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第十話  水宝石の口づけ



 ザッカルディア王国の地形は、日本でいう「盆地」に相当する。

 夏は暑く、冬は寒い。四季を感じるという点でいうならば非常に理に適った気候になっており、その恩恵により果物を始めとした様々な作物などが豊富に育つという利点すら生まれている。

 しかしながら、下手をするとその気候がアダとなり、体調を崩してしまうこともある。



     ♢♦



 フランチェスカがその異変に気が付いたのは、目の前が刹那の暗闇に包まれてからだった。


(あ、れ……?)


 立ち眩みと同じような気持ちの悪さと視界の霞み。頭に十二分に酸素が行き渡っていない事実と、腹の中に納まっている物をぶちまけたくなるせり上がりの感覚。――所謂、吐き気と呼ばれるそれをどうして自分が抱いているのか、フランチェスカには分からなかった。


(昨日はちゃんと寝たし、変な物も食べてない。夕飯はちょっと少なかったかなってぐらいだけど、いつものことだし……っていうか、そもそも私、今日ご飯食べたっけ……?)


 思い返すは自分の行動。‘体調管理も仕事のうち’という雇い主であるビオーニ夫婦の自論の元、フランチェスカも自らの体調には自我と記憶を持ち始めた頃から気を付けていたつもりだ。

 しかし、今日という日は何故か教師に用事を頼まれ、司書のダニエルから新しい書籍の搬入と分類作業の手伝いを行い、つい先ほどの昼休みは最近は沈静化していたテオドアの襲撃を受けて隠れながら新しいメニューの改良を考えていたのだ。

 あれ? と、冷や汗に似た何かが米神と背中を滴り落ちる。

 授業中の飲食禁止は勿論の事。よくよく自らの行動を思い返してみると、物を腹に収めるどころか飲み物の一滴すら口にしていないという事実に気が付く。

 そして思い出すは、カメリアとの朝の会話。


(そう言えば……今日は、陽射しが一番強くなるから、熱中症に気を付けようねって言ってたなぁ……)


 ぐらり。重心が傾き、重力に従ってフランチェスカの身体が地面へと向かう。フランチェスカ自身が不調を自覚した事で更に身体に力が入らなくなってしまったため、立て直すことは出来ない。


(あとでカメリアに怒られるだろうなぁ……)


 その気持ちを最後に、フランチェスカは気を失った。



     ♢♦



 ふと、目が覚める。

 真っ白な天井に映る光と影。薬品の独特な匂い。音一つ存在しない世界。身体に掛かる奇妙な重み。ここが保健室であることに気が付くまで、数秒の時間を有した。

 気怠い身体を無理矢理に起こし、鈍い痛みに米神を押さえる。


(ぶっ倒れて保健室は一般的だけど……いざ自分の身に起こると、ラノベかよって思うよ……)


 痛みに耐えてながら唸り声を上げていると、視界の片隅に小さな光が煌めき始める。


《フラン!》


 その光の近くから聞こえた鈴の音のような声。――カメリアだ。

 カメリアがふわりとフランチェスカへと近づき、白い布団の上へと座り心配そうにこちらを見上げる。


「カメリア……私……」

《保険医? っていう人の話だと、脱水状態に陥っていたらしいんですって。多分、フランの言う熱中症? ってやつだと思うのだけれど……》

「……あとは貧血、かなぁ……」


 ははは、と乾いた笑いが室内を満たす。そこでここが保健室であるという事を思い出したフランチェスカは、カメリアに保険医の人はどうしたのかと問うと、彼女は少し前に用があるから出て行ったと簡潔に答えを述べる。


《後、二時間は戻ってこないらしいわ》

「それじゃあ、もうちょっと寝ようかなぁ」

《それがいいわ》


 未だ心配そうな視線を向けてくるカメリアの頭を人差し指で撫で、安心させるように笑みを浮かべてみる。不恰好な笑みだと自身でも理解できるが、浮かべた笑みに安心したらしいカメリアはフランチェスカの人差し指に己の頬を擦り付け、おやすみなさいの一言と共に姿を消す。

