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犬が兄弟になりまして・9


 この保護施設の敷地は広い。

 ドッグランを扇状に囲むようにカフェを兼ねた総合受付、トリミング、動物病院、ホテル、老犬介護施設に保護施設がある。

 ショップの奥のドアから外に出ると、金網でいくつかに仕切られたドッグランがあった。

 平たく何もない広場もあれば、山の斜面を利用したランも、アジリティ練習用のコースもある。

 どこも人の姿はあったが、まだ犬は来ていないようだった。

「こっちです」

 美馬はいちばん広いランに航を連れてくると二重扉の手前を開けた。

「ここは活発な子や大型犬の子たちが多くて、脱走防止が厳重なんです」

 中に入り、一つ目の扉と鍵を閉め、二つ目の鍵を開けようとしたところで声が聞こえた。

「おにいちゃーん!」

 うすうす覚悟はしていたが、航は絶望した。

 ランの奥から全速力で走ってくる若いふたりの男がいる。

「会いたかったよー!」

「待ってたよー!」

 勢いの乗ったデカいふたりの男に飛びつかれ、航は倒れた。

 倒れた航にしがみついたまま、ふたりは航に頬ずりした。

「もう迎えに来てくれないのかと思った」

「ここんちのごはんカリカリばっかりで全然おいしくないんだよ」

「みんなは優しいんだけど、ごはんがカリカリばっかりで飽きちゃったんだよ」

「茹でたお肉とかお野菜とか全然出てこないんだよー」

「焼き鳥食べたいよー」

「なんか持って来た?」

「お土産ある?」

 航のポケットや懐をまさぐり始めたふたりを航は蹴散らした。

「なんも持って来てないわ!!」

 若い男に押し倒され、体中をまさぐられていた航を美馬はどんな目で見ていたのか。

 肩で息をしながら航が見ると、美馬は花が綻ぶように微笑んだ。

「やっぱりお兄ちゃんが来てくれてうれしいんだ」

 犬ですね。

 警察を呼ばないところを見ると、犬に見えてるんですね、美馬さん。犬なんですね、こいつら。

 航は仕方なく納得すると、立ち上がって地面を指さした。

「座れ!」

 ふたりはぴしゃりと姿勢を正して直立した。

 座りゃしないんだなと航は思ったが、美馬が

「まあ、ちゃんとおすわりした!えらい!」

 と目を輝かせて褒めたので、たぶん犬の方は座っている。

「必ず迎えには来る。ただまだお前らと一緒に住める家が見つからない。もう少し時間はかかるかもしれないが、絶対迎えには来るのでお利口にして待ってるように。いいな?」

 航が言い聞かせると、ふたりはあからさまに眉を下げた。

「えー……。いつまでー?」

「いつまでって……」

 言い淀む航の顔を美馬が覗いた。

「おうち探してらっしゃるんですか?」

「あ、はい。今のマンションがペット禁止なんで。でも大型犬2頭飼える賃貸マンションなんてなかなか無くってですね……」

「よかったらうちに来ませんか?」

 無邪気に美馬は自分で自分を指さした。

「ええっ!?」

 航は驚愕した。

 天然の犬好きとは犬さえ挟めば知り合ったばかりの若い男とすぐに同棲することに、なんの躊躇も戸惑いも無いのか!

