四章 第10話 朝比奈尾道の邂逅
誕生日会はつつがなく終わり、皆がめいめいに帰宅の途につく。
プレゼント渡しが終わった後も世間話をしていたらすっかり夜になってしまった。午後のそれなりに早い時間から始めたはずなのにこれとは、なんというか凄い熱中具合だ。
それでも夜までには終える予定だったので午後七時には別れの挨拶を済ませ、俺は自転車を漕ぎ出す。
夜風が生ぬるく頬を切っていく。この時期になると湿度も高く、しばらく漕ぐと汗も噴き出してきて心地悪い。
だが今日はそれが少しだけ緩和されたように感じられる。天候に関しては変わったことはない。ならばきっと誕生日会のことを考えているからだろう。
最近はジメジメした気候も続いていたし、気分的にも良くないことが多かった。なので誕生日会はいい気分転換になった。それは俺だけではなく、参加した人全員に言えることだろう。
周りの景色を眺めながら自転車を漕ぐ。
といっても周りは住宅街で代わり映えしない風景ばかりめにつくが、それでも今日はその風景で十分だと思える。
やがて家に着く。自転車を車庫で駐輪する。ちなみに母親は自動車を持っていないので、この車庫は完全に俺の自転車専用だ。
「ただいま」
「おかえり~」
俺が短く帰宅を告げるといつも通り母親のゆるーいレスポンスが返ってくる。だが声音はいつもより弾んでいるように聞こえた。
「母さん、何かいいことでも…………ん?」
知らない人がいる。いや別に記憶喪失したとかじゃなく。
後ろ姿しか見えないが体格はよさそうで、半袖から覗く腕は浅黒い。髪は思いっきり刈り上げられており、屈強な戦士そのものという感じの男性が居心地よさそうにソファを占領している。
それに思わず間抜けな声が漏れる。だが次の瞬間、芽生えたのは危険に対する防衛本能。
知らない男が家に居座っている。これはもう呑気な強盗にしか感じない。体内の警告信号が痛いくらいに鳴っている。
「おう。帰ってきたか、尾道」
その男が俺の名を呼びながら振り向く。なぜ知っているという疑問が頭で駆け巡る。
口元には余裕そうな笑みを湛える。その様子は誰かに似ていた。というか顔自体が凄く誰かに似ていた。
「……誰っすか」
本当なら先制攻撃で追い払いたいところだが、侵入者があまりに飄々としていて、屈強そうなので手が出せない。ぶっきらぼうな言い方にもなる。
「そうかあ、覚えてねぇか。まあそうだよな。俺は朝比奈岩国だ。久しぶりだな」
「……誰っすか」
もう一度繰り返して言うが、あまりにも声が小さく相手は聞こえなかったようで握手を求めてくる。俺は咄嗟にその手を軽く払う。一瞬、相手の口元の笑みが消えた気がした。
「誰ってあなたのお父さんだよ、尾道」
ダイニングキッチンからこちらへ来ながら、母親が呑気な声でカミングアウトする。その声音に何度救われたかは分からないが、今日だけはその何も感じてない風な態度に苛立ちを覚える。
本当はこんなこと、すぐに分かっていたのに。顔が似ているとか声の調子が似ているとか名字が朝比奈なんていう珍しい名字とかから分かったわけではない。
第六感に近い、この場合なら血が繋がっている者同士のシンパシーがヒントだったといえるかもしれない。とにかくそんな論理が一切通用しない領域で確信にも似た答えを得たのだ。
「お父さんっていうけど……外国にいるはずじゃ」
「つい先日までな。あっちでも一区切りついて帰国したんだ」
「帰国って何年ぶりだよ……」
少なくとも俺が物心ついた時に父親という存在はなかった。ごく自然に母子家庭であることを理解していた。
「お前が今、16で産まれてからすぐにリオデジャネイロに飛んだからな。かれこれ日本には15年は帰ってないな。今じゃ日本語の方が使いづらいくらいだ」