 怠惰極まる身体を動かし、再び布団に潜り込む。

 そっと目を閉じ、フランチェスカの思考は深い微睡の中へと落ちていった。



     ♢♦



 優しい微睡。届かない夢。遥か彼方の幻想。

 それを総称する言葉は多々あれど、どれも適切かつ明確な表現ではない。

 何故なら……己が見ているそれは、自身がかつて××××であった時の夢だからだ。

 

 ――懐かしい、と目尻が熱さを持ち始める。

 ――帰りたい、と郷愁の念に胸が締め付けられる。


 でも、××××であった自分には分かっていることがある。


 ――帰れない、とフランチェスカ・オルランディが首を横に振る。

 ――夢なんだ、と××××に起こった事実が走馬灯となって甦る。


 せめぎ合う二つの思い。

 帰りたい。私は――××××はここだと、叫びたくなる。

 帰れない。私は――フランチェスカなのだと、理性が理解を呼びかける。


「……わたし、は……」


 ふと、意識が重力に似た何かに引っ張り上げられる。それを意識の覚醒だと、本能が理解する。

 ああ自分は起きるのだと、彼方の幻想が遠くに消えるのを感じる。

 そのことを有難いと思うようにする。何時までも、自分が女々しくなってしまうこんな場所に居たくないと気持ちを切り替える。


(私はわたし。かつて××××だったけど、フランチェスカでもある。――それでいい)


 それは、唯一つの真実。

 フランチェスカがまだオルランディの家に居た時、自分が××××であったことを思い出して思い悩んだあの日。精霊という××××の時には考えられなかった存在と共に導きだしたたった一つの答え。‘自分’という要素を構成する最重要項目にして、根幹と言っても過言では無いそれ。

 意識の浮上に伴い、ここでのすべて泡沫となって消えていく。見ていたはずの夢も、抱いた気持ちも、出した結論も、刹那の瞬きの間に消えてしまうだろ。

 ――それでいいのだ、とフランチェスカは目を瞑った。



     ♢♦



 うっすら目蓋が持ち上がる。目尻が異常に乾いている感触と、倦怠を持つ目蓋。それを感じて、自分が泣いていたのだという事を実感する。見ていた夢を思い出すことは出来ない。

 だけど一つだけ分かるのは――酷く、懐かしい夢を見ていたらしい。

 起き上がる気力すらなく、辛うじて動いた首は壁に掛かっている時計を見つけた。自分がどれ程眠っていたのかは分からないが、天井の日差しの変化がそれほど変わっていないところを見る限りあまり時間は経っていないようだ。

 喉が渇きを訴え、カメリアに水を持ってきてもら王と思い彼女をを呼ぼうとして口を開きかけた瞬間、ドアのスライド音がフランチェスカの耳に届く。保険医が戻ったのかと思ったが、カーテン越しに映るシルエットは明らかに男の人影だ。

 フランチェスカはここにあまり来ることはないため接点は薄いが、ゼレンカ第一の保険医は女であり、しかも結構小柄で線は細かったという印象を有している。

 だが、カーテン越しに見えたシルエットは明らかに女の線では無い。

 誰だと頭が混乱に陥りそうになったが、ここが保健室であることを思い出す。

 ならば保健室に用事のある男の人かと判断し、こっちに来られても困ると思ったフランチェスカは体調を治すためにもそっと目を閉じる。

 コツリと足音が響き早く出て行ってほしいと思う中、シャッというカーテンが開けられたようなレール音がした。それと同時に、誰かが自分の近くに来たことを感じる。


(ぎ……ぎゃああああ! なんかこっちキター!)


 頭のどこかで‘フラグ成立おめでとう!’という謎の横断幕と色とりどりの紙吹雪が何処からともなく現われては、飛び交っている。そうじゃないとかぶりを振りたいが、ここで動けば自分が起きていることがばれてしまう。


(私寝てますよー。起きてないですよー。だから自分で用事を済ませるか、保険医の先生を呼びに行くことをオススメしますよー)


 決して聞こえないであろうフランチェスカの懇願はやはり届かず、頭の上の方で金属音と床が擦れるスキール音が短く聞こえる。恐らくは、備え付けの椅子を引き摺ったのだろう。


(居座る気ですか―!?)


