港町の料理人
ここはクヌルート帝国の端にある小さな港町。
その町の料理店で働く少女ネネ・クルタリカは今、店主ブルーノの罵声を浴びていた。
「おまえはまたこんな簡単なことを間違えたのか!」
店主の怒りの原因は、ネネが出前先を間違えたことだった。しかし、これはネネが悪いわけではない。店主が届け先の住所を書き間違えたのだ。なのに店主ブルーノは自分の失敗を盛大にネネへなすりつけていた。
(ああ、またはじまった)
この店主には言い返したところで火に油を注ぐだけ。ネネはこういう時、別のことを考えながらただ黙って耐えることにしていた。そうすればじき嵐は通り過ぎる。はずだったのだが、今日は運が悪いことに客までもがブルーノに便乗しはじめた。
「おやっさんも物好きだねぇ。そんな薄気味悪い子、さっさとクビにしちまえばいいのに」
「そうだよ。魔法が使えないなんて役立たずもいいところじゃないか」
この国ではどれだけ魔法が使えるかで社会的地位が決まる。高い魔力を有している者、高度な魔法を扱える者は良い学校へ行き良い仕事に就ける。しかし残念ながらネネには生まれつき魔力が全く備わっていなかった。
(どうして私は魔法が使えないんだろうなあ)
人によって魔力量の差はあれど、ネネのように魔力が全くないというのは珍しい。魔道具がなければ薪に火をつけることもできないなんて神様のいたずらだとしてもあんまりだ。
「せめてもう少し身なりがよければ、嫁のもらい手もあるかもしれないけどねえ」
「そうだな。あんな見た目じゃあ、娼館でも雇っちゃくれないだろう」
そう言って笑う村人たちの声を聞きながら、ネネは自分の着ているワンピースを握りしめた。ネネとて自分がみすぼらしい身なりなのは分かっている。自分が着ているものといえば、昔祖母が着ていたボロボロのワンピースに底のすり減った靴。髪だって髪飾りなんてものは買えないのでいつも後ろで一つに編んで終わり。もちろんおしろいや紅も持っていないから化粧っけのないすっぴんの顔は、十七の娘してはずいぶん子どもっぽく見えた。
魔法が使えないうえにこんな見た目では誰からも声はかからない。だが見た目に気を遣おうにも、ネネの家は貧乏でオシャレをする余裕などとてもなかった。
店主ブルーノは黙ってうつむいているネネから目を離すと客の方へ向き直る。
「はあ。ほんと器量はないし使えないし、まいっちまいますよ。でもまあ……こんなのでも、追い出すのはかわいそうでね」
「ほんと優しいんだからなあ、おやっさんは」
なんだかんだブルーノはこの惨めな少女に優しい。それがこの村でのブルーノとネネに対する認識だった。
しかし、ブルーノは村人たちにあることを隠していた。ブルーノにはネネを店から追い出せない理由があるのだ。
ネネはキッチンの奥へ行くと、棚に並んでいる瓶を持ち上げた。瓶の中には、砂糖水に浸かったリンゴとあるものが入っていた。
(いい具合に妖精が育ってる!)
