収穫祭3
森の中は、舞踏会の喧騒が嘘のように静かだった。
ネネはランタンの灯りを頼りに暗い森を進んで、開けた丘の上までやってきた。以前、アンナ・ルイーズに頼まれたネズミを探していたときにみつけたペトログリフがある場所だ。
あの時から、収穫祭の日はここへ来ようと思っていた。
ネネはカボチャのランタンを適当な場所に置くと、芝の上に寝転がって無数の星が瞬く夜空を眺めた。
収穫祭。それは死した魂が帰ってくる日。
——父も、もう帰ってきているだろうか。
いつもは弟妹と一緒に収穫祭を過ごしていたけれど、今年は一人だ。父の魂は実家の方に行っているだろうか。それとも、そろそろこちらにも遊びに来てくれている頃だろうか。
父の大仰な笑い声を思い出しながら、ネネは静かに目を閉じた。そのまま周囲の物音に意識を向ける。
風に揺れる木の葉の音。
ほうと響く梟の鳴き声。
しばらくじっと耳を澄ませていると、ガサ、と妙な物音がした。
ネネは起き上がって、岩の向こう側に目を向ける。
(何か、いる……?)
小動物が動いたような音ではなかった。まさか魔物か。
胸が痛いくらいに早鐘を打っていた。
ネネは息を凝らしたままそっと立ち上がり、岩の裏側をのぞいた。すると——。
月光降り注ぐ岩の裏に、一人の青年が岩に体をもたれるようにして座っていた。
すぅと気持ちよさそうに寝息をたてている。
ネネはその姿を見て、全身から力が抜けていくのを感じた。
(何でこんなところに……)
青年はいつものくたびれた診察衣は着ていなかった。代わりに煌びやかなローブと、その中に上下漆黒の生地に金のダブルボタンがついている豪奢な衣装を身にまとっていた。
(何の仮装か分からないけど)
こんな衣装を着ているということは、舞踏会には参加するつもりだったようだ。
ネネは彼の傍らに座ってしばし、その美しい寝顔を眺めてみる。
普段見慣れているはずのその顔は、眠っているとさらに端正さが際立って見えた。
(だけど……)
いくら美しくても、やっぱりいつもみたいにヘラヘラ笑って、馬鹿みたいな冗談を言ってくれないとつまらない。黙っていられては落ち着かないのだ。
だって人は、こんな風に眠ったような顔をして、二度と——。
ネネはルスランの肩をゆすった。
すると長いまつ毛に縁取られた瞼がゆっくり開かれる。そしてその奥にある、紺碧の瞳と目が合った。
◆ ◆ ◆
収穫祭の日、ルスランは皇宮にいる第三皇妃の診察に来ていた。その帰り、学校で開かれている収穫祭に行こうと思っていたところ、皇宮の廊下でメイドたちに囲まれた。彼女たちが第三皇妃の診察のたびに集まってくるのはいつものことなのだが、今日は彼女たちの様子がいつもと違う。みんななんだかソワソワしている。
「あのぅ、ドクター・ルスランは、何になられるんですか?」
「何になる?」
「舞踏会の仮装のことです。ドクターも、学校の方で催される舞踏会に行かれるのでしょう?」
そういえば、とルスランは夜の舞踏会に仮装が必須だとドミトル教授に言われていたことを思い出した。ドミトル教授はああ見えて仮装には人一倍こだわりがあるらしく、わざわざ小人の里から帽子を取り寄せていた。ただ、ルスランは自分が仮装をすることまでは考えていなかった。
「私は最後に少し顔を出すくらいにしようと思っているので、仮装はしないで——」
とルスランの言葉は途中で大きな声に遮られた。
「それはなりません!」
ルスランが声のした方へ目を向けると、数多のメイドたちをかきわけこちらへやってくる一人の女性がいた。皇宮の全メイドを仕切るメイド長だ。髪を後ろでキッチリ結い上げているせいか目がキリっと吊り上がっている。そんなメイド長はただでさえ恐い顔をさらに恐くして言った。
「いいですか、ドクター・ルスラン。いくら学校の催しとはいえ舞踏会でドレスコードを無視してはいけません」
「……しかし、今夜までに仮装の準備は間に合わな……」
と言いかけて、ルスランは口をつぐんだ。厳めしいはずのメイド長の顔に、不穏な笑みが浮かんでいる。ルスランは額に冷汗が滲んでくるのを感じた。
メイド長はまるで幼い子どもを諭すような調子で言った。