 ‘何故に!?’という疑問が思考を締め、他のことなど一切考えられない。もはや、事の成り行きをなるようになれ! という開き直りに似た諦めに身を任せるしかない。口元が、身体が動かないように、不規則な高鳴りを続ける心臓の音を聞こえないように、フランチェスカは祈り続ける。

 時間にしておよそ数分。フランチェスカの体感だけで言うならば一時間そこら。これ以上は無理だ、とフランチェスカが音を上げそうになった瞬間、再びドアが開く。


「あら、プロヴェンツァーレ君じゃない。一体どうしたの?」

(プロヴェンツァーレとか一番聞きたくない言葉キター!!)


 ぶっ倒れて、保健室。というこの状況は、今は懐かしき少女マンガや恋愛小説なんかでありそうなシュチュエーションだと一番最初に目覚めて思ったことだ。


「ああ、先生。お邪魔してます。――いや、知人が倒れたと聞いたので、様子を見に来たんですよ」

「……ああ、そういう」


 何やら意味ありげに頷きを返す保険医に、フランチェスカは訂正の弁を入れたくなったが、今動けば狸根入りがばれてしまう。保険医が抱いた誤解を解きたい一心と、起きていることがばれた後の気まずさ。揺れる天秤にフランチェスカが思い悩んでいると、保険医から更に状況を悪化させる一言が飛び出た。


「プロヴェンツァーレ君。悪いんだけど、後二時間はここを空けなきゃいけないの。私が戻ってくるまでの間、彼女を見ていてくれないかしら?」

(ふぁ!?)

「せ、先生? さすがにそれは……」

「ああ、特別な何かをしろって訳じゃないの。ただ、ここに来る人に私が居ないってことを伝えてほしいのと、彼女が起きた時に誰も居ないのは不安になっちゃうでしょ?」

(嫌別に一人じゃないから安心していいんですよ!? というか、この人残される方が不安なんですけど!?)

「じゃ、よろしくね~」

(語尾軽!?)


 陽気とも取れる保険医の言葉はドアの開閉音と共に消えていく。

 残されたのは沈黙。フランチェスカの心臓が再び不規則に動きだし、思考が煮詰まる。そして浮かぶのは、一つの解決策。


(よ、よし! こうなったら、もう一回寝よう! ホントに寝ちゃえばこっちのもんだし!)


 ドア側に背を向ける形で身体を寝やすい体制へと移動させ、静かに深呼吸を一つ。この動きで起きていることがばれたかとも思うが、寝返りの一種だと誤解するだろうという淡い期待を抱く。

 安いパイプ椅子に何かが伸し掛かる音。それはテオドアが先ほど座り損ねた椅子に腰を据えたことを意味している。


「……寝てる、か」


 フランチェスカが聞いたことが無い低く、取り繕っていない言葉。背筋がピンと張りつめ、身震いを押さえるのが難しい。こそばゆい。むず痒い。この二つが今のフランチェスカの心情を指す最適の言葉だろう。

 せめて呼吸だけは安定に、と高鳴る鼓動の押さえに努めようとした瞬間だった。


「……」

(……えっ――)


 身体を横向きにしていたため、フランチェスカの右頬は天井を向いたままだ。即ち、フランチェスカの顔の右側はテオドアに見られたまま。更に付け加えるのなら、身体を動かしたことで髪の毛が枝垂れ、フランチェスカの耳が僅かながら露出している状態だ。

 ――だからなのかは、分からない。

 耳たぶに振り降りてきた小さな熱源。自分の体温と同じくらいの熱さを持ったそれが溶け合った瞬間、フランチェスカの頭は真っ白へと染め上げられ何も考えられなくなった。

 触れ合っていた時間は、わずか数秒。たったそれだけの短い時間の中なのに、まるで考える力がその熱に奪い取られたかのようだった。

 名残惜しそうに熱が離れていく。吐息が耳たぶを擽り、こそばゆさからフランチェスカは思わず声を上げてしまう。


「……っ!?」


 一際大きな物音と共に熱と吐息が離れ、騒がしい騒音を響かせながらドアが開閉する。車輪の回る余韻の後、フランチェスカはそっと目を開けて人気が無くなったことを確認してから、ゆっくりと身体を起こす。

 今日一番の深いため息。自然と右手が頬へと向かう。


「…………」


 思い出すのは熱が耳たぶを啄んだ感触。


(私……わたし――――)


 優しい口づけの感触。


「キス、された……」






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