恐怖すら感じない
本能は危険だと告げている。現にスカートのポケットにはピストルが入っていて、ナイフも大量に所持している。金属探知などされたら死んでしまう。
だが、千早組の内情を探らねばならない。何もせずに、何も出来ずに帰るのは嫌だ。ボスもきっと落胆してしまう。でも、でも…………怖い。本当は怖いんだ。さっき見たいにならないか、とか。ボクだって、人間なんだ。怖くて怖くてたまらない。早くここから走って、部屋に逃げ込んで、鍵を閉めていたい。本当はそうしたいんだ。
「……香、帰ろうか」
誠から発せられたその言葉を、ボクは待っていた。うん、と頷いて、帰るのを誠のせいにして逃げ出したかった。でも出来ない。頷けない。首を振ることも出来ない。怖いけれど、どうしようもなく硬直して動けない。
「大丈夫か? 香。もう怖くないんだぞ」
誠はそう言って、固まってしまったボクの頭を撫でた。大きな手が、ぬくもりが、髪を通して伝わってくる。そのぬくもりは、簡単にボクを安心させてくれて、怖い事も誠がいれば大丈夫だと錯覚させてくれた。
だから、ボクは差し出された千早 拓人の手を握った。顔を上げた千早 拓人に向けて、柔らかく微笑むことが出来た。
「少しだけ、です」
わかってますよ、と拓人は頷き、香の手をひいて奥へ行こうとする。誠が後に着いて行こうとすると、拓人はスッと人差し指を立てた。これ以上こちらに来るなという無言の牽制。それで誠が来れないとは、その時の香は知らなかった。
奥にある綺麗な小部屋につくと、拓人は後ろ手に扉を閉めた。驚いて振り返ると、誠の姿が無い。あれ、どこ、どこ? 嫌だ、1人は怖い、怖い……!
「そんなに怖がらないでくださいよ、何も危害など加えません」
そう言うと意味深に拓人は微笑む。その笑みに不気味な物を感じて、背筋がゾクゾクして、手指が小刻みに震える。拓人が1歩踏み出す度に思わず後ずさり、1歩。また1歩。ついにはソファーまで追い詰められた。しまった、逃げ場がない。右には小さなテーブル、左はすぐに行き止まり。つまり、絶体絶命。頭では冷静に分析しているが、その冷静さは恐怖から来ている。と、思う。
ハイライトを無くした拓人の目。不気味に張り付いた笑み。先程まで意味不明な怪物に殺されかけてた香の心に恐怖を植え付けるには十分すぎる物だった。感じたくない、いや感じないくらいの恐怖を。
ドンッ、と背中をつけた壁から振動を感じた。ビクリとして顔を背けると、すぐ目の前に拓人の手が伸びている。もう片方の手が頬に触れて、思わず目を瞑る。指が頬をつたい、顎までいくとグイと正面に向けられた。