主従の掟 1
♠ 二日目 午後十七時 E―6 三浦俊介
伸也はC―5を離脱し、南のC―4へと戻って来た。
E・M・P:『ナスと、アボカド。サバイバルナイフにカラビナ、どれがいい?』
「それって、もしかしてアレか。あのデブのバッグパックか」
DOCTOR:『はい、正解です。武器になりそうなのがたくさんですよ』
と、スピーカー越しに、二人がハイタッチする音が聞こえた。
「いや、そんなもの必要ない。さっさと『C』地点に戻ってこい。今なら誰もいねーよ」
スコープでもう一度覗く。望遠レンズ十字がクロスする位置に、弾は当たる。もちろん、距離や重力によって必ずこの場所にヒットするワケではなく、スナイパーは一度の攻撃を外した後、左右上下に修正を加えることで、対象へとヒットさせるのだ。
遺跡の向こうの森までをくまなく見渡した。『C』の遺跡エリア周囲に、それらしき人間はいない。「気を付けて戻ってこい。『C』張ってた二人は北西に行った」
E・M・P『りょーかいりょーかい。俊介、絶対勝とうな』
「うるせえよ。俺を下の名前で呼ぶんじゃねえよ」
E・M・P『いいじゃんか、減るもんじゃないし。ってか、俺のことも下の名前で呼んでいいよ。伸也って』
「う、う、うるせぇよ! だ、誰がお前のことを――おい、最上伸也!! さっさとC戻ってこい! ETA、十八時まで。じゃないとどこかのエリアが封鎖される!」
ETA? と、裕奈からは疑問の声が上がる。
「到着予定時刻だ!」
俺は、顔が熱くなるのを感じた。展望台の中はそこそこ広かったが、使い方のよく解らない機材で埋まっている。足場が崩れないように、壊れたディスプレイや基盤なんかをクッションにしてくつろいでいた。
「……今頃何やってるんだろうな、日和――」
♠
俺は、鳥になりたかった。
三年か、四年くらい前だったか。俺の背中にあった、翼を折られたのは。
「お、おい、見ろよ……。一年A組の、三浦俊介……!」
「まじで!? 航空操縦実習、実技、筆記ともにトップの!」
「カッコイィ~――わたし、あの人の下でCAやりたいなぁ~」
山梨にある、航空高等学校。
俺が廊下を歩いたり、教室に入るだけで、その周囲の空気は変わった。俺は、あまりにも優秀なパイロットだったからだ。うちの高校は、二年にしてようやく実技の授業が受けられるのだが、一年の後半にして、俺は初フライトへと漕ぎ着けた。
人生初の機長体験。十人も乗れない小型の飛行機――いわゆる軽飛行機と呼ばれるジャンルのものに、初めて乗せてもらった時の感動は、未だに忘れない。
テイクオフをするためにエンジンがかかると、目の前のプロペラが回り――心地よい振動が、俺の心を震わせる。
山梨上空をちょっと回るだけの、短いフライトだ。一時間も乗っていたらしいが、俺には十分程度に感じた。
「よぉ! スバル! 今日も輝いてんな!」
と。その軽飛行機に愛着が沸いて、名称をもじってあだ名を付けた。いい思い出ばかりだ――。一年から二年に進級する。それまでは。
進級の単位も無事に足りた俺たちに、教官からのサプライズがあった。
それは、今や日本から全世界へと羽ばたく航空会社の中でもエリート中のエリート航空会社、翔空航空会社――以下、SAC――の、パイロット、および航空管制官が、喝を入れに来たのだ。
「えー、こちらが、今回わが校にお越しいただいたSACの方々――三浦俊介くんの父、三浦一成さん。羽田から海外へ。幅広い世界へと、副機長として……羽ばたいておられる方だ」
「と、父、さん……」
今まで、クラスメイトには黙っていた。俺の父は有名な航空会社のパイロットだということを。SACのパイロットが来校したその日以来――俺を見る目は、変わって行った。
「やっぱり、親の七光りだったんだな」
「ち、違う! 俺は……!」
「何が違うんだよ。どうせお前なんて実力皆無で、親の面目潰れないように、好成績を先生が出してんだろ?」
根も葉もない、噂。
俺は飛び出した。もう一度スバルに乗って、飛び立って。自分だけの力で、この世界に羽ばたいてやる。
プロペラが回る。エンジンの振動が、自分の胸を熱くする。
俺は、空に飛び立った。皆が見てる中で――。だが、途中で操作に支障があり、校舎の壁に、翼が当たった。
そこから墜落までは一瞬だった。
「うわああああああああああああああああぁ!!!」
泣き叫びながら――空を夢見た小さな鳥は、翼を折られて飛べなくなった。
♠ 二日目 午後十七時 E―6 三浦俊介
E・M・P:『そんな過去があったんだな』
と、雑音が走った後に、伸也の声がPADから聞こえた。
「なっ……お、おい、聴いてたのかよお前!?」
DOCTOR:『その……三浦さんも、悲しい思いをしたんですね。それからはどうなったんですか?』
俺は立ち上がって、もう一度『C』方面をスコープで覗いた。
「……辞めたよ。その時に利き腕がへし折れて、ほぼ使い物にならなくなった。下半身にも問題があって、車椅子生活さ。それと並行して左腕が利き腕同様使えるまでリハビリして……。四年は掛かった」
CHASER:『それで、病院で日和さんと出会ったのね』
E・M・P:『華岡さん、無事だったんですね』
CHASER:『ええ、なんとか。……日和さんと、接触した』
俺は思わず前のめりになった。
「ひ、日和……! お、おい、華岡。お前のところに日和はいるのか?」
CHASER:『そうね。ずいぶんと憔悴しているようだから、しばらくは面倒見るつもり。大丈夫、日が暮れないうちには移動して、帰るから』
俺は、顔を手で覆った。まぶたの裏にはいつも日和がいる……。そう、彼女と出会ったのは、病院の中だったな。
日和はバカだった。自分の飼っていた犬が死んで、それを治して貰おうと――外科まで足を運んだのだ。薬のにおいでいっぱいだった病院の廊下で、ただ一人。よだれを垂らして死んでいる、図体のでかい犬を抱きかかえ、彼女は泣いていた。
「お、おいおい……。ここは動物病院じゃないぞ」
「えぐ……ひう……。動物病院って……どこ……?」
「――この病院を出て、向かいの道を右に三件目。行けるか?」
と。しかし彼女の頬へと伝う涙はもっと多くなった。
「うう……『ビヨンド』……ッ」
そう。『ビヨンド』は、彼女の飼っているペット、ラブラドル・レトリバーの名前であった。
彼女はそのまま踵を返すと、いろんな人に当たりながら、病院の外に飛び出していった。
「な、なんだったんだよ、あいつ」