犬が兄弟になりまして・7
美馬の背中越しに、左肩からリク、右肩からカイが眉を下げて航を見ていた。
「心配したんだよ~。もー、いくらお父さんが恋しくても勝手に出て行っちゃだめじゃない!言ってくれればお姉さんがお父さんに連絡してあげたのに。どこかで事故にでもあってるんじゃないかって、本当に心配したんだから!」
美馬は涙声でふたりの頭を撫で繰り回すと、またぎゅっと抱きしめた。
航は黙っていた。頭の中を整理していた。
「……お知り合いですか?」
美馬は笑いながら航を振り返った。泣いていた。
「すみません。変ですよね。でも犬好きな人ってみんなこんな感じなんです」
こんな感じ。とは。
「……美馬さんは、犬を探してたんですよね……?」
「見つかってホッとしました」
美馬はほほ笑むが、航は何が!?と名詞を聞きたい。
「やっぱりお父さんのところが1番なんですよね……。でも天道さんには天道さんの事情がありますものね……」
目を伏せる美馬に演技の可能性を探ってみるが、演技だなんだの前になんかちょっとつかめない。そもそも航を騙してなんの得があるというのか美馬に。
「やっと車停められました~。お邪魔しま~す。美馬さん来て……あっ!!」
開きっぱなしになっていた玄関から保護施設の男性スタッフが入って来た。2頭を預けるときに対応してくれた年配の男性スタッフである。
彼は奥で抱き合う自称・リクと自称・カイと美馬を見つけると、胸をなでおろした。
「よかった~、いたよやっぱり」
いた?なにが?航の目は落ちそうなくらい見開いていた。
「あ、だめだよ閉めなきゃ。また脱走しちゃう」
自分で言いながら、スタッフは慌てて扉を閉めた。
「あの、すみません……」
何がいたんですか?と訊こうとした航にスタッフは安堵の笑顔で答えた。
「見るからに懐いてましたもんねえリクくんとカイくん。よっぽど離れたくなかったんだろうねえ。家まで帰ってくるなんてたいしたもんですよ」
これはいよいよである。と航は思った。
なにかおかしなことが起こっている。詐欺か、どっきりか、はたまた自分の脳の病気か。
航は一番近い脳神経外科を脳内で探しつつ、英語の例文のように訊いた。
「……あれは、犬ですか?」
スタッフと共に、ふたりを撫でていた美馬は驚いた。
「え!?もしかしてライオンとか豹とかだと思ってました!?それで手放そうと思ったんですか!?」
スタッフはあははと笑った。
「犬ですよ、犬。ゴールデンレトリバーとラブラドールレトリバーです。ちょっと汚れてるからわかんなかったかな」
あははははとスタッフと美馬は笑った。そしてぐりぐりとふたりを撫で繰り回した。
「わかんなかったのに家に上げてもらったのか、お前ら~、幸せだな~」
そしてまたあははははと笑ってふたりを撫で繰り回した。
鏡には2頭の犬を撫でまわすスタッフと美馬が映っていた。
人間ドックを予約しようと航は思った。
「大変ご迷惑おかけしました。今後はこのようなことのないよう厳重に対処いたします」
美馬とスタッフは深々と頭を下げた。そしてリクとカイに首輪を着けた。
人間の頸に首輪を着けるところを見るのはなんか痛ましいかなーと航は思ったが、ふたりの格好がジレと革ジャンなので合わないことはないか、などと納得できるはずもなく、絶妙なダサさにやっぱりちょっといたたまれなくなった。
これでリードとか繋がれたら居た堪れないやつじゃん、ダメなやつじゃんと航は焦ったが、予想に反して美馬さんはリクと、スタッフはカイと手を繋いだ。
まさかと鏡を確認すると、ちゃんと2頭はリードで繋がれていた。
どういうこと!?と航は思ったが、もう考えてもしょうがないような気がした。
ただただこっちと鏡で見える世界が違うことが、度の合わないメガネをかけているようで気持ち悪かった。
一方手を繋がれているふたりの方はただただ眉を下げておとなしくしている。そしてたまにちらちらと航を見る。
「さ、行こうか」
美馬に促され、一歩を踏み出したリクが航を振り返った。
「お父さんとお母さん、しんだの?」
航は息を呑んだ。
「もう会えないの?迎えに来ない?」
先に行っていたカイも立ち止まり、振り返って航の答えを待っている。
両親の事故から2日後。実家で待っていた2頭を見つけた。
両親の遺体は警察から葬儀場へ直接運んでもらったので、実家に帰って来ることはなかった。
だから2頭は両親の死を知らない。知らなかったのだ。
「お父さんとお母さんは死んだ。交通事故で死んだんだ。お兄ちゃんも死に目に会えなかった」
航はリクとカイに言った。美馬とスタッフは立ち止まり、航を見た。
「ごめんな。言ってなかったな。知らなかったんだよな。お父さんとお母さんが死んだこと」
航はリクを抱き寄せた。カイも寄って来たので一緒に抱きしめた。
「死んじゃったんだー。もう会えないんだ、お父さんとお母さんには。ごめんなー。ごめん……」
涙が出て来た。
泣きながらしばらく、航はふたりを抱きしめていた。