、
「ニュースでやってないか見てみようぜ」
と、スマートフォンを取り出した。
ネオ東京市で検索すると、次のようなものがあった。
・引っ掻かれれば同じ状態になりうる。
・動物の緑化研究所の所員からの連絡で壁が建てられていった。
・早期に暴れ出した者ほど早く体から木が生えてくる。
とても信じ難いことだったが、その事態の最中にいる彼らにとって、それらは驚くほどのことではなかった。
それよりも、
「動物の緑化研究所って何だよ」
「木が生えてくる? マジかよ」
などと、文句のほうが多かった。
「そうだ、どこかのお店に行って、ロープを買ってこよう」
そう言ったのは優吾だった。
対して、辰彦が、
「ああ、頼む。それと、あとでいいから、食事と水。ひとまずは弁当があるけど」
「ああ、あとでね。了解。あ、そうだ、日数を数えないとね」
「なんで?」
と優里が優吾に言った。
「何日で暴れ出すか計らないと」
優吾がそう言うと、そこにいた数十名が静かにうなずいた。




