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「ご、ごはんとお酒は美味しく食べたり飲みたいよおおおお……!」
両腕を突き上げ、開け放たれた窓から大声で叫ぶ凛子の肩を、エイゼルは慰めるようにぽんと叩くだけに留まった。
「エイゼルううううう」
「おつかれ」
「冷たい!」
「だって俺なんも出来ないしな……頑張れ」
「がんばれ、る……自信ないっ!」
胃に穴が開いたら労災降りるのかなあ。
とエイゼルの知らぬ異世界語を呟く凛子の顔は、珍しく蒼褪めている。
ともに、どちらかというと巻き込まれ体質な二人だが、エイゼルの仕事内容は放浪時と現在とでは、大きな変化は無い。ずっと王都に縛り付けられていると多少の息苦しさは感じるものの、新しい環境で出会った人間達との関係性は割と気に入っていた。
珍しく、騒々しい音を立て、叡智の塔主の執務室の扉が開かれた。
やや乱れた衣は、あの長い階段を駆け上がってきたからだろうか。
基本的に王宮内で転送魔術の陣の類は特例時を除き使用出来ない。つまりエイゼルも凛子も、はたまた彼らの主も、毎日、何度も長い階段を上り下りしている。
「リィン……」
額にかかった髪を片手で避けながら、ラストゥーリャは殊更重々しくその第一声をあげた。
「トゥーリャさあああああああん!」
すっかり萎れていた凛子は、芽を吹き返したように立ち上がりラストゥーリャの胸へと飛び込む。
「お、落ち着きなさい。そういう行動がまた誤解を生むんです!」
賢者は、両手を突き出すようにして凛子を自分の身体から剥がす。
「ともかく、今から軍部に行って参ります。それまでこの部屋から出ないこと。いいですね?」
ぶんぶん力強く頷かれる頭に、ラストゥーリャは、随分と自分も彼女に信用される人間になったと思いつつ、「よろしい」とだけ返し、再び部屋を後にする。叡智の塔から軍本部までは、王宮の最東端と最西端。それぞれがそれぞれにとって一番遠い場所に位置していた。終業の刻限も迫っており、大聖堂帰りのラストゥーリャは、下級官吏の如く回廊を疾走せざるを得なかった。
結論から言おう。
あれから一刻以上経ち、すっかり世界が夜を迎えたころ、非常に疲れた様子のラストゥーリャが戻ってきた。
「リィン……署名しましたね? 公式辞令文書に……」
「へ?」
待ち疲れて、書架を背に床に座り込んでいた凛子は、ラストゥーリャの台詞に首を傾げた。
「写しを貰ってきました」
と、手渡された麗しい神聖文字の連なる一枚の書を、ぽかんと見つめる。
「なんじ りいん・かみーや は がくじゅつ、ちょう て、んもんいん」
「天文院天文官付き補佐官補佐より、王国軍本部 右将軍執務室付き秘書官へと配属の変更を推挙すると共に、アゼリアス聖王国 王国軍右将軍 ヴェイル・シェイル・ガーラント・エレ・ラ・アゼリアスの名に置いて、承認任命する。最後に貴女の署名付きです」
「署名……!? なんてしてない! お前ちゃんとした字書けるのかって挑発されたけど!」
そんな恐ろしい事が書かれているって判っていたら絶対サインなんてしない!
というか、怪しい書類どころか白紙だった!
あれを再利用して書類を作成したとしたら悪徳すぎる……!
公文書改竄レベルの詐欺である。
「残念ながら家柄は元より、この中央官庁において学術庁下の天文院長官より、王国軍右将軍の方が立場が上です。王国軍将軍位は学術庁長官と同等ですからね」
ラストゥーリャは、冷酷な事実を端的に告げる。
「推挙した本人が、承認任命する事も可能ですし、書類上はまったく問題ない」
「うそでしょ……」
公文書の写しが、絶望とともに床に落ちる。
午後から今の間迄、半日にも満たない時間で、未来の平穏を脅かす大事件が起ころうとは。
「せめてもの情けで、辞令の執行期日を祝祭週間明けに延長して貰いました」
「トゥーリャさん……私……生きていられるのかな……」
「物騒な事を言うものではありません。元々は友好的な関係だったでしょう。だ、大丈夫です、貴女なら出来ます」
「何でそこで、どもるのっ!?」
「死地へ赴くわけではありません。ここでも貴女は確りとその勤めを全うしています」
自信を持ちなさい。
慰めか判らない台詞で励ますよう床に落ちた書類を拾上げると、凛子の手元へと押しやる。
事の成り行きを見守っていたエイゼルが、おずおずと口にした。
「確か軍本部って、所属した最初の一年間は、全員軍官舎住まいじゃ……」
「軍官舎って……! トゥーリャさん家からじゃ駄目なの!?」
「確実な情報かは覚えてないんだけど、知人が軍本部に配属された時、そんな事話していたような」
「なっ……、それほんとですか? トゥーリャさん」
「そうですね……そういう軍規があったようななかったような」
「すごおおおく大事な情報ですよ!! ていうか秘書官ってそもそも軍人!?」
「軍の所属になるなら、そうなります」
「ひっ、どうしよ訓練みたいな研修とかあったら……秘書業務なら文官と同じような気もしないでもないけど!?」
自分の両頬に掌をあてたまま口を半開きにしていた凛子の思考は、どちらかというと逞しいものである、とエイゼルは妙な所で関心させられていた。
「ともかく――」
咳払いをし、ラストゥーリャは締め括る。
「所属が多少変わるだけで、貴女がこのアゼリアス国民となった事には変わりありません。以前お話していたように、いずれ独立し一人でも立っていけるようになるよう、今後も微細ながら助力はしていくつもりですから」
「お、俺も、同僚っていうか、もう腐れ縁の域まで来てると思うし?」
その日、シェイルによって持たされた災禍は、三人の連帯感的な感情を強めたようである。
「エイゼルっ! 私と定期的に会合を持つことを希望します! あと可能な限り休暇中は絶対絶対絶対トゥーリャさんの家に帰りたいです!」
祝祭週間中、多忙を極めていたにも関わらず、ラストゥーリャは同時刻同時使用することでしか発動できなかった情報転送の魔術具を、置手紙方式――いわゆるメール的な――へと改良し、凛子への餞として荷物に忍ばせてやった。
ただし所有者個別指定発動用としての開発までには至らなかった為、秘匿性はあまりない。




