第1話 異世界転生
現世でカリスマトリマーとして働いていた俺は、ある日の交通事故で呆気なく絶命した。
次に目を覚ました時、俺は異世界で人間の赤ん坊として生まれ変わっていた。
そこで最初に感じたのは、自分の存在証明とも言える股間の違和感だった。
(あれ? 俺、ついているけどな)
戸惑う俺をよそに、産婦人科医である母・恵は、俺を『女』として役所に届け出たのだった。
大人の意識を持ったまま赤ん坊として過ごすのは羞恥心の連続だったが、(恥ずかしいが、これも生きるため。母上、いただきます)と心の中で合掌し、俺は母親の母乳をすすって育った。
成長するにつれ、テレビやスマホの情報から、この世界の異常な常識が見えてきた。
魔法こそ存在しないものの、前世の日本社会とほぼ同じ文明レベルを持つこの世界において、人口比率は極端に歪んでいたのだ。
『人間の男1:獣人の男1:人間の女100:獣人の女1,000』という、圧倒的に女性と獣人が多い社会。
しかも、超希少な人間の男は『遺伝子供給奴隷』として扱われ、獣人の男に至っては、国に管理されて1日に何十人もの相手をさせられる『公共インフラ』として扱われているという。
男が非人道的に虐げられ、搾取されている社会。
だからこそ、母は俺を守るために、女として生きるよう言い含めてきたのだと完全に悟った。
現在。俺、神浦ヒカルは17歳の高校2年生になった。
将来の国を担うエリート獣人たちが、希少な『人間』に慣れる目的で通う『国立桜華学園』で、俺は親の意向通り、平和な女子生徒としての学園生活を送っている。
だが、その毎日は涙ぐましい努力と隠蔽工作の上に成り立っていた。
毎朝、胸を大きく見せるためのパッド入りブラを着け、どうしても我慢できない生理現象に備えて、股間には毎日キッチリと前張りをしている。
体育の授業で体操服に着替える時は、股間を大きくさせないよう極力周りの女子たちを見ないように視線を床に固定する努力が欠かせない。なぜなら、人間の女子はもちろんだが、獣人の女子も服を脱げばスタイルは人間と同じで顔と手のひら以外は毛で覆われているため、ほぼ着ぐるみタイツを着た人間女子という見た目なのだ。昨年の修学旅行の際も、風邪気味だと嘘をついて女子たちと一緒に風呂に入るのだけは死守して回避した。
さらに厄介なのは、すでに声変わりが始まっていることだ。だから学校にいる間は、ずっと裏声を作って話さなければならない。
そして何より俺の命綱となっているのが、自身の極上のフェロモンを抑え込むための中和剤だった。官僚の母が横流しした機密データを元に、医師の母が俺専用に密造したものだ。
人間の男の匂いは、獣人の理性を飛ばして発情させるほど強烈らしい。だが、長年の薬の服用により、徐々に俺の体には限界が近づいていた。
その兆候は、日常の些細な場面で表れ始めている。
ある日の放課後、廊下を歩いていた時のことだ。前方から、規則に厳格な大型犬系の生徒会長・レティシアと、軍事の名門出身であるオオカミ系のシルヴィが歩いてきた。
壁際に寄り、女子生徒らしく軽く会釈をしてすれ違った直後。
「……ん?」
背後で、二人がピタリと足を止める気配がした。
「……今、ひどく甘い匂いがしなかったか?」と、シルヴィがいぶかしげに呟く。
「ええ。なんだか、無意識に尻尾が振れそうになるような……」とレティシアが鼻をヒクつかせているのが気配でわかった。
俺は心臓が跳ね上がるのを抑え、足早にその場から立ち去った。薬の効果が薄れ、フェロモンが漏れ出している。一歩間違えれば、俺は交尾相手として狩られてしまう。
そんな綱渡りの生活の中、俺にとって唯一の安らぎは、幼馴染の猫系獣人・ミオの存在だった。
だが、思春期を迎えた学園では、『毛並み=スクールカースト』という残酷な問題が深刻化していた。
獣人にとって、毛並みは最大のコンプレックスであり、社会的ステータスでもある。ボサボサの毛は『野蛮』の象徴とされ、ツヤツヤの毛が『エリート』の証なのだ。
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昼休みのカフェテリアでミオと一緒に昼食をとっていると、経済界のトップに君臨するライオン系令嬢のレオナが、取り巻きを引き連れて近づいてきた。
