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024 ラウレッタ・アダ

 一瞬何を言われたか分からず、私がその申し出に反応するまでにはある程度の時間を必要とした。具体的には、まばたき三回分。


「……え?」


 しかもそれだけ時間をかけておきながら、口から出たのは間の抜けた一音である。


「いやね、ちょっとした届け物を頼みたいんだ。今日の午後にでも配達人に頼もうかと思ってたんだけど……」


「……届け物」

「そうさね」


 顔を見合わせて立ち止まったままの私たちは、そこで突如響いた張りのある声に身を震わせた。


「やあ、災難でしたなあ」


 その情感を多分に含んだ声に、妖精は素早く羽を揺らし、苦笑を零して見せた。私も反射的に、軽く頭を下げる。

 先程洗車をしていた、壮年の男性店員だ。手には工具と、チョークのようなものを持っている。手は油で汚れ、いかにも働く男といった風である。


 妖精が説明し始めた崩壊事故の経緯を右から左へと聞き流しながら、私はふいに提示された「届け物」について考えようとする。

 ……しかし、上手くいかない。


 街の外の仕事。


 まさかの展開だ。


「そりゃあ災難でしたなあ、うちのことはお気になさらず」


 男がもう一度繰り返した。

 私が無為に突っ立っている内に、あれやこれやを含んだ手短なやり取りは終わったらしい。彼が「お怪我がなくて何よりです」と八の字の眉を作っている。無骨な外見に似合わず、口を開けば柔らかい物腰の男だ。


 そしてそのまま彼が、熊耳の修理工と何やら込み入った話ーー先程行われた応急処置についての情報共有だろうかーーを始めるのを確認して、妖精はくるりと私へ首を傾けてみせた。


「ええと、何だったかね」


 もう急な出費についてはある程度吹っ切れたのか、明るい声だ。

 空元気かもしれない。わからない。


「あ、の、街の外へのお届け物がおありだとか……」


 何となく腰が引けた声音になってしまう。


「ああそうそう、"仕立て"にね。知人に今季のラウレッタ・アダの出来を見せてやりたくてさ」


 ……?


「仕立て…… に? らうれったあだのできを……?」


 まずい。

 よく分からない。

 仕立てって場所を指す単語だったか? 地名か屋号だろうか。そこに届けるということは、らうれったあだとは布か何かか……? 耳に馴染みのない響きだ。

 私のきょとんとした顔を見て、妖精は「おや」という表情をする。


 ……もしかしてこれらの単語は、この世界の基本知識の一つなのだろうか?

 そうだとすると、せっかくここまで友好的に対話し、どうも仕事までくれようというこの店主に、不審人物と見られてしまう。「仕立て」と「らうれったあだ」が超基本的な、例えば「バス停」と「パソコン」くらい認知度の高い言葉だとしたら、それを知らない人間に仕事の話をするなんて恐ろしいのでは……?


 思考がそう行き着いた途端、今がリジィを手に入れることができるかどうかの瀬戸際なのだという実感に襲われ、私は動揺した。


 「お兄さん"仕立て"から来たんじゃなかったのかい。そりゃ悪かった、あたしの説明が足りなかったね。"仕立て"ってのは隣街さ。配達人なら二日、あたしの足でそれなりに歩いて四日、のんびり歩いて一週間ってとこだ」


 急に熱心に、説明を一言も聞き漏らすまいとし始めた私を見て、彼女は若干面食らったようだった。

 髪と同じ、揺らめく色彩を放つ長い睫毛が、しぱしぱと忙しなく動いている。


「隣街ですか……」


 "仕立て"。

 ここ"煉瓦敷"は、どう考えてもその景観が街名の由来だ。

 一方「仕立て」とは、私の中では洋服作りそのものを指し示す言葉である。金融街や問屋街、或いは企業城下町のように、特定の業種ーー仕立業で名を上げた街ということで良いのだろうか。


「そう。知人が住んでるのさ。商売をしてる」


 商売。やはり服飾関係なのか?


「そいつの店まで届けて欲しいんだ。なに、急ぎじゃないし、そもそもそんなにやりがいのある仕事じゃないかもしれない、申し訳ないがね。……配達人に頼もうかってのも実はちょっと迷ってたくらいでさ」


 ここで彼女は、顎に手を当てて少し首を振り、一度息を吐く。


 眼前では、積み荷おろしが始まっていた。

 移動中は布を掛けてはいたが、箱たちはしっかりと雨水を吸って濃く染まった木目を晒している。ジュース作りの道具の入った箱や、材料が入っていた空樽。熊耳の修理工、壮年の店員に加わること数名が、それら全てをとても大切なものとして扱っている。彼らは車上の荷をみるみると雨のかからない店内の、空いたスペースまで運び入れてゆく。

 先程、この辺りの手順についても話し合われていたらしい。

 妖精の店主はそれを見守りながら、自らも屋内に入り込む。視線で促され、私も彼女に倣った。


「別にねえ、どうしてもって訳じゃないし、送ったところで商売に特別役立つもんでもないと思うんだよ。でもまあ折角だしね、初物はあって困るもんでもないだろう?」


 眉を寄せた彼女に同意を求められ、私は返答に窮した。

 初物…… 布じゃなくて、野菜か何かか……?


「す、み、ません、らう……? というのは?」


 というか、私はまだこの仕事を受けると言えていないのに、話がどんどん進んでいってしまって怖い。


「…………ラウレッタ・アダは、花。染色に使える花さ。糸や布を染めたり、食べられるから料理にも…… むしゃむしゃ食べるようなもんでもないけどね」


 染色に使える花。


 ……なるほど。


 小学生の頃、朝顔で手拭いを染めたことがある。

 夏休みの自由研究か図工の宿題だ。真っ白な布が、朝露に濡れた薄い紫の花弁と同じ色に染まって、自分の手が「色そのもの」を扱ったような不思議な気持ちがしたものだ。

 ああいう風に、使われる花なのだろうか。


「真っ黒な花で、煮詰めると違う色が出るんだよ」


 全然違った。


 じゃあ藍染めみたいな感じか。

 あれは確か、何かの葉っぱを煮詰めた黒っぽい液体に布を浸して、見違えるような鮮やかな青に染める技術だった筈だ。

 その黒い花を使うと、どんな色に染まるのだろう。……赤かな、何となく情熱的な感じの名前だし。


「もう少し詳しく言うとね、違う色…… つまり、ラウレッタ・アダは、決まった色の染液になる訳じゃないんだ。煮詰めてるうちに、色はゆっくり変化する。例えば濃い緑、白、その後は薄いピンク…… 順番に多分決まりはないからじっと見てて、この色にしようと思ったところで布なりをパッと入れてサッと出して染めるんだ。……あとはまあ、どの色でもきらきらしてるってのが特徴かね」


 全然違った。


 なんだその花、すごいな。

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