「あらあら、衣装のご準備が間に合わなかったのですね。そういうことなら早く言ってくださいまし。こういう時のために、わたくしたちメイドは日々技を磨いているのですよ」
「技……とは、何の……?」
「それは決まっていますでしょう」
にっこり微笑むメイド長と大勢のメイドたちによって、ルスランは皇宮の衣装室へ連行されたのだった。
そして衣装室に監禁されること一時間。
「まあ、素晴らしい!」
椅子の上でぐったりしているルスランの傍で、メイド長が歓喜の声を上げた。メイドたちも羨望の眼差しを彼に向けている。ルスランは物憂げな眼で睨んでみるが、むしろメイド長はうっとりした表情になった。
「やはり、わたくしの見立ては間違っていませんでしたわ。とってもお似合いです」
「………………ご満足頂けてよかったです。ところで、これはいったい何の仮装なのでしょう」
服の生地の質感、装飾からして今着ているものが相当高価なものだということは分かる。しかし自分がいったい何に化けさせられたのかまるで見当がつかない。
「そうですわね。この仮装は悪魔、そう、大悪魔アスモデウスとでもしておきましょうか」
しておきましょうかって、仮装の元ネタが後づけなんかい。と思ったルスランであるが、それは言わないでおくことにした。代わりに別のことについて尋ねてみる。
「あまり聞きたくありませんが、この服はどなたの衣装なのですか?」
「ふふふ。これは陛下がお若い頃着ていらしたものを、最近仕立て直したものです」
やはりか。薄々そんな気がしていたものの、予想が外れてくれればいいと思っていたのだが。
「せっかく着せてもらって申し訳ないですが、陛下の衣装を勝手に拝借するわけにはいきません」
ルスランがそう言って上着を脱ごうとすると、メイド長がとっさにルスランの腕をつかんだ。
「大丈夫でございます」
「いや大丈夫なわけ——」
ルスランが抵抗すると、メイド長は急にぐっと顔を近づけてきた。彼女はそのまま他のメイドたちには聞こえない声で囁く。
「これは陛下の御命令なのです。あなたに着せて差し上げるように、と」
メイド長はそう言って慈母のように微笑んだ。ルスランは小さく溜息をはき出す。
「たとえ陛下がお許しになったとしても、私がこれを身につけていれば問題になります」
「もう、またそんなことおっしゃって。あなたはいいかげん遠慮がすぎますわ。それでは陛下も悲しまれます」
メイド長はあからさまに嘆いてみせるが、ルスランが静かに首を横に振るとさすがにメイド長も諦めてくれたのか、傍にいたメイドに命じてローブを一着持ってこさせた。
「仕方わりませんわね。あなた様がそうおっしゃるということも予想はしておりました。どうしても気が進まないなら、こちらを上から着てお行きなさい。そうすれば誰も陛下の衣装だなんて気づきません」
差し出されたローブも豪奢なものではあったが、こちらは陛下のものではないらしい。これを羽織らせてでも、メイド長は陛下の衣装を自分に着させたいのだろう。
ルスランは開きかけていた口をそっと閉じた。
メイド長も陛下の命令には逆らえない。それにもし自分がこの衣装を脱いでしまえば、メイド長が陛下に罰せられる可能性もある。勅命とはそれほどの意味をもつものだ。それが単なる、舞踏会の仮装のことであったとしても。
「では……このローブお借りしていきます」
ルスランはメイドから受け取ったローブに袖を通し、衣装部屋を出た。そのまま急ぎ足で皇宮を後にする。
(まったく陛下も戯れが過ぎるな)
好意はありがたいが、過分な寵愛は火種を生みかねない。特に、自分のような立場の者には——。
ルスランは学校へと向かいながら、しかしすぐに舞踏会へ行く気にもなれず、寄り道することにした。
(ここなら誰も来ないだろう)
北の森にある遺跡までやってきたルスランは、円を描いて立つ岩の一つにもたれて座り少しの間休むことにした。するといつの間にか眠ってしまっていたらしい。
夢の中に、なぜか今はもう伝説となった古の妖精が出てきた。
「……森の妖精?」
呟きながらルスランは目を瞬かせる。そんな彼を見つめながら森の妖精は言った。
「アルフヘイムに、人間は入っちゃいけないんですよ」