「うちのマンション、ペット可だし、空き部屋あります」

 ですよねー。と一瞬で我に返る航だが、

「『うちの』?」

「はい。ペット可っていうか、ペットを飼ってることが賃貸の条件にしてたら意外と借りてくださる方が少なくって」

 てへへと笑う美馬に航はもう一度訊く。

「『うちの』?」

「ここの近くなんで、都心に住みたい方には不便だっていうのもあるらしいんですけど、天道さんのお勤め先には遠いですか?どうですか?」

「いやあの、美馬さんのマンションなんですか?」

「はい。私も住んでます」

 たまに会話が成立するとき、美馬の笑顔はまぶしい。

「一番上なんで不便なんですけど」

 よく遅刻しそうになっちゃって、てへっ、なんて言われて航は目がくらむ。天然が『いいとこのお嬢さん』はデフォである。

「よかったら今から一緒に見に行きませんか?」

「あ、はい、よければ、ぜひ」

 航はくらくらする頭を押さえながら笑顔で答えると、美馬は「門の方に車まわしますねー」と言ってランを出て行った。

 そりゃ、世の中いろんな人いるんだし、いちいち自己紹介で「私マンション経営者の娘でーす」なんて言うヤツぁいねえわけだし。

「いや、でも初めて見たマンション経営者の娘」

 航が思わず口に出して呟くと、リクとカイが真顔で言った。

「よかったじゃん。逆玉乗れそうで」

「おい、おまえらどこで覚えたそんな言葉。やっぱホントは人間だろう?え?ホントは人間なんだろう?俺のことからかってんだろう?」

 詰め寄る航からふたりは脱兎のごとく逃げた。

 犬だけど。

 航には人間に見えてるけど。



 マンション経営者の娘・美馬の車は意外なことに軽だった。

 いかにも女性好みの可愛い軽自動車の助手席に乗り、航は施設から5分程度の場所にあるマンションに連れて行かれた。

 段々畑みたいな作りのマンションはつまり、上に行くほど部屋数が少ないということで、航はあんぐりと口を開けて見上げた。

「これ、分譲ですよね…?」

 5階建と高くはないが、お値段は確実に高いヤツだ。

 山奥に突然現れた瀟洒な外観。 

 大きなガラスの自動ドアがある広いエントランス。その中に整然と並んだポスト。誰が座るのか小洒落た椅子とテーブルまである。

「分譲で住われてる方もいらっしゃいますけど、3、4階の方がほとんどです。2階のお部屋が狭いので賃貸にしてるんですけど、なかなか埋まらなくって」

 美馬の狭いはどれくらいだろうと航は訊いてみる。

「何DKぐらいですか…?」

「2LDKです」

 Lあるんだ。と航は思った。独身男性にあんまりいらないヤツ。いやもう確実にトイプーとか飼ってるカップル仕様じゃん。じゃなきゃシーズー飼ってる定年退職夫婦の人生の楽園じゃん。

 そもそも外観でお呼びでない雰囲気はひしひしと感じていたし、1Kでも1DKでも始まらなかった段階でナシだとは思ったが、一応好奇心から訊いてみた。

「お家賃のほどは…」

「こんな山奥なのに恥ずかしいんですが…」

 美馬は赤くなりながら人差し指でほっぺを掻いた。

「7万円です」

「よろしくお願いします」

 速攻航は頭を下げた。

 まあまあ山奥とはいえ都心から車で40分程度。遠いと思うか近いと思うかは人それぞれだとは思うが、この家賃で空きがあるのかと、部屋に案内してくれるという美馬の後ろでエレベーターを待ちながら航は不思議に思った。そしてはたと気づく。

「もしかして事故物件とか……?」

「それはないです~」

 けたけたと美馬は笑う。

「うーん、なんていうか、祖父が不動産屋さんを仲介したりするのすごく嫌う人で、知り合いの紹介でしかお部屋をご案内できないんですよね~。それもあるのかな~」

 祖父。知り合いの紹介。いかにも不動産経営者の娘が使いそうなワードだな、と大きな偏見を持って航は思った。

 そして黒幕は祖父なのか。さては有名な不動産王だったりするのか。

 航は何気にマンション名から不動産王を探ろうとした。

「ちなみにこのマンションの名前って……」

「ポン・アークン・シエルです」

 てっきり『メゾン』とか『グランデ』とかで始まる名前だと思っていたので航は意外だった。そして意味も何語かも全然わからない。

「フランス語で『虹の橋』っていう意味なのよ。エスプリが効いてるでしょ」

 開いたエレベーターから出て来たご婦人に突然言われ、航はのけぞった。

 つばの広い帽子にサングラス、黒いつやつやのファーの付いたコート。後ろには同じく白いもけもけのファーの付いた服を着た、かわいいがちょっと派手めの顔立ちの女性がふたり付いてきている。

「西園寺さん、こんにちは!今からですか?」

「そろそろブランチを頂こうかと思って」

 いかにも『西園寺』らしいいでたちのご婦人は、上から下まで無遠慮に航を眺めた。

「新しい住人の方?」

「あ、ちょっとまだ内覧を……」

 急に怖くなった航は言葉を濁す。

 西園寺の後ろの女性たちが顔を寄せ合い囁き合いくすくすと笑うので、航はいたたまれなくなった。

「ようこそ『pont arc-en-ciel』へ。上に行くほど天国よ」

 見事な発音で西園寺は言うと去って行った。後に続くふたりの女性に美馬が声をかけた。

「いってらっしゃ~い!美味しいもの食べさせてもらってね~!」

 女性たちは振り返って美馬に手を振ると、ぴょんぴょんと跳ねるように西園寺の後を追いかけた。

「……えーと、こちらは富裕層の方が多くお住まいになってらっしゃるんですか……?」

 恐る恐る航が訊くと、美馬は笑った。

「西園寺さんは長くフランスに住んでらしたのでフランス語がお上手なんです。そんな特別な方ではありませんよ」

 いや、充分特別ですよと言いたいのも山々だったが美馬の様子から絶対そういう価値観は通じないと思ったのでとりあえず諦めて、別のことを突っ込んだ。

「美馬さん、『虹の橋』って」

「素敵でしょう?『オズの魔法使い』っぽくって」

「……ブラックが過ぎます……」

 美馬は本当に天然なのか?

 甚だ怪しいと航は思い始めた。


 2階には角部屋が四つと真ん中に一つ、2LDKの部屋があった。さすが角部屋にはL字型のルーフバルコニーが付いていて、なにこれリゾートマンション?と聞きたくなる迫力である。次に案内されたのは真ん中の部屋で、窓が少ない分狭くも感じるが、それでも充分広いバルコニーが付いている。風呂もトイレも別々だし、洗濯機置き場もある。冷蔵庫も大きいのが置けそうだし、あんまり使わないとは思うがIHも二つある。IH!?ガスコンロしか使ったことのない航は二度見した。ウォークインクローゼットは広いし、下駄箱とは呼べそうにない小洒落たシューズクローゼットまである。

 航は唖然として呟いた。

「これで7万……」

「こっちは狭いので6万5千円です」

 申し訳なさそうに美馬が言う。

「住まわせてください」

 航は深々と頭を下げた。

 クセの強そうな住人やブラックなマンション名が安い家賃の理由だと納得することにした。

 たぶん違うけど。



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