第1話 PK
ログインすると、ギルドチャットにすぐ文字が流れた。
【Guild】ミスティア:ひまちゃん、VC来られる?
ひまりは少し首をかしげた。
《Blood Ring Online》では、ゲーム内チャットとは別に、Discordのボイスチャットを使うプレイヤーが多い。
とくに戦争ギルドでは、文字を打っている余裕などほとんどない。指示は声で飛び、動ける者は返事より先に動く。
ひまりが所属している《Black End Wing》も、そういうギルドだった。
いつもなら、配信を始める前に素材倉庫を確認して、工房にこもる。それが日課だった。
けれど今日は、ログインした瞬間から空気が違う。
ひまりは少し迷ってから、Discordを開いた。
ボイスチャンネルに入ると、いつもの低い声が聞こえた。
グラディオ『ひまちゃん、こんばんは』
「こんばんはー! 今日はどうしたんですか?」
ギルドマスターのグラディオは、少しだけ間を置いてから言った。
グラディオ『悪いけど、今日、知り合いのギルドに行ってほしいんだ』
「え? イベントのお手伝いとかでしょうか?」
グラディオ『イベント……まあ、そうだね。イベントみたいなもんかな』
なんだか言い方が曖昧だった。
けれど、グラディオはいつもこんな調子だ。必要なことだけ言って、細かい説明はあとから足す。
グラディオ『一緒にミスティアとスカーレットも行く。二人が無茶しないように、見張っててほしい』
「私、戦闘できませんけど……」
グラディオ『そこがいいんだよ』
「そこ?」
ミスティアが笑った。
ミスティア『俺たちだけで行くと目立つからね』
スカーレット『……近づくだけで逃げられる』
スカーレットが低く呟く。
ひまりは、少し納得した。
たしかに《Black End Wing》の名前は、このゲームでは有名すぎる。とくにスカーレットはPKランキング上位の常連で、街中で名前を見ただけでも、周囲のキャラクターが距離を取ることがあった。
「えっと、つまり、私は普通にしてればいいんですね?」
グラディオ『そうそう。街の中の鍛冶ギルドで、金属加工でもしててくれればいい』
「それならできます」
グラディオ『助かる』
グラディオの声は、いつもより少し柔らかかった。
ひまりはそれに気をよくして、倉庫から鉱石を取り出す。ずっと溜め込んでいた銀鉱石と黒鉄鉱石。加工だけなら、いくらでもできる。
「スカーレットさん、ミスティアさん、相手のギルドまで連れて行ってもらえますか?」
ミスティア『ああ、こっち』
ミスティアがすぐに答えた。
ミスティア『ひまちゃん、ワープ出せないよね。ゲート開くから、一回外出て』
「はい。お願いします」
自分でワープひとつ出せないのは、少し恥ずかしい。
けれど、このギルドに入ってから、誰かが必ず出してくれるようになってしまった。甘えている自覚はある。
ゲートをくぐると、画面が切り替わった。
移動先は、大規模生産プレイヤーギルド《小麦畑》の拠点都市だった。
あたたかい色の石畳。広場には露店が並び、戦場とはまるで違う穏やかな空気がある。
「わあ、かわいい街ですね」
ミスティア『ひまちゃん好きそうだよね』
ミスティアが軽く笑う。
ミスティア『じゃ、ギルド加入申請出して。終わったら鍛冶ギルドへ』
「わかりました」
ひまりは言われた通り、一時的に《Black End Wing》を抜け、《小麦畑》へ加入した。
【System】ひまりがBlack End Wingを脱退しました。
【System】小麦畑への加入申請が承認されました。
少しだけ不思議な気分だった。
ギルド名の横から、見慣れた赤黒い紋章が消え、代わりに麦穂のマークがつく。
「なんだか、転校生みたいですね」
グラディオ『すぐ戻るから安心して』
グラディオが言った。
グラディオ『そのまま、そのままね』
「はい?」
グラディオ『いや。鍛冶ギルドに着いたら、加工始めて』
ひまりは首をかしげながらも、街の大きなNPC鍛冶ギルドへ向かった。
炉の前に立ち、鉱石を選ぶ。
「ギルマスさん、このままここで加工していればいいんですか?」
グラディオ『うん。それでいいよ』
「了解です」
銀鉱石を投入する。
画面の中で、キャラクターがハンマーを振り上げた。
いつもの作業音。
いつもの加工ゲージ。
そのはずだった。
突然、画面いっぱいに赤い文字が走った。
【Warning】Ragna is attacking you!!
