四章 第20話 朝比奈尾道は岐路に立つ
夕方だというのに、夏の日差しがまだきつく照りつける。朝のニュースでは今年一番の暑さと言っていたし、当然のことなのかもしれない。
自転車を漕いでいる時は風が切り、暑さが和らぐが、信号で停まったりすると一気に汗が吹き出す。
単に今日訪れたカフェから家が遠いということもあるが、膳所との緊張の糸を張った交渉が終わったということもあって、疲れが一気に来る。
もうあんなのはこりごりだと思う。だがこれで終わりではない。ここから始まるのだ。まあ、それは帰って考えればいい。
代わりに今、俺の記憶が甦ってきた情景があった。それは先日、春野、片桐、安達と三人で作戦会議した時のことだ。
七時から始まったそれは結局、九時までかかってしまった。お腹も空いていただろうに、黙って話を聞いてくれ、意見を出してくれた三人には本当に頭が下がる思いだった。
その後は各々解散ということになり、春野と安達が仲良さそうに帰っていった。残された俺と片桐はなんとなくの流れで、共に帰ることになったのだ。
その夜は特に暑かった。そんな中でむさ苦しい男二人が、無言で帰宅の途につく。泣けてきそうな光景だった。
そんな中、片桐が口を開いた。
「お前もまた変なのに首を突っ込んでんだな」
「ほっとけ」
軽くあしらうが、片桐は言葉を続ける。
「まあ、今回は俺らの時とはちげぇみたいだがな」
「…………」
片桐はあっけからんとして言い放つ。
確かに片桐の言うとおり、スタンスは全然違う。片桐、安達の時は頼まれたから、助けただけだが、夜空に関しては頼まれなくても、助けたいのだから。
「星合夜空だっけ? まあ、一応知ってるさ。同じ中学校だったし。それがあったから、お前の口からその名前が出てきた時は驚いた」
「そうなのか」
俺も驚いて、思わず訊いてしまう。片桐は一つ頷くと、はっきりした口調で話す。
「ああ。クラスもちげぇし接点はねぇけど、皆がやつを褒めるし、男子なら一度は可愛いと思うもんなんじゃねぇの?」
「お前もか?」
「ん? まあ、そうなんじゃね?」
「……これ聞いたら、安達キレるぞ」
「その通りだな……。別に恋的なもんじゃねぇけど、後ろめたいから、内密に頼む」
厳かにそう告げる。まあ、その一言がなくても告げ口はしないさ。人の幸福を台無しするほど、サディスティックでもないからな。
「まあ、ともかくだ。そのくらい綺麗なやつだから、お前もまんまと利用されてるだけじゃないか、って思ったんだよ」
「利用ってまじか」
確かに第一印象に女王様っぽいとは思ったが、それは俺の勝手なイメージで、中学校の頃にそんな人を顎で使う一面があるとは思わなかった。
「あー。どちらかといえば、本人にその気があるか知らんが、男子が手足になってた感はあるな。無論、気に入られるためだが」
それを聞いて、安心した。もし夜空にそんな一面があったことを知ったら、俺は少なからず失望していたに違いないから。
「本人に人をパシる気があるなら、お前も利用されてるんじゃないかって、少し思ったんだよ」
最後に片桐はそうまとめる。
だが俺はその言葉にまったくと言っていいほど、心が揺れたりしなかった。
夜空はそんなことをしない。理由を訊かれても困るが、あえて答えるなら信頼。それ以上でもそれ以下でもない。
それを上手く言葉で伝えようとする。
「……まあ、大丈夫さ。あいつはそんな気なんて、さらさらないだろうし」
「話を聞く限りそうかもな」
夜空が精神的にキテいることは話から十分、分かるのだろう。
「だから、それはあんま心配しちゃいない。心配してるのはもう一つの方だ」
「もう一つの方?」
「それはほら。環さんだよ。告られたんだろ?」
