手向けられた花の傷。
その日、私は母から捨てられたのだと感じたのです。
まだ小さく、物心つくよりも幼い頃に父親を亡くした私は、母以外の家族というものを知らぬまま、母に女手一つで育てられました。
幸いにも人並みには聡く生まれた私は、そんな母の負担にはならないようにと、子供ながらに出来ることを探し母を支えることを自らに義務付けるようにして育ったのです。
炊事洗濯掃除、家事に関しては不出来でありながら小学校高学年になるころに私が取り仕切ることになったのは、ささやかながらも私の数少ない誇りでもありました。
無論のことではありますが、家事にかまけて勉学を疎かにすることもありませんでした。
もし成績が悪いと知れれば、母は私に家事を任せてはくれなくなる可能性がありましたし、そうなれば私が減らせる筈だった母の負担を再び増やすことになるからです。
母に幸せになってもらいたい。それは私の夢でもあり願いでもあって、その為に努力することは何の苦でもありませんでした。
母は私に「あまり頑張らないでも良いよ」と度々言ってはくれていましたが、私は決められた台詞をそらんじるように「好きでやってるから気にしないで良いよ 」と返すのが通例でした。
正直に言えば私はそれらのことが好きではありませんでしたが、けれど嫌いでもありませんでしたし、母の為と思えばそれは私にとって頑張る頑張らない以前に、やらなければいけないことでもあったので、その返答は少なくとも私にとっては当然のことでした。
けれど不幸にも、盲目的に母の為と思い努力することが、母の親心と言うべきものを苛むのではないかと、私は想像することすら出来なかったのです。
母の再婚が決まった際、私は我が事のように喜び思い付く限りの言葉で母を祝福しました。
母は気恥ずかしそうにしながらも、それを受け入れ、言ったのです。
「もうお母さんのことは気にしないでね」と。
私はその瞬間に考えてしまったのです。
母の再婚は、その幸せは、果たして本当に母の為であったのでしょうか。
もし仮に私が家事を行うことに母が心苦しい思いをしていたのなら、母は自らの幸せの他に、私のことまで天秤に載せて再婚相手を選んだのではないのでしょうか。
母の為にと努力したことが、結果的に母を追い詰め望まぬ再婚を強いたのではないのでしょうか。
臆病にも私は母の真意を問い質すことも出来ず、私は母を、親として見くびっていたのだと無理矢理に気付かされたようで、目の前が真っ暗になるような錯覚に陥りました。
程なくして母の再婚相手と面会することになり、やがて父になる男が私と母に向けてこう言ったのです。
「因幡ちゃん。勉強が好きなら、それに集中出来るように全寮制の学校に転入してみないか」
私には拒絶する言葉が見付かりはしたものの、口にくることが出来ませんでした。
何故なら母に対して好きだからと言い続けていた事を撤回してしまったのなら、嫌々ながら苦労してきたなどと気に病ませてしまうかも知れず、その可能性がある限り、私には沈黙か賛同かの二択しか残されてはいなかったのです。
「そうね、因幡ちゃんはずっと家の事をお願いしちゃってたもの。自分の好きなことをして欲しいわ」
母の言葉を聞いて、私は嘆きたい気持ちでいっぱいになりました。
もし母が私を気遣い望まぬ再婚をしたのなら、私は母の幸せを願いながらそれに影を落としたことになります。
私のことを気に留めず望んで再婚したのだとしたら、再婚という人生の区切りを迎えた母にとって、亡き父との子である私は邪魔な存在なのかも知れません。
その段になっても勇気の出ない意気地無しな私には、母にすがり付き共に暮らすことを懇願することも出来なくなり、提案されるままに転入へと同意することになりました。
その時になってようやっと私は思い至ったのです。
母の為と思っていた全ての源流は、ともすれば孝行などではなく単なる依存による産物に過ぎないのかも、と。
私にはそのどちらが正しいものであるのかも分からず、けれど確かな事実として、母と共にあろうとする私の望みは、母が同意を口にしたことによって切って捨てられたのでした。




