三章 第1話 朝比奈尾道は再来する
俺は慣れたはずの道を自転車で突き進む。だが久しぶりでどうも道に迷う。やはり慣れたはずなだけで少し経てば、その感覚は消え去るものだ。
そうこうしてるうちに全く知らない場所に来てしまい、焦る。ただ三ヶ月ぶりなだけなんだけどなあ……。労働したくない精神が足を鈍らせているのかもしれない。
……嘘だな。間違いなくカフェ「三ツ星」に戻りたくないだけだ。より詳しく言うなら、流成さんや夜空に顔を会わせづらいのだ。もう嘘を憑くのはやめよう。
「でもなあ……」
それでも足は動かない。仕方なく迷った縁だと思い、その辺りを散策する。別に仕事をする訳ではないので、少し遅れても問題はないのだ。
自転車を押しながらふらついていると、川沿いの桜並木が見えてくる。まだ桜が開花している訳ではないので、いささか地味ではある。
まあ休むにはいいところなので、土手の方に行き、腰を下ろす。
といっても何もすることがない。今日の目的はサイクリングやここで一服することではないのだから。
暇潰しは得意なので、こうしていても不思議と飽きない。それどころか学校で更なる暇潰しスキルを磨いた。もはやこんな暇では俺を手持ち無沙汰にすることなど不可能だ。
ほらこうしてる間にも川は流れ、草木は風により揺らされ、人々が行き交う。それだけで俺の心は満たされる。
学校を辞めてから既に二週間が経ち、後は桜でも咲けばすっかり春だと言える。
風も草木も俺が前に感じた時とはまるで違っていた。というのは俺が学校を辞めてからずっと家に引きこもっていたからに違いない。地味に外出は二週間ぶりだ。
自転車もこんだけスパンがあると、どうも疲れる。いっそこのまま帰っちまおうかな……。そんな思いがよぎる。
だが思い直して腰を上げる。休憩も済んだし、そろそろ出発しよう。
なんとかカフェ「三ツ星」までの道に戻り、やがて目的地に着いた。
始めはいきなり顔を会わせるのが嫌で、裏口から入ることを考えたが、今まで休んでたやつがそれをするのは不審者感MAXすぎてやめた。
先に店に連絡していれば、こんな気まずい思いをせずに済んだのに。だが先に連絡するのも気まずかったのだから仕方ない。
堂々と正面から入ることにする。なあに、ただの客として自然に入ればいい。いきなり殴りかかられることもないのだ。……ないはずですよね、夜空さん?
扉を開けるとチリンチリンと鈴が鳴る。
中を見ると、誰も客はおらず流成さんと夜空の二人しかいなかった。それなりに繁盛してるここでは珍しいことだ。
むしろ好都合だ。あまり聞かれていい話ではない。
鈴が鳴り終わると静寂が訪れる。静謐なのではない。言葉を失った不自然な静寂だった。
「…………」
誰も口を開けない。なのにお互いを見合う時間が続く。周りから見たら異様だろう。誰もいなくて本当によかった。
しかしこのせいで音が戻らない。口を開いては閉じる。そんな状況。音が消えたのかな?
