二章 第26話 朝比奈尾道への手紙
やはりと言うべきか、吉野先生から依頼を受け、春野と電話した夜は眠れる気がしなかった。
テストで体は疲れているはずなのにだ。……ちょっと気分を変えるか。あまり居たくはないのだがリビングで寝ることにしよう。
とりあえず部屋を出て、階段を降りていく。だがその間にも先ほどの電話の内容が反芻する。片桐の不安と春野の哀愁を帯びた声が頭の中で鳴り響く。
これじゃあんまりリビングでも変わらんか。そんなことをすぐに直感する。
だがここまで来て帰るのも面倒だと思い、リビングの扉を開く。そこで照明独特の青白い光が目に入ってくる。
「なんだ、起きてたのか」
思わず声が漏れる。扉の先にはソファに腰掛け、何か読み込んでいる母、朝比奈出雲がいた。
「そっちこそね。早く寝た方がいいよ。お肌が荒れちゃう」
「どうでもいいよ。それより母さんの方だろ。肌が荒れて困るのは。無駄な若作りしてるし」
どうにかしてくれないかな。リビングの化粧品やらダイエットグッズ。美容侵略が怖い。
「無駄じゃないの。効果あるし」
そうかなあ……。効果はあるのかもしれんが、色んなものの使いすぎで肝心な何による効果なのかがわからない。
「それより何読んでんだ?」
母が持ったままのものを指差す。
いつもリビングで読んでいるような雑誌じゃない。ペラペラな紙を一枚持っている。
「そうだ。尾道にもあるんだ。ほい」
「いや、答えになって……」
俺の非難は母から飛来した何かで遮られる。それを受け取るとやっとその正体がわかる。
「便箋……手紙か」
言ってから本当にそうなのかという疑問が湧く。赤、青、緑、黄、紫などなど。コンセプトも統一感もまるでない配色だ。
手紙にしてはデザインが華美、いやなんか胸焼けするような派手さだ。これが好きな人は感性を疑うレベル。
「で、これは誰からなの?」
手紙で大切なのは送り主だろう。女子なら「参ったな……あちゃー」とにやけながら言うのだが、手紙かっけぇとか思ってる気取った男なら開きたくもない。
「それは開けてからのお楽しみ♪」
なんかさっきから言い方が微妙に若くていらっとする。なんでそんなあばずれた言い方なんだよ……。
この調子じゃ何も言ってくれないだろう。手紙を開けてしまった方が早いな。
ダイニングの椅子に腰掛け、手紙を開封する。そこには力強い筆跡で書かれている。字のうまさは……お察しください。
尾道へ
まず拝啓とか時候の挨拶などはいらんだろう。よそよそしい言葉など俺は嫌いだし、なんならお前だって嫌いに決まっている。そもそも外国ではこんなはっきりとしない言葉は使わない。
ああ、そうだ。今はタイのバンコクにいる。知ってるか。バンコクの正式名称はとても長いことを。まあ、それだけだ。ここに書く気力もない。
バンコクは言うほど悪くない。まず治安がいいしな。だが暑い。やはり熱帯には人はいるべきではない。暑さと湿気は人類の永遠の敵だ。
ここで俺は一旦、手紙を机に置く。見覚えというか、このどうしようもない感じは何か知っている。だから嫌な予感がするのだ。
「で、これは誰からなの?」
「最後まで読んだ?」
読んではないが、読む気力がない。仕方なく最後だけ見る。そこにはやはり力強い字で名前が書かれていた。
岩国より
「この岩国って人が差出人か」
「そうそう」
「で、誰?」
さっきから訊いてるのにはぐらかしてる質問。おそらく無意識にそうしてるから、質が悪い。
「あれ? ああ、そっか。その人はあなたのお父さんよ」
「は?」
思わず耳を疑う。訊きたいことは色々ある。だが心の整理がつかず、何から訊けばいいのかわからない。
父親は行方不明とは聞いたことがある。だがこうしてのこのこと手紙を送ってくるのはどうも納得いかない。しかも今、バンコクって……。外国で何してんの?
「まじクレイジーだ……」
「でしょ~」
嬉しそうに母は返すが、別に褒めていない。
そこでやっとわかった。俺がどうしてどうしようもないクズでひねくれているのか。これは間違いなく遺伝だな……。
母親がマイペースな人間だとしても、父親がこれじゃ中和されて当然だ。むしろ父親の遺伝子が強すぎる。
「ていうか前、父親は行方不明って言ってなかったっけ……」
何から何までわからず辟易した声しかでない。こういう告白ってもうちょっとデリケートなんじゃないの……?