「あら、ミオさん。今日も相変わらずのしなびた毛並みですこと」
レオナは高飛車な笑みを浮かべ、見下ろしてきた。
「そのボサボサの毛、見ているだけで息苦しいわ。エリートが集まる桜華学園に相応しくない野蛮さですわね」
周囲の令嬢たちも同調してクスクスとあからさまに嘲笑う。
子供の頃は許されていたミオのボサボサな毛並みも、高校生になった今では、こうしていじめの標的にされてしまっていた。
ミオは俯き、ぎゅっとスカートの裾を握りしめて震えている。
レオナたちが立ち去った後、俺は落ち込む親友の姿を見て、胸の奥で何かがブチッと切れるのを感じた。
母親たちに前世のカリスマ技術を怪しまれるリスクや、身体的接触によって男であることがバレるリスクを恐れ、俺は今まで『トリマー』としての技術を完全に封印してきた。
だが、もう限界だ。大切な親友が理不尽に傷つけられるのを、これ以上黙って見ていられるものか。
「ミオ、心配しないで。私が世界一の美少女にしてあげるわ」
俺はミオの肩を抱き寄せ、そう力強く宣言した。
秘密裏にトリマーの道具を揃え、彼女を救うための絶対的な安全圏を探し出す決意を固める。
この歪な楽園の裏側で、俺のゴッドハンドを解禁する時が来たのだ。
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ミオに力強く宣言した翌日から、俺は学園の敷地内を密かに探索し始めた。
誰にも見つからず、かつ水回りが生きている場所。広大な敷地を持つ国立桜華学園の裏手で、ついに理想的な空間を発見した。それは長年放置され、ツタが絡まってカモフラージュされた「旧校舎の第4温室跡」だった。
奥には古い備品室があり、錆びついた浅いバスタブや作業台、そして奇跡的に生きた水道管が残されていた。俺は放課後の時間を使ってここを徹底的に掃除し、市販の人間用や獣人用シャンプーやコンディショナーを独自に調合した液剤、そしてネットで厳選したハサミやクシを運び込んだ。
「この隠し扉のある場所なら、絶対に誰にもバレないでしょう」
確証を得た俺は、その週末の放課後、戸惑うミオの手を引いて秘密の温室へと案内した。
「……ここ、本当に誰も来ないの? なんだかドキドキする……」
薄暗い温室の奥、整えられた秘密のサロンを見て、ミオは不安げに猫耳を伏せた。
「大丈夫よ。さあ、まずは制服を脱いでちょうだい。全身を綺麗にするの」
「ぬ、脱ぐって……ここで?」
いくら表向きは「女子同士」とはいえ、ミオは顔を真っ赤にして制服の胸元を両手で隠した。同性とはいえ、親友の前で裸になるのは恥ずかしいのだろう。
「恥ずかしがらなくていいの。私はミオを世界一可愛くするための魔法使いだから」
俺が真剣な瞳で頷くと、ミオは観念したようにゆっくりとブラウスのボタンに手をかけた。
ファサ……と、衣服が床に落ちる。
手で体を隠しながらゆっくりと白い下着を外していく。
全裸となり、あらわになったミオの体型は、人間と全く同じで女性らしい柔らかな曲線を描いている。それも巨乳と呼ばれる分類に入るナイスボディ。だが、顔と手のひら以外の全身は、密度の高い猫特有のフサフサな毛に覆われている。本来ならしなやかで美しいはずの毛並みだが、手入れが行き届いていないため、あちこちで毛玉ができ、くすんでボサボサになってしまっている。
「……見ないで。やっぱり、恥ずかしいよ……っ」
ミオは両腕で胸元と下腹部を隠すように縮こまったが、ふさふさの尻尾は不安げに足の間に巻き込まれていた。
「レオナさんたちが言う通り、私、ボサボサで毛玉だらけだし……こんな汚い姿、ヒカルに見られたくない……」
ポロポロと涙ぐむミオの震える肩に、俺はそっと両手を置いた。
「ミオ。汚くなんかないわ。あなたのその毛並みは、ただ本当の輝き方を知らないだけなの」
俺は彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、裏声の中に精一杯の優しさを込めて微笑んだ。
「私を信じて。ここから、誰もが振り返るような宝石みたいに、私が磨き上げてあげるから」
俺はあえてプロの「トリマー」としてのスイッチを入れ、思春期の男としての煩悩を奥底に封じ込めた。ミオの手を引き、浅い浴槽の中央に置いた椅子に座らせる。