「……おかえり!」
流成さんが一足先に、縛りが解けたのか俺に声をかける。若干、この声量は空間に合ってない気もするが、そのおかげで話しやすくなった。
「ただいまっす……」
何とかこう返すと流成さんは笑顔を湛える。それが無理矢理な感じがして少し罪悪感が湧く。
「学校は春休みかい?」
「まあ、そうっすけど、学校辞めたんで……」
一瞬だけ流成さんは足元に目を向けた。しかしすぐに向き直って
「ああ……そうか、そうか……」
また笑顔。先ほどより力がなくなってきている。当然のことだ。
「でも流成さん、俺は本当の自分を見つけましたよ。学校にもう後悔はありません」
俺はこれを言いたかったのだ。あの電話の答えを俺は見つけてきた。それを流成さんに伝えるために今日は来たと言っていい。
「……! それはよかったよ、本当に」
今日一番の笑顔を見た。やはり流成さんにとってはそれが気がかりで、それを克服することが嬉しいことらしい。
春だというのに冷え冷えした空気感も少しは緩まり、穏やかな空気が流れる。
だがそんな中で沈黙を貫き通すのは星合夜空。口を一文字に結び、ただ俺たちのやりとりを眺めるだけだ。
「今日はそのことを報告に?」
それには流成さんは取り合わずそのまま話を進める。いや単純にマイペースなだけかな……。久しぶりすぎて、その感覚も忘れてしまった。
「いえ、今日は頼みがあって来ました」
俺は厳かに告げる。もう前とは違う。俺は頭を下げて言う。
「もう一度、カフェ『三ツ星』で働かせてください」
それは長い時間だった。返答がなかったからなのか、俺の礼が長いのか、流成さんらが考えあぐねているのかわからない。だが大切な時間であることは間違いない。
「それは本当かい……?」
恐る恐る流成が聞いてくるのがわかる。多分、二番煎じはもう嫌なのだろう。
俺は流成さんの「本当」が何を指し示すのか考える。俺がもう一度働くことに驚いているのか、本当にこれが正しいことなのか思ってくれていかなどがあると思う。
でも俺の返答には何も影響ないことだ。俺は毅然として言う。
「本当です。もう決めたことです」
「そっか……。うん、いいと思うよ、僕はね……」
許可が下りたようだ。それでも口を開かない御仁がいる。彼女は少し前は俺を眺めている程度だったのに、今は睨めつけているように感じる。
「分かってると思うけど、尾道くん、この店は僕だけのものじゃない。だから……何が言いたいか分かるでしょ?」
流成さんは諭すように言う。間違いない。この店は誰か一人で作り上げたものではない。ある意味、結晶なのだ。流成さんと、夜空の。
「もちろん分かっています」
流成さんは俺の言葉に頷く。するとくるりと背中を向け、そのまま従業員控え室の方まで行く。
残されたのは俺と夜空。気まずい沈黙だ。
会話というのはつくづく磁石のようだと思う。S極とN極のように話しかける人と話しかけられる人がいて、初めてコミュニケーションが生まれる。
同じような役割を持った人間だと反発しあうのだ。話しかける人が集まると会話が渋滞を起こし、話しかけられる人が集まるとお互いに無口になる。それはコミュニケーションの停滞につながる。
俺たちは明らかに後者のタイプだ。まあどっちも話しかけられるタイプでもないけどね……。
とにかく話しかけないということでは一致している。ならその答えは静寂だ。
けど今日は俺が譲ることにするか。そもそも俺が夜空と少し話したかったのだ。なのに口を閉じたのは、まあアレだ。恥ずかしいのだ、ちょっと。
「まあ、とにかく座ろうぜ、立ち話は疲れる」
夜空はまたもや黙って、俺が指定した席に座る。なんなのこいつ、俺がいない間に我輩の辞書から言葉が消えたの?
そこでやっと気づく。こいつは怒っているのだ。俺が勝手にバイトを辞めたことに。それにようやく気づいたことに俺はまた恥ずかしくなる。ならば俺は。
「夜空、本当に悪かった。だから話を聞いてくれないか?」
俺はもう一度、頭を下げる。もはや俺にはこうするしか対話の機会を与えられない。でもそれで対話してくれるなら何度でも頭を下げるさ。
それをどう感じ取ったのかどうかわからないが、夜空はやっと口を開く。
「もう、いいわ。意地張るのも疲れたわ、あなたじゃないけど」
「……お前らしいな」
「あなたはらしくないわよ」
ごもっとも。こんなに素直な俺はSSRだぜ? もっと丁寧に扱え。
その会話の中で夜空は瞑目している。考え事だろう。その考えがまとまったのか目を俺へ向ける。その時、息を吐いたのを俺は見逃さなかった。
「少しくらいなら聞いてあげる。でも不備が僅かでもあったら帰らせるから」
「それでいい。お前は厳しいから、それは正しい」
ふっと夜空が笑った、気がした。そのおかげで幾分か話しやすくなる。
それでも俺は緊張の中、口を開く。
「まずお前に謝ることがあってきた」
ついに三章開始です! 三章は実はこの小説を書くにあたって一番早く思い付いた章で、だからこそ思い入れも強いです。是非、楽しんで頂けると幸いです!




