三章 第3話 環春野に手作りコーヒーを
日常が戻ってきた。俺はカフェ「三ツ星」の店内を見て、ふと思う。けどそれは日常ではなく、非日常であることに気づくまで数秒かかり、何かの洗脳にかかっている気分だ。
俺の日常は言わずもがな家でゴロゴロすることだ。それなりに真面目に働くなんて一年前ではとても考えられないことだ。まあ、一年前なら学校を不登校になるのも考えていなかっただろうが。
だがこの景色も日常に思うくらいには、通ったということか。
「下らないこと考えてないで、手を動かしなさい」
「待て。いつ俺が下らないことを考えてると思った? 今は割といいこと考えてたぞ」
「知らないわよ。ただの確率論なのだから。あなたは99%下らないことを考えてるわよ」
「ほとんどの人がそうだろ。基本的には『なんか食べたいなー』とか『あいつ、俺のこと好きなんじゃ』とか本能と何も変わらないことばっかだろ」
むしろ俺は言動の一つ一つにも裏を探そうとするし、世の中の間違ったことを是正する方法も考える。それが無駄か? ……ちょっと無駄な気がしてきた。
「あなた以外は99%、有益なことを考えてるわ」
「俺一人を陥れるために人類を美化するなよ……」
こいつどんだけ必死なの? これがプラスのことならまだしも、マイナスのために虚言を吐くなんて考えられねぇ。
「それより手を動かすたって、何もすることねぇんだよ」
週末で客入りはまあまあだが、なにせコーヒー以外を頼む人が少ない。バリスタの資格を持ってない俺がわざわざでしゃばるのもおかしい話なので、こうしているわけだがそれを咎めるなんて……。
「もっと頑張りなさいよ、もっと」
「曖昧すぎる……。俺にどんだけ仕事させたいんだ」
これは逆に俺に対してすごい期待を懸けてるんじゃないか? 何か才能を開花させるための。そんなわけあるか、です。
ただ単に俺をストレスの捌け口にしてるだけだ。
そこから軽い言い合いをしていると、扉の鈴が鳴る。くそ、夜空め、俺の休み時間を邪魔しやがって……。
「いらっしゃいませー」
言い慣れた言葉を入ってきた客にかけるが、それは見知った人物だった。
「やあやあ、尾道くん、仕事してる?」
「春野……」
思わず名前が口をつく。入ってきた客は環春野。俺の元同級生だ。黒髪のショートに小動物っぽい雰囲気。下手したら子供に見えるかもしれない。
だがしっかり化粧をしているし、服装は上も下も寒色系で幾分か大人っぽく見える。多分、意図的なんだろな……。
「春野さん、見ての通り、この男はサボっているわよ」
「感心しませんなー、尾道くん」
「見ればわかるだろ。仕事してんじゃねぇか……」
むしろ「いらっしゃいませ」言ったの俺だけっすよ。夜空さん言えよ……。
前までとは違う変化だが、夜空と春野は親睦を深めている。話を聞くところによると、俺がカフェ「三ツ星」に通ってない期間でも、春野はそれなりに行ってたらしい。
けどこうして遭遇するのは初めてだ。そしてわかったこと。二人が一緒にいると、かなりウザイ。
春野はカウンターに座る。なんでそこなんだよ、と思いかけるが一人客なら当然か。
「ええっと、ホットコーヒーとアップルパイ」
春野が注文をする。それを聞いて夜空が動き出す。俺もアップルパイの準備をし始める。マニュアル化された動きだ。だがそれを春野は手で制す。
「それって逆にすることできない?」
「は? 何言ってんだ?」
そもそもこれは出来るか出来ないかの話じゃない。これは役割なのだ。今更逆になんて……。
「いいわよ、今回だけはね」
夜空がいつも通りの声音で返す。そして俺がしていたアップルパイの準備を奪い始める。
「ちょっと、夜空さん? 甘すぎやしませんか、これ」
なのに俺に対して厳しいという矛盾。これが差別か……。
「一回、尾道くんのコーヒー、飲んでみたかったんだよねー」
春野がそんな能天気な声が響く。
はあ……。こう言われたらもうどうすることも出来ないな……。
仕方なくコーヒーを作る準備を始める。
「ていうか、なんで俺のコーヒーなんだよ。夜空のやつは言いたきゃねぇけど絶品だぞ」