それに返す言葉はない。だいたい家族といえども俺の記憶では初対面だ。他人に近い人間に一々ツッコミを入れる義理などどこにもない。
「母さんは帰国すること知ってたの?」
「知らなかったよ、今日の朝までは。急に公衆電話で帰るって伝えられた感じかな」
「それで家に招いたの?」
「まあね。ホテルじゃ可哀想だし、だいたいこんな急なのは慣れっこだから」
やはりずれている。母親も母親でこの男との再会は15年ぶりのはずだ。面識があるとはいえ、このくらい期間が空けば家に上げるのにも抵抗感があってもおかしくないはずなのに至って飄々としている。
その余りに両親が自然に受け入れてしまっていることに俺は戸惑う。一生埋まらないと思っていた穴が急に埋まる感じ。それに酷い違和感を覚える。
「……それでこれからここに住むのか?」
父親、である人間に問う。少し口調が厳しくなったかもしれない。
「それは保留だな。すぐに海外に飛べって言われるかもしんねぇし、国内にいるならそこで仕事しろって言われるかもしんねぇ。ま、全て上次第ってことだ」
あっけからんとして言う。この完全に他人任せな感じも俺に似ている。いや俺が似ているのだ。
だが厄介なことになった。ここで去就を決めてくれるならどうにか対応できる。すぐいなくなるなら無視、ずっといるなら譲歩など。だが保留にされてはどうしていいか分からない。
「とにかくよろしくってことだ」
再び手を差し出してくる。先ほどは拒絶したのに凄い勇気だ。いやただ鈍感なだけなのかもしれない。そして俺は繊細だった。
「……少し外出るわ」
ポツリと呟く。父は少なくとも表情を崩すことはなかった。
俺はその手を前にして駆け出していく。一瞬、母が名前を呼んだ気がしたが、それには振り向かず逃げるように玄関を飛び出す。
どのくらい走っただろうか。熱帯夜の嫌な空気感が肌に張り付く。汗が滴り落ちるが、夜風はそれを冷やしてくれはしない。
息が上がり途中で走ることをやめる。どこかに行きたいと思い、ここまで来たのだが本当にどこに来たのか分からない。はあ、と一つため息を吐いて歩き始める。
何も持たずに出てきてしまった。財布ももちろんないので喉が渇いているのにジュース一つ買えない。
それに加えて特に行くあてもない。このままなら家出ということになるのだろう。補導とかになると色々と面倒だ。
「学校に連絡入れるよ」と言われた日にはどう話せばいいんだ……。感情が全く隠れていないひきつり笑いを浮かべるのだろうか……。
考えれば考えるほど憂鬱になる。ずっと夜空親子の問題さえ見ておけばいいと思っていたのに、更に募った自分の親子問題。はっきり言ってキャパオーバーだ。
しかもこの二つの問題点は問題が問題として正面から捉えられていないことだ。どこか仕方ない、もしくはおかしくないとまで思っている節がある。
問題意識が備わっているのは被害者だけだ。加害者には自覚がない。それどころか自覚なしをいいことにズカズカと被害者の心を侵食していく。
そんなふてぶてしい態度を見るとある一つの思いが身体中を支配する。
こんな親子問題で悩むことの方がおかしいのか、と。
やがてその歩みも止まってしまう。街灯の元で照らされる表情はどうなっているだろう。多分、酷い顔になってるに違いない。見られたくはねぇな。
そこでふと顔を上げる。目が合う。一瞬、目を逸らしかけるが、結果として逸らせない。
そこにいたのは星合夜空だった。闇の中で表情は窺い知れないが、街灯の光が流麗な銀髪に当たり、輝きを増している。それは夢の景色のようだった。
「夜空……」
「あら朝比奈くん、こんな所で奇遇ね」
夜空は口元を緩め、薄く笑う。いつもの、紛れもなくいつもの夜空の表情だった。
尾道の父親は当初登場予定はなく、既に亡くなってるという設定でした。そんな彼がこうして尾道の心を掻き乱す。なんか感慨深いです。