リンゴが浸かっている砂糖水には、沸々と水泡が浮かんできている。この泡はリンゴに宿った妖精が呼吸をしている証。つまり妖精の培養に成功したのである。
ネネは満足げにうなずきつつ、再び瓶を棚に置いた。そして今度は引き出しにしまってあったノートを取り出し、「リンゴ酢の妖精」と書かれた文字の横に丸印を書きこんだ。このノートには、ネネが今まで考案したレシピが全て書かれていた。
そう、この店のレシピを考えているのは全てネネなのである。棚にズラリと並んだ保存食も、嫌味な客たちががおいしいと言って食べている料理も全て、ネネが考え作ったものなのだ。魔法は使えなくとも、ネネには食材に関する膨大な知識と、類稀な料理の腕がある。もちろん魔法食材だって扱える。
そんなネネのおかげでこのブルーノの店は、この港町に来る船乗りの間で「幸福の料理店」と呼ばれ一番人気の店になっていた。
なのにブルーのはそのことを隠して、メニュー考案も調理も全部自分の手柄にしているのだ。ひどい話だが、もしネネが本当のことを周りの人間に言ったとしても、村人たちが魔法の使えない無能者と店主ブルーノどちらの言葉を信じるかは明らかだ。
ネネはぱたんとレシピノートを閉じるとそれを引き出しに戻した。
(いつまでこんなことが続くんだろ)
こうして手柄は取り上げられ理不尽な罵倒や嫌味を言われ続ける職場。普通なら逃げ出したくなってもおかしくない。でもネネには他に逃げ場所がなかった。魔法の使えない娘を雇ってくれる店は他にないのだ。それにネネには下に弟妹が三人いて、ネネが働いて家計を助けなければ食べていくことができない。だからどれほど辛くとも無職になるわけにはいかないのだった。
ネネはため息を一つ吐き出すと、気を取り直してミトンを両手に装着した。オーブンをのぞき込むと、中ではミートパイがちょうどいい具合に焼けていた。その熱々のミートパイをオーブンから取り出して、そのままそっと藤の手提げカゴに入れる。
今から、先ほど届けるはずだった配達先に新しいミートパイを届けるのだ。
ネネは手提げカゴを持つと、もう片方の手でエプロンを外し壁のフックにかけた。
(おっとこれも持って行かなきゃ)
手に取ったのは、搾りたてのアスコルオレンジのジュースだ。ネネは手提げカゴにジュースの瓶を入れると、厨房の裏戸を開け店の外へ出た。
外はよく晴れた気持ちのいい天気だった。海から吹いてくる風は少し冷たいが、暑いキッチンで火照った体にはこれくらいが心地よい。
ネネは坂を下りながら、陽の光にきらめく海へと目を向けた。入江に何隻か船が浮かんでいる。
港町というのは当然、船乗りが宿や料理店を求めて大勢やってくるので、新たに船が着港したときはこの小さな港町もかなり賑やかになる。
(今日もお客さん多くなりそうだな)
そんなことを考えながら商店街までやって来たネネは近道しようと裏道に入った。が、これは失敗だったようだ。狭い道に人だかりができていて通れない。商店街で働く若い娘の売り子たちが、誰かを取り囲んで盛り上がっているようだ。
「また誰か餌食になっちゃったか」
売り子たちにとって、この町に来る船乗りは客であると同時に恋のお相手でもある。彼女たちは常に若くてイキのいい男、金持ちならなおよし、を血眼になって探しているのだ。
(あれ? でもなんか……)
今日はどうも様子がいつもと違う。取り囲んでいる娘たちから今まで聞いたことのない、うっとりとした溜息が漏れている。
さすがにネネも気になって人だかりの中心を覗いてみた。するとそこには、スラリと背が高い青年がいた。さらにその容姿はなるほど、溜め息をつきたくなるのも納得のものだった。
均整のとれた顔だちに、すっと切れ長で透けるような紺碧の瞳。白銀の髪は陽光を浴びて輝き、そのちょっと長い前髪が揺れるたび、得も言われぬ色気が漂う。人間の女どころか女夢魔さえも骨抜きにしてしまいそうな美貌だ。
「ほお」
ネネも年頃の娘である。こんな美青年を前にすれば、つい見入ってしまったとて不思議ではない。の、だけれど。
彼女が注目していたのはその麗しき容姿ではなかった。
(船乗りにしては、全然肌が焼けていないんだなぁ)
それに話し方や立ち居振る舞いもこの町の住人や船乗り連中にはない品の良さがある。ひょっとすると彼は船乗りではなく、帝都に住む上流階級の者だろうか。と一人首を傾げていたとき、ふと彼の持っている鞄に目が留まった。
(ああいうの、前にもどこかで見たような……)
以前、帝都から来た医術師が持っていた鞄もあれとよく似ていた。もしかすると彼は帝都から定期的に派遣されてくる医術師かもしれない。
ネネは医術師に対してあまり良い印象がなかった。特に帝都から来る医術師には苦い思い出があった。
と、そこでネネはハッと我に返った。
(まずい、こんなことしてる場合じゃない)
ネネは道を迂回すると配達先の住所へと急ぐ。
配達が遅くなったらまたブルーノにどやされる。そうすれば今度こそ嫌味百連発を浴びせられるかもしれない。と震えていたネネだが、その店主ブルーノが突然姿を消すことになるのは、この日からちょうど一週間後のことであった。




