犬が兄弟になりまして・21
結局航は今までより20分早く家を出る生活になった。
リクとカイを預かり始めた頃も、朝の散歩とふたりの朝食の用意で早起きせねばならなかったが、プラス20分はやはりキツい。
肉肉うるさいふたりのために、美馬を見習って茹でた肉と野菜を毎食用意するつもりだったのだが全然無理だった。前日に用意すればいいとかそんな問題ではない。前日は前日で仕事で疲れてそれどころではないのだ。帰宅してすぐメシメシ纏わりつくふたりが鬱陶しくて、苦し紛れにドライフードをザラザラ皿に出してやったら、普通に食べだして航の方が引いてしまった。
ポップコーンでも食べるようにポイポイ口に放り込むふたりに、
「……不味くないの?」
と航がイヤそうな顔で訊くと、
「普通」
と、平気な顔をしてふたりは答えた。
「焼き鳥の方が全然おいしいけど」
「お兄ちゃん、忙しそうだしね」
「たまに焼き鳥買ってきてくれればうれしい」
などと殊勝なことをいうもんだから、航は少しほだされて、なんとかふたりのごはんを作る時間を捻出せねばと決心していた。
決心したものの、なかなか時間は作れない。やっぱり週末にまとめて茹でて冷凍しとくか、などとため息をつきながら駐車場に向かっていた朝、美馬に呼び止められた。
「おはようございます!天道さん!」
このマンションに引っ越して来て最初の金曜日。あの夜以来、久しぶりに美馬に会った。というか、航の朝が早すぎるのか、未だ西園寺夫人以外のマンションの住人に会ったことがなかった。
「おはようございます。このあいだはありがとうございました」
「こちらこそ、祖父がお世話になりました。それはともかく」
お互い頭を下げると、美馬は航に早口でまくし立てた。
「すみません!私、大事なことお伝えするの忘れてて!」
ガスも水道も電気もちゃんと通ってるし、幽霊も今のところ出てこない。まさか今さら実は1年だけの定期借家でしたなどと言われるのではと航が構えると。
「ここのマンションの方は施設のドッグランを無料でいくらでも使用できるんです!」
「え?」
全然想像していなかったオプションに航は虚を突かれた。
「だからお仕事に行かれる方は保育園代わりに利用されている方もいらっしゃるんですよ。朝、お仕事前に預けに来られて、夕方お仕事が終わると迎えに来られるっていう」
「すげえ」
航の口から思わず漏れた。
そこら辺の子育て世代が聞いたらマジで嫉妬するオプションではないか。犬用だけど。
散歩の時間を節約すれば、朝ご飯を用意する余裕が少しできる。なかなかにありがたいサービスではないか。なんでこのマンションが施設を無料で利用できるのかまったく理由がわからないが、美馬の不動産経営者としての権力がそうさせているのかもしれない。美馬の祖父も怖そうだったし。裏の事情はどうでもいいとして、と航は嬉々として聞いてみた。
「何時から預けられるんですか?」
「10時からです」
だめじゃん。
一瞬で航は真顔に戻った。
今この時間、出勤しようとしている航を呼び止めといて気づかなかったのかな美馬さんは、と航は思った。
「いつでもご利用くださいねー!お待ちしてまーす!」
車に乗り込む航に向って美馬はぶんぶんと手を振っていたが、利用できるわけないじゃん、と航は冷静に思っていた。
なんだかんだ土曜日、航はドッグランへリクとカイを連れて行った。
「どうぞ」
受付に入るなり、いつもの男性スタッフに笑顔でドッグランへの扉を示された。
「話早いっすね」
「オーナー一緒ですからね」
航はちょっと首を傾げた。
「オーナー?」
「マンションとここの」
そしてちょっと考えてから航は訊いた。
「美馬さんのおじいさん?」
「いや。美馬さん」
「美馬さんが、オーナー?」
「美馬さんがオーナー」
「ここの?」
「ここの」
「あっちも?」
「マンションもこの施設もカフェもランも動物病院も、全部美馬さんが経営者」
「美馬さんが経営者!?」
航はとうとう叫んだ。
「なんならまるっとこの山全部美馬さんの持ち物」
「山!?地主!?」
「元はおじいさんのものなんだろうけどね。美馬さんが保護施設始めるにあたって譲り受けたらしいよ。いやあ、私もここに来るときはどうせ良いとこのお嬢さんの道楽なんだろうとしか思ってなかったんだけどね、意外とやり手なんだよ美馬さん。経営軌道に乗っちゃって、本部の方からやり方聞きに来るくらいで」
はははと男性スタッフは笑う。
「おじいさんのことはご存じで……?」
航は恐る恐る訊いてみる。地元の大地主か有力者かなにかなのか。
するとスタッフは驚いて航を見た。
「え!?知らないの!?」
「すいません、不勉強で……。ホームページに書いてありましたっけ?」
「いやいや。そうか。まだ見てないんだね」
「いえ。夕べ美馬さんちでお会いしたんですが……」
「会ったの!?」
スタッフはやたら驚く。
「はい。お酒をご一緒させていただきました」
「呑んだの!?一緒に!?」
「ええ、まあ、ちょっとだけ。あの、突発的に、偶然なんですけど……」
スタッフの驚き方に、美馬の家にご馳走になりに行ったとはなんとなく言いづらくなった。
「顔見たのにわかんなかったの!?」
「え?」
きょとんとする航を、ちょっとバカにしたようにスタッフが見始めた。
「天道さん、ニュースとか新聞とか見ないでしょ?ダメだよ~、いっぱしの社会人がそんなんじゃ」
「えー、読みますよ、新聞くらい。床屋で」
航は露骨にムッとしたが、そこらへんに載ってるくらい有名人なんだろうかとちょっと肝が冷えた。
後でググろうと思った。