「? 行方不明ってかっこよくない? 岩国さんもそれがいいって言ってたし」
この両親は……。朝比奈家は比較的標準な母子家庭かと思っていた。だが違う。この家はちょっとずれている。……ちょっとか? そもそもおかしい点はたくさんあるのだ。
母子家庭なのにローンを組んだ一軒家で生活しているし。それで特に金銭面で困った様子もない。母は父親がいなくても、悲しんだことはないし。それに対して俺の負担かけたことはない。
何より母子家庭の息子がニートでも、どうにかなってるあたりが朝比奈家のヤバさを一番、表してると思う。
「知りたくなかったなあ……こんな事実」
世の中、知らない方がいいこともある。家族のこととなればそれは尚更、知らない方がいいことだってあるだろう。
それをいとも簡単にばらす母親に頭を抱える。ていうか父親は行方不明ってオチつけてるのに、それを覆すとかあり得ないわ……。
「言うほど知りたくないかなあ~。噂とか学生大好きじゃん」
「俺はそもそも学生ぽくないからな」
確かに学生は噂大好きだ。噂を多く保有してるものが、学内では一目置かれる存在になるし、同時に情報戦が優位に進められることから恐怖の対象にもなる。
だがそれは噂という類いのものに興味がある者に限定される。俺は噂に興味はない。そんなあることないこと吹き込まれてもどうしようもないしな。
噂なんて気にしてたら俺は春野を救えなかっただろう。だから俺はそれに後悔はしていない。
「最近は学生らしいけどね。ちゃんと学校行ってるじゃん」
行ってるは行ってるがモチベーションは低い。授業は半分、聞き流してるし、部活などもせずに直帰。たまに遅刻もする。
「ま、まあな」
だがそんなことは言わなくていいだろう。前と比べれば大きな進歩だし、ここで悲しませる必要もない。
「ふふふ。感心感心」
その笑顔を見ると、ちくりと胸を刺す感じがする。留年確定ってことちゃんとわかってるか不安になる。いつ言い出せばいいだろう……。
「まあ眠くなってきたし、もう上行くわ」
色んなことにばつが悪くなって、早々に退散しようとする。これじゃまた眠れなくなるだろうが、この際仕方がない。
「はい。おやすみ~。頑張ってね!」
「何をだよ……」
頑張ってって明日、土曜日なんすけど……。何、ゴロゴロするの頑張れとか? 猫かよ。
だが少し救われた気はした。ただそれだけ。
階段を上がる途中、無意識に握られたものを気づく。
「ああ、ミスったな……」
貰ってもどうすればいいかわからない手紙を見て、ため息をつきながら言う。
やっと判明した父親。この事実をどうやって扱っていいかわからない。
会ったことも顔も見たこともない人間に好意など持てるはずもないし、だからといって母が何も感じていないことから悪意も持てない。こっぴどく振ったならまだしも、そういうこともなさそうだ。
感情をもて余すような性格でないのは、俺がよく知っている。迷わないのではなく、そもそも悩みが少ないのだ。そういうのは回避してきたから。
しかし今回は回避できない。不意討ちで先制攻撃だった。だから俺が何をしていいのかよくわからない。
感情がぐるぐると渦巻いたまま部屋にたどり着く。とにかく横になりたい気分だった。バフッとベッドに体を預ける。
そういえばまだ最後まで手紙を読んでいないことに気づく。せっかく貰ったのだし、読んでおくか。
前置きはここらへんにしておこう。別にこの部分は読み飛ばしもらっても構わない。だがここからが本題だ。
といっても言うことは一つしかない。顔も見たこともない父親の言うことなんて塵に等しいしな。だがお前にこれだけは守ってほしい。
自分の思う通りにやれ。周りなど気にするな。いつだって大切なのはエゴだ。周囲の人間など枷だと思え。
以上だ。さらば。
岩国より
ここまで酷い手紙も見たことがない。一つとか言っておきながら四つ言ってるし。
親としてのアドバイスでこれは如何なものか。普通は協力することが大切とか説くはずなのに。
だが俺にはこっちの方があってるかもしれない。元々、協力などして来なかった人間なのだ。ここで協力しろと言われても到底、受け入れられない。
そういった意味ではやはり親子なのだと思う。認めたくはないが、考えは似ている。
ずっと考えていた。安達は誰のために救うのか。
ずっと思っていた。安達、春野、片桐、夜空のためにやっていると。
だから彼ら彼女らが助けを拒否すれば、俺はどうすることもできない。実際、それがあったがために何もできなかった訳で。
理由を他人に求める。それこそ俺が嫌いだったはずのものだ。いつからそんなことをするようになってしまったのか。
心境の変化はたまに昔に大事だったものを忘れさせてしまう。
大切なのは自分がどう思い、何がしたいかだ。だがそれは春野のいう一人でやることではない。
俺は何がしたいのかやっとたどり着く。
安達を救い、自分の周囲の人間に苦しさを味わわせない。そのために俺はやるのだ。
今回で朝比奈家の家族が出揃いました。名前が尾道、出雲、岩国と何やら中国地方に関係していますが、作者との関係は……。
全くありません。行ったこともないです。でも書いてるうちに行ってみたいなと思うようになりました。