「えっ」
音楽が変わる。
心臓を掴まれたような警告音。
ひまりのキャラクターのHPが、見たこともない速度で削れた。
「わ、わわわっ、なんで!? ここ街中なのに!」
町の中では、プレイヤーから攻撃を受けない。
少なくとも、ひまりはずっとそう思っていた。
慌ててマウスを動かすが、何を押せばいいのかわからない。逃げる方向すらわからない。
次の瞬間、ひまりのキャラクターに淡い紫色の光が重なった。
ミスティアの回復魔法。
続いて、防御上昇のアイコンが一気に並ぶ。
ミスティア『動かなくていいよ、ひまちゃん』
ミスティアの声は、驚くほど落ち着いていた。
ミスティア『もう終わる』
黒い影が、画面の端を横切った。
それがスカーレットだと気づいた時には、ひまりを攻撃していたキャラクターは、すでに倒れていた。
【Battle】Ragnaは死亡しました。
何が起きたのか、まったくわからなかった。
どんなスキルを使ったのかも、ミスティアがいつ詠唱したのかも、スカーレットがどうやって距離を詰めたのかも。
ただ、赤い警告音だけが止まり、鍛冶ギルドの中に、元の作業音が戻ってくる。
グラディオ『おつかれ、ひまちゃん』
グラディオが言った。
グラディオ『任務完了。そっちのギルド抜けて、うちに戻ってきて』
「えっと……今の、何ですか?」
しばらく沈黙があった。
それからグラディオが、少し申し訳なさそうに笑った。
グラディオ『びっくりさせてごめんね』
「びっくりしました……」
グラディオ『普通は街中で他のプレイヤーから攻撃は受けない。でも、同じギルド内のメンバーだと例外があるんだ』
「同じギルド……」
グラディオ『たまにいるんだよ。生産ギルドに入り込んで、油断してる生産職をギルド内PKするやつが』
ひまりは、倒れているキャラクターを見た。
さっきまで同じギルド名をつけていた人。
けれど、あの人は自分を攻撃した。
グラディオ『悪いと思ったけど、ひまちゃんに協力してもらった。時間がなくて、先に説明できなかった』
「……囮だったんですか?」
グラディオ『うん』
グラディオは否定しなかった。
グラディオ『俺たちじゃ囮にならないからさ。PKランキング上位が歩いてても、誰も殴りかかろうなんて思わないだろ』
それは、たぶん本当だった。
スカーレットやミスティアを見て、わざわざ攻撃する人はいない。
けれど、ひまりなら。
戦えない生産職で、知らないギルドに移って、街中で鉱石を加工しているだけのプレイヤーなら。
「そうだったんですね」
ひまりは、ゆっくり息を吐いた。
「ちょっとびっくりしましたけど、ミスティアさんとスカーレットさんに守ってもらったんですよね。ありがとうございます」
ミスティア『一撃だけは食らってもらわないといけなかったから、ちょっとハラハラしたよ』
ミスティアが苦笑する。
ミスティア『無事でよかった』
スカーレット『……あいつ』
スカーレットの声が、低く沈んだ。
スカーレット『フィールドで会ったら、二度とPKできない体にしてやる』
「うわ、スカーレットさんが言うと冗談に聞こえませんよ」
スカーレット『冗談じゃない』
「私は無事でしたし、もういいじゃないですか」
スカーレット『よくない』
短い沈黙。
それから、スカーレットがぽつりと言った。
スカーレット『ひまりに障った。万死に値する』
「もう、スカーレットさん……」
呆れた声を出したつもりだった。
けれど、頬が少し熱い。
ひまりは慌てて画面を切り替え、ギルド脱退のボタンを押した。
【System】ひまりが小麦畑を脱退しました。
【System】ひまりがBlack End Wingに加入しました。
麦穂の紋章が消える。
すぐに、見慣れた赤黒い紋章が戻ってきた。
《Black End Wing》。
怖い人たちの集まり。
危ない人たちの居場所。
なのに、戻ってきた瞬間、なぜかほっとした。
そのことには、まだ気づかないふりをした。