「確かにねー。あんなの簡単には出会えない。でもたまには、へたっぴなのも飲みたいんだよ」
「お前、酷いな……」
飲ませてやるんだから、ちょっとくらいお世辞使ってくれよ。
だが春野はコーヒーを飲むだけで、銘柄を当てれるくらいにはコーヒーが好きで、そして厳しいのだ。
はあ、とため息を吐きながらも、手だけは繊細な動きでコーヒーをドリップしていく。夜空の罵倒が飛んでこないから楽だなー。
「できたわよ」
先に夜空のアップルパイが完成したらしい。早いな、こいつ……。
「わー! おいしそう!」
春野は歓声を上げる。俺もちらとそれを見るが、確かに出来がいい。俺よりも何倍も。
「完璧すぎんだろ、お前」
「無駄口叩いてないで、さっさと作りなさい。相手は客よ、悪評ばらまかれたら××するから」
××ってなんだよ……。怖い。そのせいで何も話せなくなってしまう。
「ほらよ」
静かなおかげで集中でき、割とよく出来たと思われるコーヒーを春野に渡す。
春野はそれをじっくりと眺めたあと、おもむろにコーヒーの香りを楽しみだす。おいおい、ガチじゃん。もっと適当にやろうよお……。
春野はやっとのことで、コーヒーを飲み始める。長かったなあ、これ。
「うーん。香りはいいんだけど、苦い。あんまりかなあ」
おっと採点ですか。そういうのは別にしていいけど、緩めにやるもんだぜ。
「コーヒーは苦くて当然だろ。それにケチつけんな」
すると片目を瞑り指を振って、ちっちっちっと言う。うぜぇなこいつ……。
「そうじゃないんですなあ~。いいコーヒーっていうのは苦味もあるけど、それだけじゃない旨味があるの。君のはただ苦いだけだよ」
隣で瞑目しながら、パチパチと夜空が拍手している。くそ、揃いに揃ってウザすぎだろ。
「しゃあねぇだろ、そんなに練習してる訳じゃないし」
「じゃたあなたは練習時間さえあれば、上手くなるの?」
間髪入れずに夜空が返す。ふっ、言わずもがなだな。
「練習するわけないだろ」
これまた素早い返し。するわけがない。練習時間に割くくらいなら俺は昼寝する。こんなことをわかっていただろうに……。
そう思いながら二人を見ると、ため息をつき呆れている。どうやらお二人もわかっていたらしい。なんだそれ、悲しいだろ……。
「あ、でもでも意外にいけるよ! なんか心がこもってるって感じする!」
「俺がどんな思いで作ったか聞きたいか?」
「いえ、いいです……」
春野がすごすごと引き下がる。
だろう? 心とかっていうのは結局、ただの主観だ。自分と相手の格差が最もあるもので、解釈のしようでどうにでもなる。
心というのが難しいのにはこういう理由があるのだ。だが裏を返せば一番簡単だ。自分が勝手にその感情を設定してしまえばいいのだから。
とにかく俺がコーヒーに心込めて作るはずもない。
「朝比奈くん。とりあえずそれは訓練しましょう。カフェ店員がコーヒー一つ淹れられないのは問題ありだわ」
「コーヒーならお前らがやればよくね? しかも俺、バイトだし」
ギロリと睨まれる。どうやら夜空的にはノーらしい。言うほど間違ってないと思うけどな……。
たははと春野は笑っている。おい、どうにかしてくれよ、こいつ。俺が過労死しちゃうよ。
「まあ、頑張っていこうよ」
役に立たねぇ。励ましとか意味ないだろ。
そこで気づく。ひょっとしたら夜空が簡単に引かない性格は、既に理解しているのかもしれない。だから助けてくれないんだな。
俺が軽くため息を吐き、会話が途切れる。
それは何か都合が悪い訳ではなく、なんとなくそうなった。まあ、それを苦痛には思わないからいいや。
だがその空間でさえも突き破ってくる人物がいる。
「イベントを開こう!」
いきなり店内に入ってきた流成さんを見て、誰もがポカンとなる。
え、空気感……。ホントどうすんすか……。もう復旧不可能だよ……。
三章の準主人公は言わずもがな環春野です。春野というキャラは作者のお気に入りなので、この章では大暴れしてもらう予定です。どうぞよろしく。