「いや、まあ、そうだが……」
なんで突然、春野の話になるか分からない。どこに心配する要素があるのか。
片桐は筋道立てて、説明し始める。
「告白の返事は保留。にも関わらず、お前ときたら別の女を助けてる。内心、穏やかじゃないだろうな」
その言葉は確かに、間違っているようには思えなかった。しかし俺にも反論要素はある。
「いや……。あいつも夜空と友達で、助けたいって言ってたし、俺には協力してくれてるぞ」
「外面ではな。好きなお前の前で、嫌な顔はできないだろう?」
それは、その通りだ。ぐうの音も出ず、黙りこんでしまう。
「ま、これも全部、俺の推測だからな。真に受けてくれるなよ。だが……」
そこまで言って、片桐は俺の肩にポンと手を置く。表情はいつもなら決して見せない、引き締まったものだった。
「どっちかを選ぶなら、後悔はするなよ。同情もするな」
はあ、とため息が漏れる。片桐の言うことは、実に筋道が立っていた。
春野がそんな打算的なわけないと笑い飛ばしたいが、否定できないのも事実だ。
ついでに、いつ俺が夜空と春野で迷ってるとも言ったか。夜空が好きだなんて、一言も……。だがそれすらも笑い飛ばせなかった。
だから俺は考える。ひたすら考えるしかないのだ。何が正しく、後悔がない道なのかを。
自転車を漕ぎながら、そんなことを考えていると、ついには家に着いてしまう。まあ、簡単に答えが出てくるなら、そもそも迷いではないのだけれど。
今日は疲れた。ほとんど屍になりながら、玄関の扉に手をかけ、開ける。 迷わずして、自分の部屋へ行く。理由は一つだ。この男がいるからだ。
「お、尾道。おかえり」
俺の父親とされている人物、朝比奈岩国の能天気な声。
とりあえず一瞥はするものの、すぐに二階に上がりかける。母はリビングにはいない。もう寝たのだろうか。
ここで一つ思い付いたことがある。
……夕食を食っていない。疲れの一因はきっとこれだ。さすがに三大欲求には勝てず、一度父のいるリビングに入り、キッチンの方へ行き、適当に冷蔵庫の中を探る。
……おにぎりとか軽食でもあれば、いいのだが。
少し探っていると、焼きそばパンが一つ見つかった。これでいいか、とそれを掴むと、後ろから声をかかる。
「なんだ今からメシか」
それも当然、無視。だが父はそんなのお構い無しのようで、言葉を続ける。
「今日も帰ってくるの遅いし、なんだ? 最近、なんかやってんのか?」
それにも返す言葉などない。
だが何かしていることには勘づいているらしい。まあ、最近はバイトじゃなくても、頻繁に外出してるしな。怠け者の俺にしては珍しいということなのだろう。
「……女か?」
「はあ?」
急な話題。努めて返事はしまいとしていたが、これには思わず攻撃的な声が出てしまう。何が言いたいんだ、この男は。
「図星か。まあ、そんなことはいい。俺が言いたいことはただ一つ。――女のためなら命を懸けるくらい本気でやれ」
いつになく、シリアスな声でそいつは言う。表情を見ても、適当さは感じられない。きっとこの言葉はほんの道楽で言った、冗談ということはないのだろう。
その忠告もあながち、間違ってはいない。俺も元からそのつもりだったし。
けど。
母を捨てて、十数年も海外を流浪していたやつが言う言葉ではない。
俺はその言葉に何か返すでもなく、冷蔵庫の焼きそばパンを引ったくって、二階へ上がっていく。
何回か連続で男しか出てきませんね……。しかも今回は特に、めんどくさい男(尾道)、むさ苦しい男(片桐)、めんどくさくてむさ苦しい男(岩国)が中心となるので、読者様の体感温度が何度か上がりそうな気がします……。
次からはヒロイン達がバンバン出てきますので、少し爽やかになると思います!