夢にしては妙に現実味があった。もしかして自分は本当にアルフヘイムに迷い込んでしまったのだろうか。そんなことを本気で思いはじめた頃、ふと、この森の妖精の声に聞き覚えがある気がした。
「…………ネネ?」
「はい」
「あ……君か……。本物の、森の妖精が出たのかと思った」
「そんな、お化けが出たみたいに言わないでくださいよ」
そう言って口を尖らせる彼女は間違いなく、食べ物が大好きで、寝ても覚めても料理のことばかり考えている料理人の女の子だった。
「こんなところで居眠りなんて、どうしたんですか?」
「まあちょっと疲れてて、舞踏会に行く前に少しだけ休憩しようと思ったんだ。だけどいつの間にか眠ってしまったみたいだな。それより君こそこんなところで何をしていたんだ? 舞踏会は?」
「参加してましたよ。ここへはちょっと休憩に来ただけです」
ネネはそう言いながらルスランの着ているものをまじまじと見つめている。
「舞踏会、ドクターも行くつもりだったんですね。この仮装は、ええと……」
「これは一応、悪魔ということらしい。用意してくれたメイドたち曰く」
「悪魔? ですか。私はてっきり、もっとこう煌びやかな感じのものかと思いました。ほらたとえば、天使とか、王子様と……か……」
とネネはそこでハッとしたような顔になる。そして何やらモゴモゴ独り言ちりはじめた。
「……占いの……これは、そういうことなのかな……」
「どうしたんだ。ネネ?」
呼びかけてみても反応がない。こうなってしまったネネは人の話をまるで聞かない。独りぶつぶつ上の空。いつものことと言えばそうなのだが、どうしてか今日はそれがどうにも気に入らなかった。
(なんだか面白くないな)
ルスランはネネの頬に手を触れ、半ば無理やり上を向かせた。するとネネは驚いたようにこちらを見上げる。てっきりふり払われるかと思ったが、予想に反して彼女はじっとしていた。しかも、こちらを見つめている瞳がわずかに揺れている。心なしか頬も熱くなってきた。これは、動揺しているということだろうか。
(珍しい)
普段、彼女はどちらかというと肝がすわっているほうであまり慌てたり取り乱したりすることはない。そんな彼女が今、赤く頬を染め、こちらをチラチラ気にして落ち着かない様子だ。
そんなネネを見ていると、ルスランの胸の中で何かがムクムクと湧き上がった。
(もうちょっと、困らせてみたい)
一度火がついた悪戯心はとめられなかった。
ルスランはそのままそっとネネの頬をなでてみる。するとネネの顔がさらに赤くなった。しかしそれでも彼女は嫌がる様子をみせない。それどころか「やっぱり、誰でも……ひどい風邪は嫌ですよね……」とよく分からないことをつぶやいている。
(まだまだ余裕ということか)
ならばと今度は親指で彼女の唇を、その輪郭に沿ってそっとなぞってみた。
これにはネネも驚いたようで、びくりと肩を震わせる。さすがにこれでやめてくれと言いだすだろう。と思ったのだが。
「仮装でも……王子様っぽい人なら、アリかもしれないよね」
「ん?」
彼女は何か要求しているのだろうか。よく分からないが聞き返してもネネは恥ずかしそうに俯いてしまった。仕方ないので、もう一度上を向かせる。
「俺に、どうしてほしい? 言ってごらん」
「えっ……それはやっぱり、蛙より王子様っぽい人のほうが効果は……あるかと……」
そう言ってネネは目を逸らす。
(蛙? 王子様?)
まるで謎々だ。
その答えにルスランがあと少しで辿り着く、というところで。
「ネネー!」
遠くから声が聞こえた。
ルスランとネネが声のした方に目を向けると、ネネの同僚、ノア少年が叫びながらこちらへ走ってくるところだった。
「早く戻ってこいよ! すんげえ料理が出て来た、ってドクターも一緒だったんですか。どうも……」
ぺこりと頭を下げるノアに、ルスランもあいさつを返す。
(危なかった)
調子に乗っていろいろ抑えられなくなるところだった。
いいかげん舞踏会に顔を出さなくては、とルスランが立ち上がるとネネもゆっくり立ち上がる。しかし彼女はまるで生まれたての小鹿のように、どうも足がおぼつかない様子だ。
ルスランは危なっかしいネネの体を支えてやった。
「あれ……?」
触れたネネの体は、全身異常なほどに熱かった――。




